2010/10/13

マラソン日記 地域

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神戸

地域が変われば、車のナンバーも変わる。

マラソン6日目

朝、4時に目が覚めて、ふと体育館の外を見ると警察が歩いていた。血の気がひいて一気に眠気が覚める。
そそくさと高校を後にして、浜辺でストレッチ。
コンビニで軽い朝食を済ませて、海辺の道を走る。変わらない景色のおかげで集中して走っていたのに、沼津港から○○km・富士川河口まであと○○kmっという標識が出てくると、いちいちどのくらい走った、どのくらいで走った、あと○○kmっということが気になってしまう。こういった事が気になりだしたらもう終わり。そこからなかなか抜けれない。道を変えて歩いたり走ったり。国道1号線をひたすら焼津を目指して走る。

太陽が高く登る。
車通りの多い国道を進む。
大きく広がる海沿い。
人の通れない国道へ入る。回り道。

由比という町に出会う。
とても雰囲気のいい町で、漁業が盛んのようだった。
サダスーパーをつくる時にこの町から何か仕入れたいなぁっとか考える。
今度、家族で来たい町リストに加わる。

海沿いの国道を一気に突き進む。
日差しがピークに厳しい中、何となく走っている事に集中できた。


走っている事がとても自由だと感じた。
進む事だけに時間を費やせる自由。
これも全て美幸のおかげだ。
僕は自由だ。
自由になる事は決して時間がある事や選択できる事をいうのではなく、心が羽ばたいているか、いないかでは無いだろうか?
心が羽ばたいていることの実感。
僕らは常に自由だ。そんな感覚。


清水の街、草薙の駅を目指す。
最近、藤原さん(ケンブリッジの森)がデザインしたNORTH FACEに益子の家具作家・高山さんの家具が入っていて、展覧会もしているとの事だったので、寄らせてもらう。17時頃に到着。NORTH FACEでたまたま藤原さんとスターネットで取引させてもらっていた鈴木さんという方に出会う。会えて良かった。
藤原さんが「益子から神戸まで走っている」と説明してくれると、鈴木さんが
「もう6日も走っているようには見えないね、表情がとても元気がある。」っと言ってくれたのが嬉しかった。
周りから疲れているように見えないと言われるのは嬉しい。疲れている、元気が無いなんて思われたくない。
NORTH FACEでお茶をして(藤原さんにおごって下さいとお願いすれば良かったとあとで後悔)、焼津を目指して走る。

この日、焼津まで行かないと翌日浜松までの到着が難しくなるので、どうしても焼津についている必要があったので、用宗というところまで一気に走る。用宗から焼津に抜けるにはトンネルか海岸沿いの道しかなく、トンネルに行くと人は通れないとのこと。海岸沿いの道まで歩くが、海沿いで歩道も街頭も無い狭い道で、もう真っ暗だったのでヒッチハイクをする10分くらいすると白いスポーツカーが止まってくれ、乗せてくれた。乗せてくれた30後半のお兄ちゃんはクネクネした道をドリフトしながら走る。走り屋だった。走り屋の横に乗ったのは初めてだったけど、運転うま過ぎ!イヌシャルD(走り屋の漫画)の気持ちがわかった気がする。車もマニュアルの方が運転している気がするってもんだ!

峠を越して、降ろしてもらう。
3日連続野宿はキツいなっと思ったので21時頃焼津の駅で、リュックに「怪しいものではありません。僕を泊めて下さい。」っとノートを貼るが効果無し。駅近くの一泊5000円のホテルに「1000円くらいで泊まらせてもらえませんかぁ」っと訪ねると丁重に断られる。
とりあえず浜松方面に歩きながら、っとある公園のトイレで携帯の充電をして休んでいると、少し離れているところでイチャついているカップルがセックスをしはじめる。なんか青春っぽいなっと見ていたが、気兼ねなく楽しんでもらおうと思って充電もままらなぬまま歩き始める。この時点でもう12時を回っていた。

お風呂と思って、っとある小学校の校庭でこの日も全裸で水を浴びて洗濯。水を浴びるのにはもう寒い。駄目元で体育館を見てみるとなんと体育館の倉庫の窓が開いていた!2日続けて体育館に出会えるなんて!この日もマットの上で心地よく眠る事ができた。

マラソン5日目

5日目。
朝5時に目覚ましで起床。
海近くだったので、風が強く体が冷えきっていた。

野宿だったので体が痛くなっているかと思えば、疲れきっていたのでそれ以上疲れる事も無く、寝た事で少しマシになっていた感じでしたが疲れが取れている訳でもなく、足は筋肉痛や体は疲労で重かった。小田原に到着後、ガストがあったので新聞を読み、携帯を充電させてもらい、腹ごしらえ。「携帯充電させて下さい」とお願いすると快く受けてくれる。前日野宿したし、これから箱根だし、ちょい贅沢をした。

箱根口(交差点)に立ち、気合いを入れて再スタート。坂がきつくなってきたらほぼ歩き。木々に囲まれた道は気持ち良く太陽の暑さは感じず、木々に守られている気すらした。
箱根はいくつかの温泉地があり、それぞれに観光客が沢山いた。緑が多くて気持ちがよく今度は家族で来たい場所となる。
マラソン選手らしき女性が坂道をひょいひょいと走って、すーっと抜かれる。それが悔しくて数百メートル対抗して走るけど、追いつく事は無理でした。「他人のペースは他人のペース、走りだろうが歩きだろうが自分のペースで進むべし!」っと開き直る。途中川に降りて休憩したりしながら歩く歩く。
木々に囲まれた心地よい道がいつまでも続く訳もなく、太陽の日差しを浴びながら進んでいると。「国道1号線最高標高874m」の看板を見て、なぜか感無量。こういった知らせはなんだかテンションが上がる。

昼頃に芦ノ湖に到着。観光客がとても多く、山に囲まれた湖畔はとても気持ちが良く休憩しながら昼寝をする。

目が覚めて、ブラブラと走り歩きで数キロ進んだ事に「静岡県」の県境の看板を見てテンションが上がる。県や市・町が変わるのも気持ちが嬉しくなる。峠を過ぎ、沼津に向けて下りが中心の国道を走り、下りだから楽かと思えばそうでもなかった。

途中、旧東海道の道を保存した道があったので、そっちを歩いてみたが、昔の状態を保存している道はゴツゴツとした石を並べた道で歩きにくさ全開だった。走り出した理由の一つに、原始的な事というか、自分の身体や精神を使う状態ようなことに憧れていて、わかりやすくいうと「昔の人の暮らし」に憧れを持っていて、坂本龍馬(龍馬に限らずですが...)が土佐から江戸まで歩いていた時代はどんなんだったんだろう的な興味をずっと持っていた。だから今回のせっかくの機会に足で進んでみたいと思ったのですが、東海道ったてこんなボコボコした道を歩いていたのかっと思うと改めて昔の人達はスゲーなぁっと思う。アスファルトで舗装された道をニューバランスのランニングシューズで進んできたなんて屁のカッパだ。
そんな事をぶつくさと考えながら進んで山を降りた頃にはすっかり夕暮れになっていた。

どうしても風呂に入りたくて、携帯で調べると沼津に大正時代から続く銭湯がある事が発覚。営業時間が8時までとなっていたのでそれに間に合うように三島から沼津まで走る。
なんとか7時半に銭湯に入ると番台に座っていたおっちゃんが
お:「今日はお客さんがいないからもう締めようと思っているんだよ。」
佐:「えぇ、せっかく来たので入らせてもらえませんか?」
お:「ほんの少しで良ければ...」(すげぇ嫌そうな顔をする)
佐:「8時まで入っても良いですよね?」
お:「できれば10分位で上がってもらえたら...」(営業時間は8時まで)
佐:「わかりました。出来るだけ早く上がるようにします。だから少しマケてもらえませんか?」
お:「なら無理に入って頂かなくても...」
佐:「わかりました。350円ね。」
お:「ありがとうございます。」
(お金を渡す)
佐:「今日、小田原の方から走ってきたんですよ。」
お:「そーですか、はい150円」(反応無し)

んー、ボケかけのおじいちゃんかもしれないけど、すごく残念な気持ちでお風呂に入る。
お風呂入っている隣で、女風呂をゴシゴシ洗う音がする。しまいに男風呂まで洗いにくる。
ほーんとムカついてきて、そそくさと風呂を出て「ありがとー」って振返るとおっちゃんが全裸になっていて「どーもぉ」っと見送りにきた。自分が風呂に入りたかっただけじゃーん!!
昭和の初めから続く銭湯で建物や置いているものが全部当時のもので風情のある銭湯だったのですが、おっちゃんの風呂入りたさに僕は気分が悪かった。こりゃ人は来なくなるわ。残念だけど当然。変化に対応できないものは負けてゆく。

その後、ローソンでカップラーメンと発泡酒を買って夜ご飯。
沼津ではスターネットでお世話になった藤原さんの家に泊めてもらおうと思っていたのですが、都合が合わず断念、残念。
今夜の寝床は浜辺にしようと浜辺方面へ歩く。っとある浜辺近くの高校の校庭で歯磨き&洗濯。どこか寝床無いかなぁ〜っとブラブラしていたら体育館の窓が開いていたので、こっそり覗いてみると体育館の倉庫の中。なので体育館の体操のマットの上で気持ちよく寝る事ができました。

2010/10/08

マラソン4日目

6時頃起床。
祐介が朝食を用意してくれる。
前日もそうなのだが、このマラソンに対して本当に協力し、応援してくれているのがとても嬉しかった。

出発、サラリーマンや学生が動き出していた。
住宅地の合間や専修大学の横を抜けて、土祭で知り合った鈴木そのさんと息子の凱に会い(そのさんの職場でご馳走になりに)に青葉台を目指し走る。途中、凱から「○○の前で待っているから!」っと電話をもらう。凱は小学生にしてかなりの電車オタクで、一人で電車やバスを乗りこなす相当頭の良い子だ。会いたいと思ってくれているのがとても伝わり嬉しかった。
青葉台で凱とそのさんの職場でお茶をして、その後、厚着街道沿いをひたすら走る。横を東名が通っているのでいつも見ているICやSAを外から見るのが面白い。車が多く行き交う国道&日陰が少なく暑さが厳しかった。

途中、水を補給したり自販で飲み物を買ったりして水分補給。昼過ぎの2頃、腹が減りすぎたためラーメン屋に入るがクーラーと油で気持ち悪くなり、外で昼寝をしてから走る。夕方前、携帯の充電が無くなってきたので、厚木の図書館で充電&休憩&新聞を読む。

厚木の後は小田原を目指していたけど、時間的につけなさそうなので、大磯くらいまでにはつけるように目的変更。結局、小田原の手前の二宮町で野宿する事になる。途中、小田原に着けなさそうなことを、何か悔しく思ったり、情けなく思ったりしてしまうが、そんなことは問題ではないと後々気付く。嫁には10日でつくように頑張ると言った手前、早くつかないといけないとこの時はなんか焦ってた。
目的は結局走る事でも、早く帰る事でもなく、前進する事だ!

平塚辺りで真っ暗になる。
平塚からは国道一号線沿いを走る。東海道にある一里塚(昔の一里毎に置かれた休憩所)の事を知る。ここから名古屋まで沢山の一里塚と宿場町を目にする事になる。
今までハイライトでしか見た事が無いけど、一号線を走ったおかげで次の箱根駅伝を見るのが楽しみになった。

携帯で調べると大磯グランドホテルの温泉が良いと書いていたので、大磯に到着後、グランドホテルで客のフリをして温泉に入ろうと思って行ってみるが、お風呂の前で厳重な宿泊客チェックをしていて入ることができなかった。洗濯機があったので洗濯だけしてグランドホテルを出て、小田原方面に寝床を探しながら歩く。この時で11時くらいになっていた。
途中、っとある中学校のグランドで全裸になり、ホースで凍えながら汗を流す。
日が変わった頃に、っとある体育館の外の階段の踊り場が人目にもつかず、丁度良さそうだったので、そこで寝ることにして就寝。
寝るときは初日に購入したカッパを下に敷いて、ティシャツを上に掛けて寝る。
夏の終わり、野宿するには寒すぎた。


この日は初めてアテも無く走った。それは結構孤独感のようなものを感じつつ、自由な感じもあったが、寝る所が決まっていないっというのは結構不安な気持ちになる。それでも寝る所は無いしお金も無いので野宿という、選択肢が一つしか無いことはも決まっていた。野宿できる場所を探しながら街を一人で歩くのは面白かった。

マラソン

6時頃起床。
祐介が朝食を用意してくれる。
前日もそうなのだが、このマラソンに対して本当に協力し、応援してくれているのがとても嬉しかった。

出発、サラリーマンや学生が動き出していた。
住宅地の合間や専修大学の横を抜けて、土祭で知り合った鈴木そのさんと息子の凱に会い(そのさんの職場でご馳走になりに)に青葉台を目指し走る。途中、凱から「○○の前で待っているから!」っと電話をもらう。凱は小学生にしてかなりの電車オタクで、一人で電車やバスを乗りこなす相当頭の良い子だ。会いたいと思ってくれているのがとても伝わり嬉しかった。
青葉台で凱とそのさんの職場でお茶をして、その後、厚着街道沿いをひたすら走る。横を東名が通っているのでいつも見ているICやSAを外から見るのが面白い。車が多く行き交う国道&日陰が少なく暑さが厳しかった。

途中、水を補給したり自販で飲み物を買ったりして水分補給。昼過ぎの2頃、腹が減りすぎたためラーメン屋に入るがクーラーと油で気持ち悪くなり、外で昼寝をしてから走る。夕方前、携帯の充電が無くなってきたので、厚木の図書館で充電&休憩&新聞を読む。

厚木の後は小田原を目指していたけど、時間的につけなさそうなので、大磯くらいまでにはつけるように目的変更。結局、小田原の手前の二宮町で野宿する事になる。途中、小田原に着けなさそうなことを、何か悔しく思ったり、情けなく思ったりしてしまうが、そんなことは問題ではないと後々気付く。嫁には10日でつくように頑張ると言った手前、早くつかないといけないとこの時はなんか焦ってた。
目的は結局走る事でも、早く帰る事でもなく、前進する事だ!

平塚辺りで真っ暗になる。
平塚からは国道一号線沿いを走る。東海道にある一里塚(昔の一里毎に置かれた休憩所)の事を知る。ここから名古屋まで沢山の一里塚と宿場町を目にする事になる。
今までハイライトでしか見た事が無いけど、一号線を走ったおかげで次の箱根駅伝を見るのが楽しみになった。

携帯で調べると大磯グランドホテルの温泉が良いと書いていたので、大磯に到着後、グランドホテルで客のフリをして温泉に入ろうと思って行ってみるが、お風呂の前で厳重な宿泊客チェックをしていて入ることができなかった。洗濯機があったので洗濯だけしてグランドホテルを出て、小田原方面に寝床を探しながら歩く。この時で11時くらいになっていた。
途中、っとある中学校のグランドで全裸になり、ホースで凍えながら汗を流す。
日が変わった頃に、っとある体育館の外の階段の踊り場が人目にもつかず、丁度良さそうだったので、そこで寝ることにして就寝。
寝るときは初日に購入したカッパを下に敷いて、ティシャツを上に掛けて寝る。
夏の終わり、野宿するには寒すぎた。


この日は初めてアテも無く走った。それは結構孤独感のようなものを感じつつ、自由な感じもあったが、寝る所が決まっていないっというのは結構不安な気持ちになる。それでも寝る所は無いしお金も無いので野宿という、選択肢が一つしか無いことはも決まっていた。野宿できる場所を探しながら街を一人で歩くのは面白かった。

2010/09/28

マラソン2日目

帰省マラソン2日目。
小山から浦和まで走る。約55kg程の距離。
天候は曇りのち晴れ。昼頃から暑かった。

朝5時過ぎ頃に起床。
前日のお酒が少し残っている。人の金だと思って調子に乗りすぎちゃったみたい。
準備とストレッチをして、下に降りるとぼっちゃんのお母さんがご飯を用意してくれていた。シャケと目玉焼きに白いご飯の朝食に、お昼用のおにぎりも持たせてくれる。雨を心配したり、なんやかんやと気にかけてくれている姿を見ると息子になった気分になる。
心づかいに感謝。

天気は晴れ、前日の雨のおかげで涼しい気候の中スタート。
小山から新幹線の高架下を主に走ったので、日陰を走ることができ楽勝楽勝〜。っとつかの間足の動きが悪くなる。10kmもしないうちに歩き出し、歩いては走って、走っては歩いて、歩いては歩いて...。
公園や役場(役場には給水機が大体あるので、絶好の給水ポイントであることを発見!)で水を汲みながら、休憩をしっかり取りながら走る。
多摩川を超えた橋の下で、昼食&昼寝。


久喜駅で駅のホームを見る。いつも東京に行く際に見ていたホームを外から見ていることがとても不思議な気分だった。その少しあと、東北道の蓮見SAの看板を見て同じことを思う。いつもは飛ばして見ている景色の中からその風景を見ていると、その壁の向こう側がこうなっているのか!?とか、こんなものがあるんだっと、当たり前なのかもしれないけど、時間と体力を掛けて見る風景と車や電車で飛ばしてみる景色では見え方も感じ方も違うので、気付くことが多いことを体感。
景色の中からいつもの電車を見る。電車から僕を見ている人はいるのかねぇ?人は見えないけど電車は見え、電車の音、踏切の音、車の音が入り交じる。なんとない風景だけど、忘れがたい感覚だった。

とても早いスピードの中では見落としている風景が沢山ある。時間をかければ良いというワケじゃないだろうけど、元は何でも時間は掛かるものだったことに気付く。どんなに急いだって100kmも200kmも進めない。トラックが行き交う国道を歩いていると、皆せかせかしているように見える。普段はそんな風に見えなかったけど、歩いているだけで風景は変わるもんだ。


夕方、さいたま市に入り、浦和までもう少し、あとどのくらい、コモチの家で休もう、ご飯をごちそうしてもらおう、そんなことばかり考えていると気持ちがしんどくなってきた。自分でしんどいことを選択しているのに何故楽をしたがるんだろうか?答えは疲れてきたから。
一歩進むことだけを考えよう、っと言い聞かせながら、早くつきたい疲れたという自分との葛藤。
今となっては笑えるけど、この時ばかりは股擦れもひどく(ほーんとうに痛くて、お尻の割れ目が被れていたような、ミミズ腫れしているような感じだった。)、足も筋肉痛、足の裏に小さな水ぶくれが出来ていたり...。この先、無事つけるのかと不安になったのは後にも先にもこの時だった。でも不安になったかと思えば、体がキツいのと、横をびゅんびゅん行き交う車を見ていると「俺なんて馬鹿なことしてんやろ!?」っと笑けてきた。笑けてきて、お馬鹿な自分がとても素敵やな〜っと愛おしくなる。痛い!
体の限界なんて気持ちの問題で、後少しやと思うといきなり全力で走ってみたり、どれだけ走れるか走ってみたり、気合いを入れるため「ぐぅぁー!いぐどぉー!」とか叫びだし、タオルで顔を隠しながら冷たい視線をすりぬけたり、おかしくなっていた。そんな感じになったころに北浦和の駅に到着。

大学時代の友人のコモチと合流。駅前で待ってくれているコモチをみるとホッとした。
股擦れがひどかったので薬局で塗り薬と生理用ナプキンを購入。ナプキンはコモチにおごってもらった(笑)。最近彼女が出来たらしいので、必要なさそうなナプキンは彼女の為に残しておきました。
ご飯を駅前のチェーン店らしき定食屋でご馳走になる。その後コモチの家にお邪魔し、PS3のウィニングイレブンを対戦した。大学の時よくなーんか久しぶりな感じが楽しかった。
お風呂を頂き、就寝。

コモチの部屋は相変わらずきれいで、整理整頓が素晴らしかった。
俺がグダグダしている間に洗濯物を干してくれて、自分のベットまで提供してくれ、朝起きたらコモチはフワフワクッションの上で寝てくれていた。アホな俺の体を気遣ってくれたことに感謝。

マラソン3日目

帰省マラソン2日目。
小山から浦和まで走る。約55kg程の距離。
天候は曇りのち晴れ。昼頃から暑かった。

朝5時過ぎ頃に起床。
前日のお酒が少し残っている。人の金だと思って調子に乗りすぎちゃったみたい。
準備とストレッチをして、下に降りるとぼっちゃんのお母さんがご飯を用意してくれていた。シャケと目玉焼きに白いご飯の朝食に、お昼用のおにぎりも持たせてくれる。雨を心配したり、なんやかんやと気にかけてくれている姿を見ると息子になった気分になる。
心づかいに感謝。

天気は晴れ、前日の雨のおかげで涼しい気候の中スタート。
小山から新幹線の高架下を主に走ったので、日陰を走ることができ楽勝楽勝〜。っとつかの間足の動きが悪くなる。10kmもしないうちに歩き出し、歩いては走って、走っては歩いて、歩いては歩いて...。
公園や役場(役場には給水機が大体あるので、絶好の給水ポイントであることを発見!)で水を汲みながら、休憩をしっかり取りながら走る。
多摩川を超えた橋の下で、昼食&昼寝。


久喜駅で駅のホームを見る。いつも東京に行く際に見ていたホームを外から見ていることがとても不思議な気分だった。その少しあと、東北道の蓮見SAの看板を見て同じことを思う。いつもは飛ばして見ている景色の中からその風景を見ていると、その壁の向こう側がこうなっているのか!?とか、こんなものがあるんだっと、当たり前なのかもしれないけど、時間と体力を掛けて見る風景と車や電車で飛ばしてみる景色では見え方も感じ方も違うので、気付くことが多いことを体感。
景色の中からいつもの電車を見る。電車から僕を見ている人はいるのかねぇ?人は見えないけど電車は見え、電車の音、踏切の音、車の音が入り交じる。なんとない風景だけど、忘れがたい感覚だった。

とても早いスピードの中では見落としている風景が沢山ある。時間をかければ良いというワケじゃないだろうけど、元は何でも時間は掛かるものだったことに気付く。どんなに急いだって100kmも200kmも進めない。トラックが行き交う国道を歩いていると、皆せかせかしているように見える。普段はそんな風に見えなかったけど、歩いているだけで風景は変わるもんだ。


夕方、さいたま市に入り、浦和までもう少し、あとどのくらい、コモチの家で休もう、ご飯をごちそうしてもらおう、そんなことばかり考えていると気持ちがしんどくなってきた。自分でしんどいことを選択しているのに何故楽をしたがるんだろうか?答えは疲れてきたから。
一歩進むことだけを考えよう、っと言い聞かせながら、早くつきたい疲れたという自分との葛藤。
今となっては笑えるけど、この時ばかりは股擦れもひどく(ほーんとうに痛くて、お尻の割れ目が被れていたような、ミミズ腫れしているような感じだった。)、足も筋肉痛、足の裏に小さな水ぶくれが出来ていたり...。この先、無事つけるのかと不安になったのは後にも先にもこの時だった。でも不安になったかと思えば、体がキツいのと、横をびゅんびゅん行き交う車を見ていると「俺なんて馬鹿なことしてんやろ!?」っと笑けてきた。笑けてきて、お馬鹿な自分がとても素敵やな〜っと愛おしくなる。痛い!
体の限界なんて気持ちの問題で、後少しやと思うといきなり全力で走ってみたり、どれだけ走れるか走ってみたり、気合いを入れるため「ぐぅぁー!いぐどぉー!」とか叫びだし、タオルで顔を隠しながら冷たい視線をすりぬけたり、おかしくなっていた。そんな感じになったころに北浦和の駅に到着。

大学時代の友人のコモチと合流。駅前で待ってくれているコモチをみるとホッとした。
股擦れがひどかったので薬局で塗り薬と生理用ナプキンを購入。ナプキンはコモチにおごってもらった(笑)。最近彼女が出来たらしいので、必要なさそうなナプキンは彼女の為に残しておきました。
ご飯を駅前のチェーン店らしき定食屋でご馳走になる。その後コモチの家にお邪魔し、PS3のウィニングイレブンを対戦した。大学の時よくなーんか久しぶりな感じが楽しかった。
お風呂を頂き、就寝。

コモチの部屋は相変わらずきれいで、整理整頓が素晴らしかった。
俺がグダグダしている間に洗濯物を干してくれて、自分のベットまで提供してくれ、朝起きたらコモチはフワフワクッションの上で寝てくれていた。アホな俺の体を気遣ってくれたことに感謝。

2010/09/22

マラソン到着!

8日に出発し、14日...。
昨日、ようやく神戸に到着しました。

道中、沢山の人にお世話になり、出会い、電話やメール、ツイッターで声援をもらい...。とても心強く、一人で走っている気がしませんでした。ツイッターやブログを楽しみにしてくれているという人がとても多かったなか、メールやネットとは距離を置きながら走りたかったので、あまり更新も返信もすることはありませんでしたが、いつも確認していました。感謝しています。


ただ走る(半分以上は歩いていましたが...進むっということか!)ということは、とても自由でした。
とても楽しく、気持ちよかった。
体力的に辛く苦しい時間はありましたが、気持ちが疲れることはありませんでした。
これも、走ることを後押ししてくれた益子の友人達、途中宿泊や食事を提供して助けてくれた友人知人、何より神戸で待ち、14日という時間をくれた妻と家族のおかげです。
感謝。


さてさて、マラソンをして何か変わったのか?
体重(5kg)が減った、肌が焼けた、髭がボーボーになったとか...今はそんなとこです。
いろいろ、感じたこともあるので、また道中のことは綴っていきたいと思っています。
まだ、しばらくネットが繋がらないので、ゆ〜ったりと書いていきます。
まずはご報告とお礼まで。
ありがとうございました。

2010/09/14

マラソン7日目

今、浜松にいます。
今日で7日目、身体も大分慣れてきましたが、足はずーっと筋肉痛です。

走るのは大変なのですが、走って(歩いて)いる事が楽しくなってきた。しんどくても、楽でも、熱くても、険しくても、どんなに焦っても一歩しか踏み出すしかない。でも一歩踏み出せば進むんです。
毎日、50〜60km進んでいます。
やればなんとかなるもんです。
人の力は素晴らしい。

今日は中学校の担任の先生のところに宿泊させてもらい、鰻とお風呂をご馳走になりました。今夜は4日ぶりに布団で寝れる!

ブログはなかなか書けないですが、Twitterで場所くらいは報告がてら更新しています。
https://twitter.com/sadahiroki

2010/09/11

サダマラソンルール

1. 車で迎えにきてもらっても、車に乗らない。(状況に応じて乗った場合は同じ場所から再スタート。)
2. 公共の交通機関も利用しない。(状況に応じて乗った場合は同じ場所から再スタート。)
3. コンビニやファーストフードで食事を買わない。(すいません、今日パンを買って食べてしまいました。明日から適用)
4. ゴールをするまで休日は無い。
5. 「つかれた。」「しんどい。」は言わない。

以上

2010/09/10

マラソン3日目

今朝は5:30に浦和を出発。
9:30過ぎに池袋の自由学園(F.L.ライト設計)へ。

スターネットで、お世話になったリビングワールド西村さんとエフスタイルさんと会いに。
僕は西村さんの著書「自分の仕事をつくる」を読んでスターネットに訪れるきっかけをもらい、スターネットに入って最初の仕事が「リビングワールドの仕事展」だっただけに、やっぱ走っている間に会いに行きたかった。会えないかと思っていたのですが、運良く会う事ができた。日頃の行いに感謝。

お二方が出展されている見本市「STOCKISTS」を見学。
デザインとクラフトがうまく融合されたプロダクトを中心に組み立てられた見本市で、決して大きすぎない会場も吉。あまりゆっくり見れなかったのですが、とても面白い展示会でした。

自由学園から出るとき、西村さんが最後まで手を振ってくれたのがとても嬉しかった。
先日、益子で家具作家の高山さん家に、帰省の挨拶をしに行ったときも姿が見えなくなるまで手を振ってくれたのが、とても嬉しく、とても寂しかった。
人を見送る時は姿が見えなくなるまで、見送っていたいと思う。


その後、松屋銀座へ。
手仕事直売所へいくと友人の木工作家さんがいて、走ってきた事に驚いてくれていた。
チケットをもらったので、その横で開催されていた「銀座目利き百貨街」へ。こちらもユニークで面白い展示でした。
マラソンの出発前夜に、泊めてもらったり、ご飯を用意してくれた純ちゃんとお母さん、お兄さん、結ちゃんに会えた。途中経過を見てもらった。

疲れたので日比谷公園で昼寝。
その後原宿へ。アーバンリサーチの友人達と食事。もちろんおごりで。感謝。
あとTシャツをもらった。こちらも感謝。

お腹が一杯になった後、川崎へ移動。
iphoneの地図で動いていると、地図を見ただけでは通らないであろう住宅地の細い路地や道無き道を通る事がたまにある。iphoneの地図で移動出来たおかげで、マラソンが一際面白くなった感じがしています。ただ、電池がなくなるのが早すぎる。

川崎の登戸に到着。
大学の友人で、革で小物を作っている祐介宅へ。
ANDADURA」という名前で活動していて、シンプルなのに個性のある製品を作っている。
飯とビールと銭湯をご馳走になる。今日も至れり尽くせりです。


3日目になると少しづつ距離感や時間が分かるようになってきた。
明日は小田原方面まで行きます。
宿が無いのでそこらで泊めてくれそうな方を知っていたら教えて下さい。


眠たすぎるので、今日の記録はこんなところで。
僕は誰かに伝えたくてブログを書いているのではなく、記録と報告としてブログを書いています。
以上。

2010/09/08

マラソン1日目

本日、益子暮らしの集大成である益子→神戸マラソンを決行。
猛暑猛暑と言われる中、幸いの雨でした。
おかげで涼しい中走ることができました。

朝6時に益子の友人に見守られる中、町役場をスタート。
バカな挑戦を見守ってくれる事に感謝しながら、益子であったいろんな事を思いだしました。
良き仲間とわがままな旦那を許してくれた美幸、ありがとう。

本日は益子→小山までの約40kmを完走。
上三川を超えた20kmを超えたあたりから歩きの割合が増え、足がガクガクしています。
上三川ではお世話になった農家の上野さんが畑に居たので挨拶したらお茶を出して頂き、楽しい休みを過ごす。

小山に2時位に到着。
思っていた以上に早くついたので、イイパンでお茶。
泊めてもらう坊ちゃんも合流の後、一緒に温泉へ(温泉もおごってもらいました。)
サウナに入りまくることもできたので、リフレッシュ。
坊ちゃんの家に戻るとお母さんがドライヤーで僕のリュックを乾かしてくれていた(涙)
7時からてんつくマンの映画を手伝ってくれた仲間が集まってくれて、2度目の送別会。
たくさん飲んでいい気分、おごってもらうくせにたくさん食べさせて頂きました。
良き仲間を持ってとても幸せです。
坊ちゃんのお母さんの温もりもありがたくて、息子になった気分でした。


ようやくスタートした帰省マラソンも走ってみると、体力云々というよりは体ができていない感じです。すでに太ももが悲鳴をあげています。
40km位でしたが、まだまだこれから。
頑張ります。

2010/09/07

帰省マラソン

引越しの片付けもままら無いまま、栃木に車を取りに戻り、弟に車を乗って帰ってもらい、明日いよいよ走って栃木から神戸まで帰ります。
本当に待ってくれている妻に迷惑を掛けるのですが、多くの人の協力のもと益子暮らしの集大成です。

どうなることやら、楽しみ。

明日6時に益子町役場前からスタートします。

多くの人に助けてもらったので、ちらほらとブログやらツイッターで報告します。
っというわけで応援よろしくお願いいたしますー。

2010/08/21

11歳の友達

宮城から11歳の友達が遊びに来てくれた、っというより帰って来てくれた。
4年程前に益子で一年弱程住んでいた子で、ちょっと前に仙台に行った際に会ったのだけれど、その時に「遊びに来い〜。」なんて言ってはいたのですが、「遊びにいって良い?」と本当に連絡が来た時はとても嬉しかった。

おかげでいろんな人に会えたりできたので、僕たちがとても楽しめた。
歩は楽しめたかな?


友人を迎えにいった時に、歩の同級生が居るのを発見して、会いたそうにしつつも恥ずかしがってモジモジして、でも勇気を出して話しかけにいって「よっ、覚えてる?」なんて聞くと、相手もコクっとうなずいてくれて、友達の所に連れて行ってもらった。その数分後には嬉しそうに沢山の友達と遊んでいた。

そんな歩に「勇気を出して良かったね〜、勇気を出したから神様が友達と沢山会わしてくれたんだね〜。」なんて偉そうに話しつつ、自分に言っている気がした。一歩を踏み出す勇気と結果を歩が教えてくれた。感謝感謝。


一泊して、今日帰ったのですが、センチメンタルになっている新幹線のホームで、
「歩が次益子に来る時はサダボーは居ないけど、神戸に居るから遊びに来てな。」っと指切りをしたのですが、必ず来てくれると何となく感じて、約束も約束をした時点で、叶うかどうかは何となくわかるもんだなぁっと思った。

11歳は子供でも友達は友達だ。
歩が大きくなる事を願い、楽しみにしながら次ぎ会うのを楽しみにしている。
歩、ありがとうね〜。

2010/08/18

自分のために

益子から神戸への引越の日程が31日に決定した。
その後、弟と一度益子へ戻り車を取りに来て、走って神戸に帰ろうと考えています。

ただ、それは僕の中だけの話で、妻からは走って帰る承諾を得ることが出来ない...。
なかなか理解してもらえないというのは、当然なんですけどね。「走って何になる」「その間どうする」等々、走る意味不明さを、言い出せばキリが無いし、そりゃごもっともだと思う。

けれど「神戸まで走って帰りたい」という馬鹿げた事の理由に意味も理屈もなくて、自分の心が心底走りたいと言っていて、走ってどうなるかなんて走ってみないと分からない。
どこか自分ともっと対峙したくて、自分の力量や自分の自信をもっと明確に分かりたいんだと思う。

こんな事ができるのは、年齢やタイミングを考えれば最後のチャンスだと思うし、やらなければ絶対に後悔してしまうのは分かっている。走って何になるのかは分からないし、自分に自信を持てるのかも分からないけど、走らないよりは走った方が得るものはあるだろう。何とか妻に協力と理解をしてもらって、一週間程の挑戦をどうにかして成し遂げたいと思う。
一先ず、妻にプレゼンだな。


全ては自分の為に。
自分を磨く事や、いろんなことに挑戦することが、結果として家族や友人、将又地球や社会の為に繁栄されると信じています。

2010/07/26

言葉

『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である』 二宮尊徳

この言葉を『理念なき利益は犯罪であり、利益なき理念は寝言である』と言い換えている人がいました。


人の善意やボランティアに頼ることでしか成り立たない活動は、長続きしない。長続きしないことは意味がない。
ボランティアがキレイごとになるか、ならないかの境界線はそこじゃないかなぁ?

2010/07/19

THE ROSE

バラについて調べていて出会った。
曲も歌詞が良い。THE ROSEを観ようと思う。


おもひでぽろぽろのエンディングでもあるんですね。
素敵なエンディング。ジブリで都はるみが歌っても優しい歌だ。

2010/07/18

AKIRAライブ

日光のアーティスト&ミュージシャンAKIRAのライブに行ってきた。
知人に日光に変態アーティストのAKIRAさんっという人がいて、アンディ・ウォホールから奨学金を受けた経歴を持つような人で、作品も凄いんだよという話を聞いていて、密かに気になっていた人だったのですが、この前のてんつくマンの上映会を手伝ってくれた人がCDをくれたことで、ミュージシャンをしていると知り、聴いたらズビズビっと感じるものがあり、聴きに行ってきました。

大分遅れて行ったので、数曲しか聴く事ができなかったのですが、CDで聴くより断然良かったです。な〜んちゅうか、腹の下から言葉や歌が出てきているような曲で、AKIRAさんの歌を聴いているとその情景が浮かぶというか、メッセージがストーンって伝わるような、そんな印象を受けました。数曲しか聴く事ができませんでしたが、「愛」を唱い、「あなたは素晴らしい」っという事を伝えている人でした。
初めてお会いしたのですが、どことなくてんつくマンに似た空気を持つ人で、優しい空気を持っていて、人を受け入れているというか、他人と自分は一緒みたいな...。あったかい人だった。


ある本で「美しいものとは、作り手の内面が整理されているもの」という事を書いていたのでが、モノに限らず、人も、歌も同じだなっと思った。
AKIRAさんが言っていたのは、「人は自分の山の頂上だけ見て、自分を決めてしまっている事が多いのだけど、本当は頂上の下には中腹も麓もあって、頂上の蓋を開ける事で人生は楽しくなる。」っというような事を言っていました。

AKIRAの歌はお腹のそこから歌っている歌でした。
自分の声を聞いて、自分と向き合う。今の僕のテーマです。


何故か打ち上げにも参加することになり、一ヶ月ぶりに皆と会えてとても嬉しかった。
栃木から出る直前にてんつくマンの上映会で多くの人達と知り合い、一つ一つの出会いに感謝。神戸に帰りますがこの縁が続きますように。

2010/07/13

ワールドカップ2010 南アフリカ大会決勝

約一月に渡ったワールドカップが終わった。
決勝を友人達と見て、決勝に相応しい一進一退の攻防に熱狂。
眠気なんって、すっ飛んで皆で盛り上がる。

スペインもオランダも素晴らしかったね!
ただやっぱりスペインが圧していた。
ビシャ、イニエスタ、シャビ、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ロペス、フェルナンド・トーレス、プジョル、セスク、カシージャス...ペドロ。顔ぶれだけでも優勝だ!
トーレスの活躍を観ることができなかったのが残念だったけど、トーレスまで覚醒していたら大変なことになっていただろうなぁ。ブラジル大会に期待!
無敵艦隊スペイン!素晴らしいサッカーをありがとう。


イニエスタがゴールを決めた直後にユニフォームを脱いでイエローカードを出されていましたが、アンダーウェアーには「ダニ・ハルケ、君はいつも一緒にいる」と書かれていたそうです。ダニエル・ハルケはエスパニョールに所属していた26歳の選手で、中村俊輔が移籍して間もない昨年8月に、遠征先のイタリアで急死したスペインの代表候補でもあった選手です。バルセロナといえばFCバルセロナですが、もう一つFCエスパニョールの2チームが在り、同じバルセロナを本拠地にするバルサのイニエスタとエスパニョールのハルケは親友同士でもあったそうです。
僕がスペインに行った時に見た試合が「FCバルセロナ vs FCエスパニョール」で、ロナウジーニョがFKでゴールを挙げた思い出があります。
話はそれましたが、最後の決勝でイエローカードが次戦に持ち越されない為、イエローカードをもらう事を分かってユニフォームを脱いだのですね。イニエスタが最後にゴールを挙げたのは、きっと天国のハルケからのアシストでもあったんだなぁと思いました。

偶然だよっと言う人もいると思いますが、この試合で一番ゴールを決めるとイメージしていたのは、ゴールを決めてハルケに捧げるメッセージをTシャツに書き込んでいたイニエスタだったんじゃないかな。イニエスタは、カードの多い試合で一枚もカードを受けなかったも、ゴールを決めてハルケに優勝を報告することを想像していたからなんでしょうね。

イニエスタは守備的MFなので、得点するとかアシストするという選手ではなく、決して目立つ選手ではありませんが、素晴らしい選手です。イニエスタのトラップとパスさばきは必見!


スペイン代表、イニエスタありがとう。
ありがとうワールドカップ。

2010/07/11

るいるいサンタさん

あるサイトから渡辺類子さん(通称:るいるいサンタ)という人の事を知りました。
てんつくマンのメルマガでも目にした事がある人なのですが、彼女の過去から現在の活動。
いろいろ考えさせられ、思う所がありました。
てんつくマンが彼女をボコボコに殴ったという話なんて、本当に優しい人なんだなと思う。
相手の気持ちになるというか、自分に人の気持ちを分かるようになる時は来るのかな?
とても自分が小さく感じた。
ぜひ、よんでみて下さい。

愛されていいんだよ、るいるいサンタの想い
1. http://www.econakoto.net/product/article/150
2. http://www.econakoto.net/product/article/151
3. http://www.econakoto.net/product/article/152
4. http://www.econakoto.net/product/article/154



僕にはレイプされた恐怖を理解してあげる事はできないけど、少しでもその恐怖と戦っている人を受け入れられるような余白は欲しい。同情や優しさというのではないが、その計り知れない傷を責めるような事はできないと思うのです。自分の事なんてどうでも良い、自分の問題なんて大した事じゃないなぁと思う。

まだ自分の中の選択はよくわからないが、僕の心はるいるいサンタの何かに反応した。

2週間

神戸に2週間程帰省していました。
無事栃木に帰還。
仕事を辞めて、ひと月が経ち、映画の上映会や自分のお別れ会、ワールドカップもあり、慌ただしい中、神戸に帰りました。

26日
栃木を昼頃に出て、東京で而今禾→D&DEPARTMENT東京店に寄る。陶芸家の故青木良さんの世界に初めて振れることができた。もっといろんな物を見て、目を育てる。
その後、熱海へ。宿のスタッフが元気が無いというか、人件費ギリギリで回しているようなホテルに宿泊。中国人が多かった。

27日
熱海で父と合流。
静岡で芹沢銈介美術館で感動。作品と芹沢銈介のコレクション、自邸は本当に素晴らしく、現代においてもその図案や意匠は画期的。白井晟一の設計の美術館も空間が美しかった。
その後、D&DEPARTMENT静岡店で昼食。静岡店も素敵なお店だった。D&DEPARTMENTはどこの店舗も面白いね。

28日
家探し。
知人の別荘を紹介してもらう。家はとても素敵で住みたかったが、少し離れすぎていた為断念。益子での感覚では、家が探せない事が発覚!家賃5万円、戸建て、静かな所はふざけた条件のようだ。

29日
午前家探し。昼から家族で買い物(一喜のチャイルドシートを買ってもらえた感謝)。
和歌山の弟夫婦の修行しているケーキ屋へ。
弟も頑張っていて、義妹は相変わらず美人ですっかり看板娘になっていた。
海の見えるホテルで宿泊。スタッフの方々もいい感じで部屋に茶室が付いていた。
家族で日本戦を応援。パラグアイに惜敗。ありがとう日本代表!

30日
朝食の後、黒潮市場へ。観光客向けの市場でとても高かく、お得感の無い市場だった。
その後、弟夫婦の自宅へ。TVが大きかった。
午後は大阪の妻の実家へ。お茶を頂いて、妻と息子を置いて神戸へ皆を送る。再び、妻の実家へ。姉夫婦も来ていて、皆で食事。

1日
午後から墓参り。妻のお婆ちゃんと僕のおじいちゃんに一喜を紹介。命を繋げてきてくれたことに感謝。お腹が減って、モスバーガーが食べたくなり探したが、見つける事ができなくてマクドナルドを頬張る、久しぶりに食べたが美味しかった。
妻の前職場とDOORSに寄る。時間が遅くなり妻の実家に帰宅。

2日
神戸へ。
母に一喜を預けて、家探し。十場さんという知人に久しぶりに会う、相変わらず変な家族だった。家は見つからず。

3日
友人と神戸→姫路→小豆島へ昼前に到着。
ヘルシーランドというオリーブで化粧品やオイルを作っている知人を訪ねる。
小豆島の一角に作っているオリーブの森を案内して頂く。オリーブの木は可愛らしかった。
ホテルのような保養所に止めて頂き、夕食も美味しい食事までご馳走になる。
新しい出会いと至れり尽くせりに感謝。

4日
買い物。
友人が財布紛失。一斉捜索。昼頃に交番に訪ねると届けられていた。小豆島人大好き。
昼食に素麺。小豆島はオリーブと醤油と素麺が名産のようだ。
昼からてんつくマンのイベントへ。てんつくマンが覚えてくれていたのが嬉しかった。
映画を観る。何度見ても泣いてしまう。講演も聴きたかったが、時間が合わず神戸へ。
瀬戸内国際芸術祭が面白そうだ。

5日
一喜の休養。ゆっくり過ごす。
午後から家探し。

6日
家が見つかる。
マンションで3LDKの駐車場込みで7万5千円。今の家の倍以上。
現実は甘くなかったが、とても良い家。
早速、イケアにリサーチ。

7日
丹波篠山へ観光。
立杭焼の産地は、益子と全然雰囲気が違う。もっと場所を知りたい。
帰りに西脇の友人の所によって、神戸へ。

8日
結婚式用のスーツを買いに行く。
夕方からは大学時代の先輩で蜜香屋という焼き芋屋をしている友人がくる。
ボンポアンとコラボレーションして、新商品開発&イベント出展が決定。楽しみだ。
両親の話を聞いて、お金の事はシビアに考えないといけないと改めて思い知らされる。
想いだけでは継続する事はできない。ある程度利益を考えて計画する事が大切。当たり前か!?
友人は実家泊。飲み潰れた。

9日
帰る準備。家族で昼食を食べに行く。
買い物をして、大阪の妻の実家へ。
仮眠をとらせてもらって、夜な夜な車で栃木へ

10日
渋滞などにもハマり、昼過ぎに到着。
ヒジノワのオープニングに参加。


秋から住む家を探しに行っていました。
無事に家も見つかり、着々と新しい旅立ちというか場所へ少しづつ向かっています。
居れる間に栃木を満喫しつつ、早く次の一歩に向かって行きたい。
一先ず、妻と息子は大阪なので、2週間ばかり独身生活を満喫します。

2010/06/19

感謝

てんつくマンの上映会&トークライブが無事終了。
感謝の一言以外に見つかりません。

一緒に主催してくれたイイさん、ありがとう。
あなたが居なければ、きっとやらなかったでしょう。

仕事まで休んで参加してくれた皆さん。
一生懸命チケットを売ってくれた皆さん。
とにかく告知してくれた皆さん。
雨の中、一生懸命誘導してくれた皆さん。
沢山シャッターを押して、カメラを回してくれた皆さん。
書籍を沢山販売してくれた皆さん。
家でお米を炊いて来てくれた皆さん。
おむすびを握ってくれた皆さん。
お客さんの誘導をしてくれた皆さん。
託児で小さい子供のお世話をしてくれた皆さん。
遠くからミーティングに参加して下さった皆さん。
見えないところで準備して下さった皆さん。
片付けを手伝ってくれた皆さん。
打ち上げの準備・片付けを手伝ってくれた皆さん。
自分だけではなく、沢山の仲間に声を掛けて来て下さった皆さん。
ご覧頂いた皆さん。
いつも暖かい目で見守ってくれた妻。

本当にありがとうございました。
至らぬ点が多く、反省ばかりですが、今は感謝という気持ち以外見つかりません。
本当にありがとう。


今回は関西に帰る僕としては、益子への置き土産のような気持ちで主催させてもらいました。
てんつくマンが来てくれて、置いて行ってくれたものが、少しでも益子のハッピーに繋がるようになればと願っています。
学びの多い、上映会の主催となりました。

一先ず、感謝の気持ちを込めて、ありがとう。
YES WE CAN!

2010/06/17

仲間

今、てんつくマンの映画を見た。
ここまできたら、自分のやりたいと思った気持ちを信じます。

今回、上映をともに主催するいいさんをはじめ、力になってくれた仲間がなんと多い事か!?
ちょっと呼びかけたのが、知人も初めてあった人も含めて、スタッフだけで30名近く集まってくれた。

上映会をした事で感じた事は、頼らなければ力にはなってもらえないということ。
自分の甘さで手伝ってもらえるかな〜なんて甘く思っていた人達にはあまり手伝ってもらえなかった。反対にこの企画をしたんだけど、力になってくれないかと頼んだ人は大体力になってくれた。他人をアテにするのは甘え以外の何者でもないなと反省。
今回上映会を主催して、沢山の人の力を借りて、今後どんな事があっても頼られたら全力でサポートしようと思った。それは結局自分の仲間となり、力となる。仲間の事は自分の事だ。

知らないところで、知人が呼びかけをしてくれていたり、チケットを売ってくれていたりしている事を、思いがけない場所や人から訊けた事がとても嬉しかった。この人は本気で力になってくれていると確信できた。そんな人はやっぱり蔑ろにはできない。
人の繋がりはその連鎖なんだなぁと改めて思う。

他人を支えられる人間は、自分の足下が固まっている。
他人を支えられる人間は、沢山の人が力になってくれている。
自分の事ばかり見ていると、本当に小さな枠の中でしか泳ぐ事ができない。

仲間を増やす事は、自分の可能性を広げる事。
語り合う時間は、自分の行動を勢いづけさせる。
出会いに感謝。

2010年6月16日

朝からスターネットに行って、スタッフに映画の営業。
来てくれる人は、来てくれる。感謝。

その後、家に戻って朝食、ちょろっとヒジノワで取材に顔を出し、駅舎で機材の打ち合わせ。担当して下さったのが、別の部署の方で、「本当はここのスタッフができないと...」っという愚痴を言ってスイマセンと言いながら、おしゃべり。ついでに2人で映画の予告編を見たり、ヒジノワの話をしたり、年齢も近く、お子さんも小さいとか共通点がなんやかんやとあって、盛り上がる。近々新たな一歩を踏み出すとのこと。ヒジノワにも興味を持ってくれた。「今度ここにお茶しにきて下さい。」っと言われたが、どこにお茶する場所があるんだろうっと思いつつも、そのことばが嬉しかった。映画にも来てくれる!感謝!

打ち合わせの後、ヒジノワに戻ると取材が終わっていた。
「何か言いたい事が無い?」と仲間に訊かれた際に、「取材を受けた2人とも、気持ちは一つなので」っとポロリと言ったが、ポロっと自然に言葉が出たので、それが嬉しかった。

その後、お世話になった陶芸家の方にご挨拶と映画の案内。久しぶりにお会いできたのですが、体調が芳しくなさそうだったので、申し訳ありませんでした。

お昼は家で食べて、昼寝。
昼寝久しぶりにしましたが、頭がスッキリしますね。
しばらく昼寝を取り入れます。

午後は営業。
知人の養蜂家に挨拶と映画をお知らせ。生き生きとした顔で仕事の事を話して頂いたのがとても印象的でした。お忙しい中お時間頂き、ありがとうございます。
その後、宇都宮に行く道中、知人の木工作家さんのところに挨拶&映画。来週から東京で展覧会で製作で忙しい中、お話させて頂いた上、お茶まで出してもらった。感謝。

寄り道しながら宇都宮へ。ボランティアの支援をしている「ぽぽら」へ、映画の広告を。益子の人が明日明後日来るとの事で、渡してもらえる事に。「ぽぽら」はスタッフの皆さんが丁寧に挨拶して下さり、すごく気持ちが良い。僕も初めての取引先の人にちゃんと挨拶できていたかなぁっと思うと、なかなか知らない人には気持ちよく挨拶ができていないなぁと、反省。今度、ヒジノワの仲間と一緒に行って、いろいろお話を聞いてみたい。気持ちのいい人達の集まっている場所だから、気持ちのいい空気をもらえる。気持ちよかった!感謝。

お世話になっている農家さんに上映会のおむすび用のお米を買う。
帰りに知人のところを2件寄り映画の営業。嬉しい事に「さっき○○が来たよ。」「○○からFAXが送られてきた。」「明日○○がチケットを持ってきてくれる。」っという話を聞いた。見えないところで動いてくれている人がいる事に感謝。本当にありがとう。

明るいうちに帰宅。
久しぶりに一喜と明るいうちにお風呂に入った。
我が子ながらなんて可愛いのだろう。
映画が終わったら家族の時間を大切にしようと思います。
つらつらと今日の出来事を書いてみました。
嬉しい事の多い日でした。感謝。

2010/06/15

日本 VS カメルーン

日本がカメルーンに勝ちましたね!嬉しい!
次のオランダ戦も勝利を願い信じてやまない。

ワールドカップが始まる前から、今回の日本代表は...という声も沢山聞きましたが、僕はずっと期待していました。負けるとか思いながら応援して面白いのかなとも思う。

男だらけのワールドカップ観戦はなかなか楽しかった。

ここまできたら岡田監督の信念を通して、気持ちを一つに戦ってくれ!!
頑張れ日本!!!

2010/06/12

スターネット最終日

4年間お世話になったスターネットを本日を持ちまして、退社する事になりました。
4年間の日々と出会ってくれた全ての人に感謝。
いろいろ、ありがとうございました。

とても濃厚な時間
本当に好きな仲間
愛する家族
尊敬する多くの人
大切なものを与えてくれた第2の故郷益子

思い出せばキリが無い。

っということで
明日から福島の三島の「工人祭」!
会津に純ちゃんママの展覧会!
宮城蔵王温泉に!
仙台に「最後の最後のマンガ展」に!
歩に会いに仙台に!

5時出発! 4時起き!現在3:15分!!!!!
ひーっ!おやすみ!

2010/06/10

営業

今回、てんつくマンの映画上映を企画して、準備期間が約一月ちょっとで仕事の合間をぬって、準備しています。
週に一度しか休みがないもんだから、休みは営業活動。
超スローペースです。

お店にチラシ置いてもらったり、知人を訪ねて、話を聞いてもらったり...。
その中で知人を訪ねて営業をするのがとても楽しい。
映画の告知!っと意気込んでアポ無しで家を訪ねるのですが、行く先々でお茶を頂き、映画というより、ある種人生相談というか、教えを受けている事がほとんどだ。
営業するのが楽しいというより、お茶をするのが楽しいのかも...、家に押し掛けてお茶を出させて、教えを受けて、あわよくば映画に来てもらう。どんなアツカマしい男なんだ!?っというのは百も承知で、話を聞いて頂けるのがとても嬉しい。

上映会に来てもらいたい!っと思って家を訪ねて、てんつくマンの話を聞いて頂いてるのですが、一つ一つ手渡しで気持ちを伝えている感覚が気持ち良い。そんな感じでやっているもんだから、一件回るのに1時間くらいかけて回ったりして、一日が終わる頃には「あー全然売れてない!」みたいな。
でも不思議な事にそこに何の焦りも無いんですよね。


っというよりあと一週間でジタバタしても仕方が無いというか、このペースで渡していって来てもらえなかくても、やることはやったという気持ちがある。
っというのは強がりかもしれませんが、ここまできたら一つ一つ丁寧に思いを伝えていく事に徹しよう。

目標はあと50人に来てもらうこと!
皆さんご協力お願いしますー!

下の言葉

ちょっと前に言葉には、上(頭)から出る言葉と下(胸の下のお腹の底のさらに下...)から、出る言葉の2種類あるという話を聞いたという話を書きました。

それからずーっとその事を考えていて、自分の底にある言葉(感情)を探るような感じでいる。

素から(何気なく)出たような言葉が重なり合った時に、クリエイティブなもの(こと)が生まれるという話で、その素という部分が、下から言葉だ。

頭ではない自分の胸のモヤモヤのその下のお腹の底がう~んという感じの、自分ではハッキリしない自分の感情のような部分から出てくる言葉があって、その場所が下であればあるほど、その言葉はデリケートだ。

自分でも分からない自分の感情を探りながら、下にあるものを言葉にした時に、聞き手が「でもさぁ」とか「いや、そうじゃない」っといった言葉を発してしまった時、そのデリケートな言葉はさっと下に退いてしまう。そうしたら、もうその言葉は蓋を閉じてしまう。自分にも沢山心当たりがある。

その下のデリケートな言葉(感情)が出てくるには、聞き手の「待ってくれている」という安心感が必要だという。下を探っている間、自分のなかなか出てこない感情を早く出さなくては!?という焦りや、良い事を言わないといけない雰囲気があると、なかなか下からの言葉は出てこない。
そうではなく「あなたがどう思って(感じて)いるのかが、知りたいから待つよ。」という相手と向き合う空気や自分の意思がなくては、下から言葉は顔を出さない。
っという話。


僕の友人でファシリテーターをしている女性がいて、結婚式のプロデュースをお願いした時に、彼女と話をしていたら確かに心の意思を引き出せるような体験をしたことがある。
ファシリテーションって、その人の心を引き出す技術であるから、下の言葉と下の言葉が重なり合うシーンを演出し、クリエイティブなものが生まれるんだろうなぁ。

人の話を聞く事と自分の心の意志を伝える。
そのどちらもできている、できる人っていそうでなかなかいないし、自分が尊敬できる人はそのどちらも兼ねている人が多いなぁと改めて思う。

自分自身どちらも欠けているので、まずは自分の整理整頓をしなければ。

2010/06/06

言葉

堂々とまちがえろ!胸をはって傷つけ!

知人のブログにアップされていた言葉。
恐れる事は無い!
ほんの少しの勇気を振り絞る!

ぴゅーっ!!!

2010/05/30

よれよれのTシャツの似合う人

てんつくマンの上映会のプレス用の資料に、こんな一文を書いた。
「てんつくマンの活動は飾り気がない、僕はそこに心惹かれる。」
書きながら、そんな風に思っていたんだぁと気づいたのですが、飾り気のない素の状態って、究極だと思っている。てんつくマンのカッコよさは行動であり、言葉であり、在り方。見た目がカッコいい、おしゃれ、美学が云々、クリエイティブに溢れているというようなことは、皆無(っと言ったら失礼かもしれませんが)だ。

最近ではおしゃれで農業みたいな活動もあるみたいですが、畑や田んぼではカッコいいTシャツ着てもよれよれのTシャツ着ても、そんなに変わんねーよと思う。
よれよれのTシャツも着る人が着たらカッコいい。僕の尊敬する人の一人によれよれのTシャツ着て、汗だくになって、頭にダスター巻いて仕事をしているカッコいい人がいる。

てんつくマンにもそんな魅力がある。

益子に来て、益子の人は皆自分の生活を楽しむ事に貪欲で、皆豊かだなぁと思う。
自分の暮らし、自分の仕事、自分の場所、自分の仲間を大切にして、日々一生懸命だ。
そのスタンスは益子で一番学んだ事だと思う。

そんな益子の人に、国内外の植林やカンボジアへの支援、書き下ろし、映画監督など、完全に環境や他人のことを自分の仕事として活動するてんつくマンを皆さんどう感じるのかがとても不安でもある。楽しみでもあるけど。
自然の多い益子にいると環境問題や社会問題なんて、リアリティがないと僕は感じるのだけど、皆はどうなんだろう?

益子の人達やこっちで出会った人達と一緒に植林なんていけたら、楽しいなぁなんて考えたり。
とりあえず、上映会に沢山人に来てもらわなければ!

2010/05/19

継続

何事も始めることよりも、継続させる事のほうが難しい。

っとある人のメールに書かれていた。
僕もそう思う。
ヒジノワの活動も3年後、5年後、10年後も継続しているようなイメージを持ってやっていきたい。
が、僕が関われるのは9月まで。
何か寂しいというか複雑というか...。
その間に細くても長く継続していけるような足掛かりを作りたい。
6月のてんつくマンはその一つのきっかけ作りになればいいなぁっと思っています。

商いは、飽きずに続ける事が商い。
飽きない仕組みを作るのが、商い。

商売って面白いね。

2010/05/15

三日月と金星

三日月と金星
なかなか見る事のできない組み合わせで、とても素敵。


2010/05/14

てんつくマン

6月18日、益子でてんつくマンの映画「天国はつくるものパート2」&本人を招いての講演会を企画しています。
主催はさだはる&イイパン featuring ヒジノワです!
時間はあまりありませんが、動員目標は300人です!
まだ詳細が決まっていないので、決定次第またご連絡致します!

一先ず、予告編をご覧あれ!
本当に胸が熱くなる。てんつくマンってそんな人なんです! 

2010/05/11

名残惜しい

神戸!
久しぶりの神戸!
いつも帰ってきた〜っと思うから、やっぱり地元なんだなぁ。

今の自分の心境はもっと地元の事を知りたいという気持ち。
ずいぶんと知らないお店が増え、知人のお店が大きくなっていたり、相変わらずその人がいたり。
神戸に帰る事で神戸をもっと知れる。
関西をもっと楽しめる。
そんな思いがふつふつと。

仕事を今月一杯で終え、夏を終えた頃に神戸に戻る予定なのですが、仕事を終えてからの数ヶ月、早く帰った方が良いとか言われる事もあって、そうだなっと思うのですが、単純に益子から出るのが名残惜しいんです。
仕事なんだからとか、大人なんだからとか聞こえてきそうですが、名残惜しいから益子とお別れするのに時間が掛かる。最後に家族3人で益子を堪能したい。

益子から出るのも寂しい。
神戸に帰るのも楽しみ。
どちらも正直な感情。

2010/05/04

ボランティアって何なんだろうか?

っということを良く考えます。

自分の中ではボランティアの定義は曖昧でまだ良く分からない。
てんつくマンの植林でモンゴルに行ったときもボランティアだとは思わなかったし、アフガニスタンに行ったときもボランティアだとは思わなかった。ただ行ってみたかったから行ったっという感じ。実際にいづれも大切な経験ができた。

昨年、土祭の時もそうで別にボランティアだとか思っていなかったが、やたら益子の有志によってとか、皆ボランティアで作り上げている祭りといった打ち出しは違和感があったし、関係していた人間でさえ自分達はボランティアでやっているからなどと言うし、手伝わない人間の事をボランティアの意味を分かっていないとか言う人達もいた。

ボランティアなんて強制するものでも、皆ボランティアで参加しているなどと高々と声に出すもんでもないだろう。ギャラは出せないのですが手伝ってください。こんな面白そうな事ができますよ。やってみようくらいでいい。


僕が初めてボランティアという事を感じたのは、小学校6年生の時の阪神大震災だった。
幸いにも僕らは大きな被害にあう事は無かったが、当時ボーイスカウトに入っていたので炊き出しに行った先で、県外から沢山来てくれているボランティアの人達の印象が鮮明に残っている。とても頼もしく見えたし子供ながら有難さをひしひしと感じました。

きっと当時のボランティアの人は「しんどい」「負担が掛かっている」「大変」「あいつがやらないのに何で自分が」っといった事は決して思わなかったでしょう。協力したい、力になりたい、何とかしたいという人達が集まってきてくれた事だと思う。周りには亡くなっている方もいる、家が倒壊した方もいる、怪我している、そんな状況でそんな事は言えんだろうが、状況は違えど、ボランティアとはそういった事だと僕は思っている。


ヒジノワで現在開催している陶器市の企画も皆ボランティアでしていて、自分で時間を作り、自分の労力を費やし、ひとつの場を紡ぎあげている。なかなか参加できない事を残念に思いながらも、時間や労力を費やし動いてくれている仲間に感謝の気持ちでいっぱいだ。
実際に形ができてきて、やってみていろんな事が見えてきて、今後のヒジノワのできる事や課題、方向性、やる事が今回ハッキリすると思う。
負担だったという意見が出てくるのであれば「やりたくてやっている」「経験したくてしている」ことがボランティアという言葉でおさめる事がない。大切なのは継続できる事だよ。

まだボランティアという意味がよく分からないのですが、別に僕はお金をもらわずに行動する事をそんなに美しい事だとは思わない。

2010/05/01

世の中を良くしたい

今日、新入社員の女性が入社してきた。
とても気さくな方でいろんな経験をしてきているようで、話も面白く、良い空気が流れる予感。

話の流れで「何をしていきたいっというか目標みたいなものがあるんですか?」っと訊ねたところ
「世の中を良くしたいんです。まだその手法がわからないのですが...」っと答えられた。

なんかハッとした。
うまくいえないんですが、僕もそうなんだと思う。
自分のしたいことなんてあって無いようなもので、結局は誰かに喜んでもらえたり、自分の子供の為に良い環境を残していきたかったり、自分の根源にあるのはそういった事だと思う。

ただ、例えば環境保全、サスティナブルな○○や町づくりという事を掲げてしまうと、僕には何か腑に落ちない部分があって、一体それらは何なんだろうと思う。

現在、僕の関わっているヒジノワという団体もそうで「まちづくり」「益子らしい暮らし」「未来」「持続可能」というフレーズがコンセプトになっているのですが、それ自体まちづくりって何なのか?益子らしいって関西人の僕に何をすれば益子らしいのか?未来って今のことだよなとか?どうすれば持続可能な町になるのか?と自問自答しながら活動している。

何となく言わんとすることは分かるし、そうだよね大切だよねっと思うのですが、具体的にどうすれば益子らしいのか?どうしたら未来につながる持続可能な活動になるのか?が分からない。そんなことを代表者が言ってどうするっと思うのですが、本当に分からない。具体的な手法と明確な答えが無ければ、そういった言葉はただのきれいな言葉で終わってしまうような気がしています。

だからそんな事を考えながら、一先ず、楽しく、人と人が繋がる活動にしていこうと考えています。


僕も世の中を良くしたいと思うが、それは自分が楽しむ事での結果でしかない気がしている。
自分だけが楽しいなんてありえないから、関わっている周辺の人たちにも楽しいというか認めてもらいながら活動して、あわよくば同じイメージを共有して。

まずはヒジノワを楽しめる場所にしなければならないし、ヒジノワの活動が益子を揺さぶるような楽しさを波及させたいな。

2010/04/28

負けるな大人

頑張ろうぜ!大人!!


すごいよ!この子。
素晴らしいよ!この子のお父さん、お母さん。


誰もが子供の時には夢を持ち、平和を創造していたはずだ。
そんな事を創造していた子供は、大人になってどうしているんだろう?
現実や常識だとか言って、限られた選択肢を選ぶ事が大人になる事じゃないと思うんです。
いつに、どこで、どんなきっかけで夢や希望を無くすのだろう。
できるだけ未来につながる(そう)な選択をしていきたい。


負けるな大人!
カッコいい大人を目指そうぜ!俺!!

2010/04/23

素敵やぁー

素敵やぁー。
こんな映像を仲間や会社、家族で作れたらおもろいやろーな。


これも素敵。
作り方がわかりそうで、絶対作れない構成とクオリティ。

ものをつくるって面白いなぁー。
楽しい仕事がしたいなぁー。
ひでちゃん、じゅんちゃん素敵なプレゼントをありがとう。

2010/04/20

言葉

言葉には2種類あって、1つが上(頭)から出る言葉、
もう下(胸の奥や腹の下、腹の底、)から出る言葉。

下から出る言葉は、出る場所が深ければ深い程デリケートな言葉なのですが、
そこから出てくる言葉が合わさった時にクリエイティブな発想やものが生まれる。

っという話を聞いた。


僕は頭か胸の中くらいで話をしている事が多い。
同時に話すという事は、訊くということだとも思った。

2010/04/14

松井

胸が熱くなる。
スポーツの素敵なところは、見えない努力と見える結果。
ノンフィクションだけに感動も一入だ。

巨人は嫌いでしたが松井は好きでした。
松井はどこにいても愛される人物なんですね。
頑張れ松井!

2010/04/11

叱る。怒る。

厳しさと優しさは隣り合わせにあるものだと思う。
だから優しさを含んだ厳しい叱咤は、反省し心に響く。
そんな人に人はついていく。
人に厳しく接するなんて、なかなかできることじゃないし、僕はとりあえず甘ぬるい。
そんな厳しさを怒られているとか悲しい、うっとおしいと感じるのは甘いだけで、叱ってくれているという機会を無駄にしていると僕は思う。

「叱ると怒るは違う。叱るという字は口に手で匙を入れる絵から生まれた文字で、口から栄養を入れようとしている事を表している。」
という話をお客さんから聞いたことがある。

厳しさは好き嫌いでものを言ったり、自分の感情をぶつけたり、他人を見下したり馬鹿にしたりした物言いではないと思うし、そんな言葉は人を傷つけるだけだ。

2010/04/10

僕は明日の今頃死んでいるかもしれない

木村拓也元選手が亡くなった。
突然の悲報に驚き、とても残念で悲しく思います。

僕は特に木村拓也元選手のファンでもカープファンでもなく、アンチ巨人ですが、彼のような派手さはないが堅実な泥臭い選手は大好きだ。投手以外のポジションを全てこなした選手なんて聞いた事がない。彼のような選手がいた事はカープと巨人にとって、とても大きな財産だったのではないでしょうか。僕の野球の知識なんて阪神とオリックスとパワプロレベルだけど凄いことだと思う。

昨年現役を引退し、今年からコーチに転身して間もない試合前の練習中にくも膜下出血で倒れ死去。余計なことなのはわかっていますが、きっといずれ監督になりたかっただろうし、まだまだ子供の成長を見届けたかっただろうし、やりたい事や選手に伝えたかったことも沢山あっただろうし、何より本人が一番思いもよらない最後でワケもわからないまま天国へといったんじゃないだろうか。

死ぬ事に心の準備ができる時なんてあるのかなぁ。
若くしての突然の出来事すぎて、複雑な気持ちになる。

スポーツ選手で健康そうに見える人でさえ、突然倒れ亡くなってしまう。
これは決して他人事ではなく、つい自分には関係ないと思っていないだろうか?
僕も明日の今頃には、倒れているかもしれないし、事故にあっているかもしれない。

そうなった時に自分は何を残す事ができているかだと思ったです。物質的なものや記憶だけではなく、自分の周りの人が不幸にならないことも含めて考えていかないといけなくて、それが一人の大人としての役目でもある気がした。

「1000年生きるつもりで明日死んでも」
とにかく今を全うしなければならないなっと思ったのです。

木村拓也選手のご冥福をお祈り致します。

2010/04/01

習慣

帰郷マラソンに備えて、練習を開始。
家から職場までの7km程を走って通勤。

家を出て約3分で後悔。
謝って車で送ってもらおうかなとか、自転車取りに帰ろうかなんて事を考えてしまった。
5分もしないうちに歩き出し、100m走っては100m歩くといった散々な状態に...。
なんとか時間に間に合い50分で到着。
神戸まで帰るだなんて、なめるんじゃねーよっと声が降りてくる。

昨日は星さんの誕生日だったので、仕事後皆で御祝。
皆で星の冠をつくって、鍋をして、手作りケーキを皆で頬張る。
星さんが喜んでくれたのがとても嬉しかった。
僕は人を祝わせてもらったり、喜んでもらえたりする事がとても好きだ。


帰り今宵は満月がきれいだから、夜道も安心だし、荷物を置いて帰れば行きしなより楽に帰れるだろうと思い帰宅マラソン。
テクテク走って歩いて帰っていると、キーンっと左足のふくらはぎが悲鳴を上げた。
畑で囲まれた暗い夜道の中、つった脚をヒコヒコさせながら、近くの友人宅に駆け込んで、友人に車を出してもらい送ってもらう始末。
正直、ナメてました。いつまでも走れていた時代と同じだと思うなってことですね。
高田君、純ちゃん、ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。送ってくれてありがとう。


送ってもらう道中、高田君が「体力が落ちているっていうか、慣れだよね。」っと言っていて、走る事に限らず何事もそうだよなぁっと思った。
常に力を出す、出さない。
人の事をぶーぶー言う、言わない。
人の話を聞く、聞かない。

習慣とは、慣れから習うことであり、習うより慣れよともいう。
慣れる為には、一つ一つ意識する事で、習慣が力となる。全ては学びなんですね。

まずは歩かず7kmを完走すべし!

2010/03/23

言葉 - 受け入れる -

先端技術に対し無知である事を正当化する人は、自らの成長を妨げる  -孫 正義


どんな人(事)でも玄関先までは受け入れることが大切。
そこから先は自分で決めたら良い。
初女さんの言葉と重なる。

何事も一度は受け入れることが大切だということ。

2010/03/21

Curly Giraffe Run Run Run

こんな空気がとても好き。
マラソンする時のテーマソングにしよう。

CARAVAN STAY

CARAVANって名前も好き。
カッコいい。

動けば変わる

てんつくマンの講演です。話がおもしろい。
ヒジノワ主催で益子で講演&映画の上映会をやりたいと思っています。
アートや美学を語る人より、アートを別世界やったわーとか言いながら活動する彼に惹かれます。
人間らしくて素敵だ。

人を変えるのはシンプルで楽しい、気持ち良いと感じる心。
人を動かすのは揺さぶられるような感動。
動けば変わる。
てんつくマンの活動にはそれらをとても感じます。
益子でプロジェクトチームを作るぞい!

2010/03/20

栃木と神戸の距離

栃木から神戸に帰るときの帰り方を考えている。
益子に来たときから、ずっと頭の片隅に徒歩で帰りたいということを考えていて、それをどうすれば実現する事が出来るかっと作戦を練っています。

徒歩で帰るとどのくらい掛かるのか?
栃木と神戸は車で10時間程の距離で、車や電車なら検討がつく距離が自分の身体のスケールにおいて考えると検討すらつかない。
自分の身体のスケールって一体何なんだろう?という疑問を学生時代からずっと持っている。

徒歩だと1ヶ月位かかるんかな?など考えながら、岩崎弥太郎は江戸から土佐まで1週間で帰った(お~い龍馬では龍馬は確か10日~14日程だった気がします)という話を龍馬伝で見ながら、自分はどの位で帰れるのかなぁっと考えていました。

そういえばてんつくマンは自分に自信をつけるための最初の試みが1ヶ月連続フルマラソンだったなぁっと思い出し、走ればきっと自分も7日程で到着するのでは?などふざけた事を考えながら、歩いてひと月は妻に迷惑を掛けてしまうが、7日位ならきっと応援してくれる!かなぁ...っということでいつになるかわかりませんが、神戸に帰るときはマラソンで帰ろうと計画中。

ただ、走って帰るだけでは面白くないので財布を持たずに走って帰る。
そうすれば金銭的な負担も掛からない。
野宿や誰かの家に泊めてもらいながら、実現したい。

なんでこんなことをしたいと思っているのか、考えていたのですが、今後深く付き合っていくであろう第二の地元である栃木と地元神戸の距離が知りたい。ここでいう距離とはその間にはどんな場所があって、そこにはどんな空気が流れ、どんな人がいて、どんな風が吹いていて、地図ではわからない坂の数やその坂のしんどさ。車や電車では気付く事の出来ない距離の実感のこと。
財布を持たない事で自分一人というスケールを身に沁みて感じたくて、人は一人では生きていけず、いろんな人の力や助けを受ける行為(他人を当てにするわけではなく、自分一人ではどうしようもない状態)は、自分が人をより受け入れる行為に繋がるのではないかと。

これを実現できたらてんつくマンじゃないけど、自信を得る事が出来る気がしているし、もっと人に感謝の気持ちを持てる気がしている。
ようするに僕は自分自身と周りの人達をもっと好きになりたいんだと思う。

こんなアホなことを本当に実践しようと考えている自分が、とても好きだ。
これが形に出来なかったら一生後悔すると思うから、何とかして実施したい。
あとは実践する為に妻の理解と協力を得る事が必要なのですが、美幸さんどうでしょう?


大きな地図で見る
google mapで見るとこんな感じ。
徒歩で712 km – 約 6日 3時間
寝る時間を含めて一日12時間歩いたとしたら12日6時間位なんかなぁ。
走ったらやっぱり1週間だな。

2010/03/10

Pod cast

Podcastにハマっています。
最近のお気に入りは多摩美術大学の特別講義を公開しているtamabi TV。
特に中沢新一さんと細野晴臣さん、横尾忠則さんの話は興味深く面白かった。

中沢新一さんの本はこれまで何冊か読んだのですが、僕には難しくて断念したことが何度か...。
また読んでみよう。


細野晴臣・中沢新一
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id160049255

横尾忠則・中沢新一
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id258346560

高木正勝・長谷川祐子・中沢新一
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id266822132

佐藤可士和
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id263445755

川崎和男
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id334366281

2010/03/09

さよならTVくん

妻が出産を控えた11月末から、大阪から一月程来てくれた義親が暇をしないように知人からTVを借り、義親が大阪に戻ったあとも最近までTVを借りていました。益子に来てTVがなかったので、数年ぶりにTVライフを楽しみました。

TVとインフルエンザのおかげでキムヨナに圧巻されたオリンピックを堪能する事ができたのは嬉しかった。

TVを返して、この3ヶ月TVに結構な時間を奪われていた事に気付く。
行儀は悪いのは承知でしたが、ご飯を食べながらTVを見たり、朝弁当を作りながらみのもんたと小倉さんを交互に見たり、見て無いのにTVをつけたり(←これをよくしてしまう!)してました。
TVが部屋から無くなり少し寂しいくらいにしーんと感じるのですが、静かで家の向こうを走る車の音や一喜の声がよく聞こえるようになった。本を読む時間と空気が戻り、いろいろ考える事を考えたり、自分の事を考える時間が増えた気がします。


久しぶりに堪能したTVの情報や報道は視聴者をコントロールしようとしている印象を受けました。見ている側も何故、そんな情報を鵜呑みにするんだろうと感じる事は多く、信じる信じないというより、とりあえず話にのるっという感じなのか?それにしても報道されている多くのものが、誰かの手によって意図的に編集され、手招きされているような感じは僕には滑稽にも見え心地が悪かった。


自分にとってリアリティの無い情報を鵜呑みにしてたら、自分(の考えや意思)というものがどっかにいってしまう気がしていて、僕は自分で経験した事と見た事、感じた事以外に信じれる確かなものなんて無いと思っています。
っということで我家には、やっぱりTVはいらないなっと改めて思ったのです。


でも面白い番組もたくさんありました。
印象に残った番組
・神戸新聞の7日間(阪神大震災のドキュメンタリードラマ)
・NHKのドキュメンタリー「アルピニスト 栗城史多」(同い年の若い登山家)
・プロフェッショナル仕事の流儀「農家 金子美登」(静かで熱い農家の方、プロフェッショナルと情熱大陸は好きです。)
しゃべくり007「明石やさんま」の回(やっぱりさんまさんは面白い。堀ケンとの絡みが最高)
・バンクーバーオリンピック
・年末の「さんまとEXILEスペシャル」(少しEXILEを好きになった。音楽は聴かないけど)
・番組名は忘れたけど「名古屋の吉村医院」を取り上げていた出産の特集(一喜が産まれた直後だっただけに感慨深いものがあった。)
その他にも面白かったり、涙したり番組はたくさんあって、TVを十分に満喫できた3ヶ月でした。
岡崎さんありがとう。


結論としてはDVDは大画面で見たいので、プロジェクターが欲しい...。

2009年は経済破綻やら不況やら...2009年の「9」は苦しみの「く」
苦しみの後にくるのは充実の「10」だそうです。

9という数字の教えを教えて頂きました。
9→苦しみからは逃れられないという意味を持つようで、
9にどんな数を掛けても、その出た数字を足すと必ず最後が9になるんだそうです。
9×2=18→1+8=9
9×3=27→2+7=9
9×4=36→3+6=9
9×27=243→2+4+3=9
9×31=279→2+7+9=18 1+8=9
9×57=513→5+1+3=9
9×1982=17838→1+7+8+3+8=27 2+7=9
9×2010=18090→1+8+0+9+0=18 1+8=9
9からは逃れられない→苦からは逃れられない。
苦を乗り越えた先には充実の10が待っていて、桁が増えて大きくなる。

この話を聞いて驚いたのですが、苦しみや恐怖を乗り越えなければ充実は得られないという事なんだなぁっと思います。
今年は踏み出す勇気を持って、前進する年にしようと思います。

2010/03/05

Twitter

Twitterというものがどんなものか。
っということでTwitterを始めました。

sadahirokiで登録しています。
知り合いが全然居ないので、皆でTwitterやろーよー(涙)。
益子で流行らそう。(きっと誰もやらんなぁ。)

2010/02/09

笑う

昨日TVで癌の特集をしていました。
人間は毎日6000以上のがん細胞が産まれていて、ナチュラルキラー細胞というものがそのがん細胞を殺しているそうです。だからナチュラルキラー細胞が多い人は癌にならないとのこと。

っでそのがん細胞を倒すナチュラルキラー細胞を増やす方法が「笑うこと」だそうです!
これはつくり笑いでもOK!ナチュラルキラー細胞は増えるんだそうです。
作り笑いでもOKというあたりが素敵や〜、とりあえず笑えという事ですね。

「芸人は普段からおもろい人が多くて、一緒に飯を食いにいっても笑ってばかりやねん。だから吉本の芸人で癌になったっという奴は聞いた事が無いやろ。」
っと紳介さん。ホンマやなぁっと出演者が皆納得してした。


笑いが増える事で空気だけではなく、体にまで効果があるんだということを知りました。
笑う事って人間に与えられた特権だと思っているんですが、いつもニコニコしている妻の顔を見ながら「美幸は癌にならないね。」っと言ったら、「え〜何で〜!?」と笑いながら言ってました。きっと癌にはならないでしょう。
妻は顔の筋肉が弱いのか、いつも笑っている。病院にいって診察を受けている最中にお医者さんから「笑っているけど、本当にしんどいの?」と聞かれたり、ハローワークの受付で「幸せそうな表情をされていますね。」と言われたり、素晴らしいなぁっと思う。
奥さんの笑顔を曇らさないように頑張らなければ!

ちなみにナチュラルキラー細胞が減るのは体力の低下やストレスによるとの事。
病は気からといいますが、本当にそうなんですね。
まずは作り笑いから。

2010/01/30

孤独感と無気力

人は孤独感と無気力が重なった時に、心と体に一番ダメージを受ける。

「降りてゆく生き方」という映画のダイジェスト版で出てくる言葉。


僕にとって、とても考えさせられる言葉でした。
最近近しい友人が鬱と診断された。
ちょっと前に友人の一方的な言い分に腹を立て、あしらった態度を取ってしまった。
その行動で友人は別の人のところにいき泣いてしまった。泣かしてしまったんですよね。
数日後、その時の話を聞き、僕の態度に孤独感を感じ、居られなくなったっと言っていた。

その時の事とこの言葉が重なり、自分のとった態度をより反省した。
「優しさの反対は無関心」といいますが、人の話にはちゃんと耳を向け、しっかり聞かせてもらう事が自分には少し欠けていたなぁっと。

感情的になる前に耳を傾ける、傾ける事ができれば、傷付けずに受け入れる事ができたんじゃないかなと。
人としっかり向き合うことや、丁寧につきあうということをもう少し真剣に考えようと思います。
「降りてゆく生き方」見たいなぁ。

2010/01/29

ipad

ついにこの日がやって来た。
Appleが前々から噂されていたタブレットPCを発表したのだ。
昨年夏っという噂から年末に発売など、何度となくその噂を聞く度に胸を膨らませていた。

昨日Yahooで、タブレットPC発表の予定が今日であると聞いて本日PCを開くと同時にAppleのHPに。

「ipad」

カッコいーねぇ。薄いねぇ。そして、やっ安い!
この価格は予想外だ!
そして、今回もジョブスのプレゼンテーションにはやはり惹き付けられる。
http://events.apple.com.edgesuite.net/1001q3f8hhr/event/index.html
アバターより「ipad」の発表を見に行きたいなぁ。
英語わからねーけど、何となくわかった気になれるのが俺の凄いところだな。

なにより「ipad」。
早く触りてーなぁ。
これで電子図書の普及も間違いないんだろうなぁ。
紙の消費は減るけど、俺は紙をめくって本を読みたいなぁ。

最近、ようやく「iphone」の凄さをわかりだしてきたところに「ipad」。
「iphone」にしても「ipad」にしてもこれまでの概念を壊し、これからの未来を物語っているような気すらしてしまう。
一体、スティーブ・ジョブスの頭の中はどうなってんだろう。
こんな人もう現れないんじゃねーかなぁ。


それにしても「ipad」。
早く、触りてーなぁ。

2010/01/26

関根さんのホームページ

益子に竹で小さな虫の玩具や人形等を関根さんという職人さんが居る。
関根さんのお父さんも竹職人で籠やざる等を編んでいる。
ジャンルは異なるのですが竹を用いた職人親子だ。

関根さんに煤竹を使った新しい商品を作ってもらうための試作を作ってもらった。
流石の出来映えに脱帽。
職人の細かな仕上げや新たなアイデアを持って来てくれる姿勢に感動。
そういった姿勢は見習わなければならないなぁっと反省しました。
(ちゃんと行動に反映させましょう。)

打ち合わせ中の雑談で関根さんにホームページがあることが発覚。
なんと自分で制作されたそうだ。
サスケ(って言ってたかな??)ってソフトで調べながら制作したとか。
関根さんも大変だったいうのを聞いて、僕もウェブサイトを作る時は、初めは全く意味がわからない中、やりながら無理矢理覚えたのを思い出しました。

失礼ながらウェブとは全く異なる仕事をされているようにみえていたので、ビックリしました。
っでそのサイトを見せて頂いたのですが、何かとても感動した。

デザインが斬新、技術を駆使しているというサイトではないのですが、文章の一つ一つに関根さんの思いがぐっと入っていて、サイトの一つ一つを見ても、52歳の竹職人である関根さんが調べては頭を抱えながら制作されたんだろうなぁっという姿が目に浮かぶのです。

そういった一生懸命な行為やサイトを作ってまで伝えたかった想いの前に、デザインがカッコいいとか技術が最先端や斬新だとかそんなことは皆無だと思った。

そりゃ仕事で請け負ったり何かを伝える以上デザインやインターフェースは必要だし、そこが求められるものだと思うのですが、そことは別に作っている姿や込められた想いが垣間見れるデザインは感動する、そんな経験でした。

皆さんも見てみて下さい。
僕は知り合いだからいろんなことを感じたと思うのですが、素敵ですよ。
http://homepage3.nifty.com/takekobo/

ヒジノワのサイトもこの経験を大切にしよう。ユンディ頑張ろうぜ。
手抜き無く、心を注力するんだ!
それにしても関根さんのマルチっぷりには驚いたなぁ。


話が少し変わるのですが、最近自分を振返り、何か良い子になってしまったなぁっということをよく思います。何か人目を気にしすぎるようになったような気がして、益子に来る前なんかは自分が何をしたいかっという気持ちで行動していたし、人に想いを語ったりすることができた。何か熱が少し小さくなったなぁっと。
大人になったのか落ち着いたのか、どちらにしても熱は失いたくない!

今年は自分がどうしたいかいうことに耳を向けて、したいことをおもいっきりやる年にしようと思っています。

今年絶対に形にすること
1. 益子でてんつくマンの上映会&講演会
2. ヒジノワの形作りに疾走する。NPO団体にします!
3. 一喜を連れて九州に行く!(年を越すかなぁ??)

この3つは必ずします!

2010/01/20

思いの共有

1月17日は阪神大震災の起きた日で、地震を経験した神戸の人には特別な日だ。
僕にとってもそう。

僕の家や近しい人が幸いにも大きな被害を受けることは無く、食器が壊れたとか、棚が倒れたとかその程度でした。
そんなんやから震災で家族や仲間を亡くした方達が受けた被害や辛さ、傷は計り知れない。

そういう思いを震災には抱いていているので、変に言葉にできないでいる。
言葉にすると嘘っぽくなるというか、自分の覚えている感覚なんて震災に辛さをわかっていないに等しい。だから言葉(ましてや文章)にすることができず、この前の日記もご冥福をお祈り致しますっと記すのが精一杯だった。

震災の日に書かれた地元の同級生のブログやミクシーを読んで、皆感じていることや寂しさは一緒だった。
よく思うことなのですが、結局自分の感じているや思っていることなんて、根本は皆一緒だと思うのです。自分だけが感動しているとか感じているということなんてほとんど無くて、皆同じ感覚を共有している。「嬉しい」「気持ち良い」「素晴らしい」「楽しい」「悲しい」とか個人差はもちろんありますが、同じ経験から得る感覚の根本は皆共通しているんじゃないだろうか?(同じ感覚を共有している人達が集まるというほうが正しいのかねぇ?)

今回、震災で受けた悲しみや辛さは程度に差があれ、皆一緒の思いを抱いていた。
皆同じなんですね。


僕は当時ボーイスカウトに入っていて、震災から数週間後に被害の大きかった地域に炊き出しに行った。その時に県外のいろんな場所から来ているボランティアの人を見て、それが頼もしくもあり、有り難いとお世話になっていたわけではないのに感じたのをはっきり覚えている。
それがずーっと残っていて、ボランティアや環境問題に興味を持って、アフガニスタンにいったり、ボランティアに参加したり、ゴミ拾いをしたりするきっかけにはなった。

震災の前日に震災の時の神戸新聞の記者をとりあげたドラマを見て、いろんなことを思い出した。あの経験を風化させてはいけない、何を学んだんだっというメッセージが込められたドラマだった。
神戸に帰ったら、神戸新聞を頼もう。

もし、近隣の町で大きな災害が起きたら、力になりにいきたい。震災を経験して、ボランティアの人の背中を見たから感じていることなのですが、震災からそんなことを学んだ。
ボランティアはきれいごとではないっと僕は思う。

自分の感じていることをちゃんと感じていたい。
感じたことは形にしたい。

2010/01/17

1月17日

本日、阪神大震災より15年。
TVで震災の特集がイロイロやっていました。

当時、小学校6年生。待ちに待ったスキー旅行の数日前でした。
寝ぼけて弟が暴れているのかと思った中、父に起こされました。

あれから15年。
過ぎるとあっという間ですね。
15年経った僕は結婚して、子供がいる。

きっと15年後の42歳も同じ事を言うでしょう。
っと考えるとこれから先の15年なんてあっと言う間なんだろう。
一日一日が自分を築いていると思うと無駄には出来ないなぁっと思う。

震災で亡くなった方々にご冥福をお祈り致します。

2010/01/06

2010年となぁなぁ日記

あけましておめでとうございます。
今年も皆さんにとって幸せな一年でありますように。
どんな一年になるでしょう。


昨年は自分にとって、どんな一年だったかなぁっと振返ってみた。
本当に充実した一年で、相変わらず人に支えられていたなぁっと思う。

昨年は年明けから一年越しの結婚式(入籍は一昨年)の準備に追われていた。
ゆかりさんのおかげで6月に天川で神前式と神戸で披露パーティをすることが出来ました。
妻の妊娠が4月に発覚した為、仕事VSつわりで結婚式前に2人で話する事がなかなか出来ないの結婚式の準備。妻のイライラに脅える日々だったなぁ。
周りの協力を得て素晴らしい式が出来たなぁ。

仕事ではこれまでの仕事に加え、アーバンリサーチ&スターネットミュージックの営業担当になったなぁ。
結構大変だったけど、やっと良い形が出来て来た!
今年は仕上げまっせ!

5月には仕事で大阪—奈良とスターネットミュージックのライブツアーもあったなぁ。
くるみの木は良かった。
しぃちゃん家でご飯をごちそうになったなぁ。

下半期は妻の妊娠の為、大事をとってなかなか遠出したりしなかったなぁ。

結婚式の余韻が落ちついたと思ったら、土祭の手伝いが大変だったなぁ。
仕事が忙しい中、よくやった!良い仲間に恵まれたおかげ。
でも参加できて良かった。楽しかったっと思っていたらヒジノワが立ち上がる。
流れの中に居た僕はあれよあれよという間にコアメンバーに。
自分の生き方は常に流れ任せなので、流れに乗りながらやりますよー!

そして12月は一喜が産まれてくれた。
やっぱりそれが一番嬉しかったなぁ。
日々、成長していく姿が愛おしくて、こんな気持ちは初めてです。
一喜に会いに遊びに来て下さいな。


ざっと振返ってみると新しい仕事→結婚式→土祭→出産っと何かと落ち着かない一年でしたが、新しい出会いもたくさんありましたし、何より幸せを感じる出来事に包まれていた年でした。
今年は弟も結婚するみたい。
佐田家はめでたい事続きです。

今年も宜しくお願い致します。