2010/05/30

よれよれのTシャツの似合う人

てんつくマンの上映会のプレス用の資料に、こんな一文を書いた。
「てんつくマンの活動は飾り気がない、僕はそこに心惹かれる。」
書きながら、そんな風に思っていたんだぁと気づいたのですが、飾り気のない素の状態って、究極だと思っている。てんつくマンのカッコよさは行動であり、言葉であり、在り方。見た目がカッコいい、おしゃれ、美学が云々、クリエイティブに溢れているというようなことは、皆無(っと言ったら失礼かもしれませんが)だ。

最近ではおしゃれで農業みたいな活動もあるみたいですが、畑や田んぼではカッコいいTシャツ着てもよれよれのTシャツ着ても、そんなに変わんねーよと思う。
よれよれのTシャツも着る人が着たらカッコいい。僕の尊敬する人の一人によれよれのTシャツ着て、汗だくになって、頭にダスター巻いて仕事をしているカッコいい人がいる。

てんつくマンにもそんな魅力がある。

益子に来て、益子の人は皆自分の生活を楽しむ事に貪欲で、皆豊かだなぁと思う。
自分の暮らし、自分の仕事、自分の場所、自分の仲間を大切にして、日々一生懸命だ。
そのスタンスは益子で一番学んだ事だと思う。

そんな益子の人に、国内外の植林やカンボジアへの支援、書き下ろし、映画監督など、完全に環境や他人のことを自分の仕事として活動するてんつくマンを皆さんどう感じるのかがとても不安でもある。楽しみでもあるけど。
自然の多い益子にいると環境問題や社会問題なんて、リアリティがないと僕は感じるのだけど、皆はどうなんだろう?

益子の人達やこっちで出会った人達と一緒に植林なんていけたら、楽しいなぁなんて考えたり。
とりあえず、上映会に沢山人に来てもらわなければ!

2010/05/19

継続

何事も始めることよりも、継続させる事のほうが難しい。

っとある人のメールに書かれていた。
僕もそう思う。
ヒジノワの活動も3年後、5年後、10年後も継続しているようなイメージを持ってやっていきたい。
が、僕が関われるのは9月まで。
何か寂しいというか複雑というか...。
その間に細くても長く継続していけるような足掛かりを作りたい。
6月のてんつくマンはその一つのきっかけ作りになればいいなぁっと思っています。

商いは、飽きずに続ける事が商い。
飽きない仕組みを作るのが、商い。

商売って面白いね。

2010/05/15

三日月と金星

三日月と金星
なかなか見る事のできない組み合わせで、とても素敵。


2010/05/14

てんつくマン

6月18日、益子でてんつくマンの映画「天国はつくるものパート2」&本人を招いての講演会を企画しています。
主催はさだはる&イイパン featuring ヒジノワです!
時間はあまりありませんが、動員目標は300人です!
まだ詳細が決まっていないので、決定次第またご連絡致します!

一先ず、予告編をご覧あれ!
本当に胸が熱くなる。てんつくマンってそんな人なんです! 

2010/05/11

名残惜しい

神戸!
久しぶりの神戸!
いつも帰ってきた〜っと思うから、やっぱり地元なんだなぁ。

今の自分の心境はもっと地元の事を知りたいという気持ち。
ずいぶんと知らないお店が増え、知人のお店が大きくなっていたり、相変わらずその人がいたり。
神戸に帰る事で神戸をもっと知れる。
関西をもっと楽しめる。
そんな思いがふつふつと。

仕事を今月一杯で終え、夏を終えた頃に神戸に戻る予定なのですが、仕事を終えてからの数ヶ月、早く帰った方が良いとか言われる事もあって、そうだなっと思うのですが、単純に益子から出るのが名残惜しいんです。
仕事なんだからとか、大人なんだからとか聞こえてきそうですが、名残惜しいから益子とお別れするのに時間が掛かる。最後に家族3人で益子を堪能したい。

益子から出るのも寂しい。
神戸に帰るのも楽しみ。
どちらも正直な感情。

2010/05/04

ボランティアって何なんだろうか?

っということを良く考えます。

自分の中ではボランティアの定義は曖昧でまだ良く分からない。
てんつくマンの植林でモンゴルに行ったときもボランティアだとは思わなかったし、アフガニスタンに行ったときもボランティアだとは思わなかった。ただ行ってみたかったから行ったっという感じ。実際にいづれも大切な経験ができた。

昨年、土祭の時もそうで別にボランティアだとか思っていなかったが、やたら益子の有志によってとか、皆ボランティアで作り上げている祭りといった打ち出しは違和感があったし、関係していた人間でさえ自分達はボランティアでやっているからなどと言うし、手伝わない人間の事をボランティアの意味を分かっていないとか言う人達もいた。

ボランティアなんて強制するものでも、皆ボランティアで参加しているなどと高々と声に出すもんでもないだろう。ギャラは出せないのですが手伝ってください。こんな面白そうな事ができますよ。やってみようくらいでいい。


僕が初めてボランティアという事を感じたのは、小学校6年生の時の阪神大震災だった。
幸いにも僕らは大きな被害にあう事は無かったが、当時ボーイスカウトに入っていたので炊き出しに行った先で、県外から沢山来てくれているボランティアの人達の印象が鮮明に残っている。とても頼もしく見えたし子供ながら有難さをひしひしと感じました。

きっと当時のボランティアの人は「しんどい」「負担が掛かっている」「大変」「あいつがやらないのに何で自分が」っといった事は決して思わなかったでしょう。協力したい、力になりたい、何とかしたいという人達が集まってきてくれた事だと思う。周りには亡くなっている方もいる、家が倒壊した方もいる、怪我している、そんな状況でそんな事は言えんだろうが、状況は違えど、ボランティアとはそういった事だと僕は思っている。


ヒジノワで現在開催している陶器市の企画も皆ボランティアでしていて、自分で時間を作り、自分の労力を費やし、ひとつの場を紡ぎあげている。なかなか参加できない事を残念に思いながらも、時間や労力を費やし動いてくれている仲間に感謝の気持ちでいっぱいだ。
実際に形ができてきて、やってみていろんな事が見えてきて、今後のヒジノワのできる事や課題、方向性、やる事が今回ハッキリすると思う。
負担だったという意見が出てくるのであれば「やりたくてやっている」「経験したくてしている」ことがボランティアという言葉でおさめる事がない。大切なのは継続できる事だよ。

まだボランティアという意味がよく分からないのですが、別に僕はお金をもらわずに行動する事をそんなに美しい事だとは思わない。

2010/05/01

世の中を良くしたい

今日、新入社員の女性が入社してきた。
とても気さくな方でいろんな経験をしてきているようで、話も面白く、良い空気が流れる予感。

話の流れで「何をしていきたいっというか目標みたいなものがあるんですか?」っと訊ねたところ
「世の中を良くしたいんです。まだその手法がわからないのですが...」っと答えられた。

なんかハッとした。
うまくいえないんですが、僕もそうなんだと思う。
自分のしたいことなんてあって無いようなもので、結局は誰かに喜んでもらえたり、自分の子供の為に良い環境を残していきたかったり、自分の根源にあるのはそういった事だと思う。

ただ、例えば環境保全、サスティナブルな○○や町づくりという事を掲げてしまうと、僕には何か腑に落ちない部分があって、一体それらは何なんだろうと思う。

現在、僕の関わっているヒジノワという団体もそうで「まちづくり」「益子らしい暮らし」「未来」「持続可能」というフレーズがコンセプトになっているのですが、それ自体まちづくりって何なのか?益子らしいって関西人の僕に何をすれば益子らしいのか?未来って今のことだよなとか?どうすれば持続可能な町になるのか?と自問自答しながら活動している。

何となく言わんとすることは分かるし、そうだよね大切だよねっと思うのですが、具体的にどうすれば益子らしいのか?どうしたら未来につながる持続可能な活動になるのか?が分からない。そんなことを代表者が言ってどうするっと思うのですが、本当に分からない。具体的な手法と明確な答えが無ければ、そういった言葉はただのきれいな言葉で終わってしまうような気がしています。

だからそんな事を考えながら、一先ず、楽しく、人と人が繋がる活動にしていこうと考えています。


僕も世の中を良くしたいと思うが、それは自分が楽しむ事での結果でしかない気がしている。
自分だけが楽しいなんてありえないから、関わっている周辺の人たちにも楽しいというか認めてもらいながら活動して、あわよくば同じイメージを共有して。

まずはヒジノワを楽しめる場所にしなければならないし、ヒジノワの活動が益子を揺さぶるような楽しさを波及させたいな。