2009/06/30

言葉 —できる事—

金のあるものは金を出して
頭のあるヤツは知恵を貸し
力のあるものは身体を貸して
メシの作れるものは差し入れて
何もできないものは拍手をすればいい


山崎さんの言葉
できる事をしよう。
大切なのは奉仕する心だ。
頑張れオレ!

2009/06/29

愛し合っているかーい!

最近、もっぱら清志郎にハマってしまっている。
っというより魅了されている。


「愛し合っているかーい!」


美幸に問う。
「愛し合っていない。」と返ってくる。
結婚式はしたが、まだ片想いである事は変わらないようだ。
美幸は相手にしてくれないが「愛し合っているかーい!」と本気で問える人間になりたい。
そして、生まれてくる子供には「愛し合っているかーい!」「イエーイ!」と教えたい。
偉大なるアーティストの1人として、忌野清志郎を伝えたい。



愛し合っているかーい!

2009/06/22

梅の季節。
家の周りにも梅が実をつけはじめた。


横田さんという職人さんに梅をたくさんもらった。たぶん20kg近くあったと思う。
職場の皆も欲しいと言っていたので、持って帰ってもらったり、カフェで蜂蜜に漬けるのに使ってもらったりしたのですが、それでも沢山残った。


さて、この残った梅はどうしようか?
梅干しにするには痛み出しているし、梅酒につけか?瓶が無い、ホワイトリカーを買ってこなきゃならん、さぁどうしよう等々、考えている間に仕事もあって、結局ほったらかしにしてしまってた。
見兼ねた和子さんが「水につけてなきゃ、痛むじゃない!」とバケツを持って登場。ぱっぱっぱと洗って、その後水気を飛ばして、塩に漬けて、干してっと梅干しレクチャー。家で美幸が梅干しにしてくれてるからとか、痛んできているからとかいろいろと言い訳を頭の中に並べていた。
結局、湿気も多い事から痛みが激しかったので、煮詰めてジャムにする事に。
和子さんはパッと鍋を出して、さっと用意して、じっくり煮詰める。一晩置いて、今朝グツグツと煮詰めジャムに。うちのカフェのパンの付け合わせとスウィーツで使う予定。


テキパキする和子さんとボケーッと考える自分。
うーん。頑張れ俺。


梅の事一つとってみても自分は何も知らないんだなと知りました。
和子さんがいなければ痛んでいく梅を横目で見て、腐らせ捨てる事になってた。
もっと勉強せなアカンなぁ。いかにも素敵な生活を語るのは誰にでもできる。
そんなことより梅の事を一つをしっかり見れるようにならなアカンなぁ。
梅も自然の恵みです。
その感謝忘れるべからず。

2009/06/21

言葉 —感性を磨く—

先に何が作りたいかがあって、その為に技術を身につけていく。
技術がばかり身につけて、さぁ作ってごらんってなった時、何も作れない職人は多い。
だから職人が作ったものは面白くないものが多いんだよ。
技術なんて後からいくらでもついてくるから、その前に目的や感性を磨くとが大切なんです。


KINTAさんの言葉。
一概には言えないが、なるほどと思う。
自分が何をしたいか。その問いに耳を向けていますか?

2009/06/20

まんちゅー

大阪でアーバンリサーチで働いていたときの友人中馬さんが遊びに来てくれた。
1泊の予定が2泊。ノリは大切だなぁと改めて実感。


黒陶の植木鉢を生産している横田さん、アーティストの仲田智さん、元スターネットの高橋さんのレストラン「mikumari」、家具作家の高山英樹さん、そして益子町役場に秋に開催される土祭のミーティング、その後再び高山家。
僕が真面目に伺って、繋がって、遊でという感覚で昨年から始まった「サダツアーズ」というものがあって、そんなノリで益子とその周辺を案内。しゃべりすぎて睡眠時間3時間、飲みすぎによる2日酔いという最悪のコンディションでしたが、無事に案内終了。


中馬さんは面白い、というか自分と感覚が重なる部分がすごくあって気が合う。
僕がアーバンリサーチで勤めていたのは3ヶ月程だが、入社して3日目には「サダ君とは10年、20年経っても付き合っているんだろうなぁ」という事を言われた。その時自分も同じ事を考えていた。気持ち悪い。そんな中馬さんをずっと連れて行きたかった場所に案内し、会わせたかった人達に紹介できた。


ただ素敵な場所に行って、素敵な人に会って、素敵でしょって思い出づくりがしたいたいのではなく、その人に会ってもらう事で何を感じてもらえるか、自分が伝えたかった事を理解してもらいたいということを、自分の中で明確に持っていなければ楽しいだけで終わってしまう。
ただ楽しいだけという事をするのは簡単だ。


特に中馬さんには東京や大阪を行ったり来たりしている中では見えない部分に触れてほしかった。いろいろ行く中で見えた部分やそれぞれの感じた部分を何とか形にしていきたいと思っていて、今回はその入口。結局、雑誌や本、ウェブといった某体で何かを伝えていることは、実際に感じるという行為には劣る。

人に伝わるものとは何かを考えた時、100%の気持ちだと思う。
D&Dのナガオカケンメイさんのブログなんてその一例で、何かを伝えようとしたり、取材したりというよりは、自分はこう思っている感じたって部分を日記としていて、よくあるコーディネートされた素敵な記事や情報よりも、ストレートに伝わる。リビングワールドの西村さんのサイトもそうで感じる部分、共感したい部分がたくさんある。
そういった視点で見るとブログやウェブって、フィルターを掛ける事なく情報を発信できる素晴らしいメディアだと思うのです。


僕は自分と価値観を共有できる人達と話し合い、感じたシーンをたくさんの人と共有できないかと考えていて、まずは実験的にサイトを作ろうとここ半年ずっと思っているのですが、なかなかできなくて、ようやく中馬さんと最初のスタートラインを引いた感じ。
まだスタートすらしていない(笑)。


こんなペースでいつになる事やら。
ただ、面白い場所を作りたいと思っています。


中馬さんの面白そうと思う事には、すぐに反応するノリとフットワークがすごく良い。
高山家でのノリと馬場さんからの電話がきっかけで、当初は予定していなかった、この秋益子で開催されるアートフェス「土祭」のミーティングにも参加。古い建物を改装しギャラリーにするプロジェクトのボランティアメンバーに俺と美幸、たまたま東京から遊びに来ていた中馬さんが祭りに参加するのが面白くて、意味がわからない(笑)。
昼間に会ったアーティストの仲田さんと家具作家の高山さんに、中馬さんが一緒になって、8月に皆でペンキ塗りと土間作り。縁ってこういった事なんでしょう。


僕は人と人、人と場を繋げたり、結び付ける事がすごく大切で、何かが生まれる表れる瞬間ってそういったところにあるんじゃないかと思っている。
少なくとも今回は新しい繋がりが生まれた。続いていくか行かないかは別として。
皆濃い人達ばかりだから面白い形に発展していけばいいな。


これからどうなっていくのでしょうか。

2009/06/14

もやもや

日々、迷い、変わり、戻りをくり返しながら少しづつ前進しているのかなぁっというのが、現在の心境。


今日は合田さんが東京から来た。
合田さんはある音響の製作会社を5月で退社した人なのだが、以前馬場さんから冗談まじりに「養蜂をやってみたら?」と勧められ、「そんな生き方もあるのか。」といろいろと思う事があり、養蜂の話を聞きに来たという。その話がどうなったかはさておき...


少し時間が取れたので、お茶をしながら面白い話を聞いた。
何かが出来るというプロフェッショナルがたくさんいて、それがそれぞれ仕事として成り立っていて社会が築かれているが、それをまとめる役割という人間が必要となってくる。
簡単にいうとそんな話の本があるとのこと。


益子に来ていろんな事をしている。
ウェブの仕組みを覚えて、オンラインショップを作ったり(結局うまくいかなかったが...)、カフェで皿洗い、珈琲やドリンクを作ったり、ギャラリーの担当になって展覧会のディスプレイもできるようになったり、卸しや営業の担当になったり、いろいろやらせてもらったおかげで間違いなく幅は広がったと思うが、突き詰めてみれば中途半端のようにも見える。


その話をしたら、幅広くいろんな事ができるというのもイイんじゃないかと。
そんな事は百も承知なのだが、ここに来ていろんな人に同じような事を言われる。
自分が不安に思い、弱点のように思っているところも他人から見れば、そうでもないのかもしれない。考え方・やり方次第では力になっていくんだろう。


芸大でスペースデザイン学科だった僕は、そこで建築やデザインの大枠、歴史を学んだ。
僕のいたスペースデザイン学科がいくつか下の代からライフデザイン学科という名になった。
ある時、ライフデザインって何なん?と思った。


畑をして食物をつくり、梅干しや味噌を作ったり、柿や大根を干したり、筍を掘って来たり、山菜やきのこを採って来たりする田舎の人を見る度に「暮らし(ライフ)ってこうだよな。」と思う。都会での暮らしを否定しているというのではなく、暮らしの原型は田舎にあると思うのです。
空間やインテリア、家具、家電、日用品をデザインするのが、ライフデザインなのか!?
僕はそうじゃないと思う。


それをどういった形に仕上げていくかが、これからの課題なのだが、合田さんの話は何となくヒントになりそうな気がした。
その事を書いた本を紹介してもらって読んでみようと思う。
結局、また何を言っているのかはわからない。

2009/06/12

余韻

神戸から帰って来て、家で奥さんとウェディングパーティーのビデオを見る。
まだ、あの至福感が抜けず、2人であれが良かった、これは最高だったといった事を何度も同じように話をしている。こんな感覚は初めてかもしれない。
未だにあの時、あの瞬間、あの場所で、あの人達に...そんな想いが溢れ出てくる。


しばらくこの感覚は抜けないだろうなぁ...。


昨日の日記にも書いたが、素晴らしいウェディングパーティーを催すことができたと思っている。これもユカリさんをはじめ、力を貸してくれた人達のおかげだ。


この至福感の余韻は何なんだろうか?
何とも言えない満ち足りた気持ち。
こういった想いになる事は滅多に無い。
きっと来てくれた人も僕ら程ではないにしろ、どこか至福感の余韻をもって帰ってくれたんじゃないだろうかと勘違いしたりしている。
どうであれ、いろんな人がすごく良いウェディングパーティーだったと言ってくれたこともすごく嬉しいし、メールをくれた友人、手紙をくれた人もいて、来てくれた人達も喜んでくれたと思っている。



形にはない確かなものっていうものがあって、この至福感もそう。
そういった至福感の満ちる想いや余韻の残る感動、心が重なるような体験や実感を共有できる仕事を、これから自分のしていく事で形に出来ないかと考えている。


今回のウェディングパーティーでの時間は僕らの中に刻まれた。
これまでの小さな経験の中でもそうで、初めて1人のフランスでコルビュジェのロンシャンの教会を見た時の記憶や、てんつくまんの植林でモンゴルに行ったこと、アフガニスタンに行った時の印象は鮮明だし、ゴミ拾いをして集まってくれた仲間がいた事も、閑谷学校の空間の間合い、小学生の時に知人の田植えを手植えで手伝った事等、多くの感動の余韻は現在の原点だ。
少し振り返っただけでも多くの余韻が現在の自分を築いている事に気付いた。


余韻が残る程の感動って、様々な条件が重ならないとできなくて、その条件を作り揃える事がプロデュースやディレクション、プランナーという仕事なんだろうなと、ユカリさんを見ていて思った。


ものづくり=場づくりという仕事を作っていこういう僕には、すごく考えさせられることだ。
まずは中馬さんとwebで「場」を作ろうと思っている。
来週、わざわざ来てくれるから、一緒にどこに連れて行こうかと考えている。
どうなるかまだ未定だが、結構楽しみなプロジェクト。
その前にせなアカン事は全部終わらそう!



何はともあれ、先日のウェディングパーティーは素晴らしい時間を多くの人と共有する事の出来た喜びは僕らの心に響き、僕と美幸には永遠の時間となった。
今、横で美幸が結婚式のアルバムを見て「いいなぁ、いいなぁ結婚式!」と言いながら床についた。彼女は今夜良い夢を見る事でしょう。


何度も言わせて頂きますが、これも祝ってくれた皆さんのおかげです。
本当にありがとう。

2009/06/08

結婚式

6月5日 奈良の天河大弁財天社にて神前で結婚式。
6月7日 神戸にてウェディングパーティー。

昨年末に決めた結婚式のスケジュールが一段落。無事に終わってほっとしています。


自分で言うのもなんですが、天河での式も神戸でのウェディングパーティーも、すごく良かったと思っている。何より僕達自身すごく満足していて、至福感に満たされている。


今回のウェディングパーティーには総勢116名の人達が参加してくれた。
沖縄から、九州から、栃木、東京、名古屋、京都、大阪、丹波、神戸.....
これだけの人が、いろんな場所から来てくれた。それだけで幸せだと思えます。


今回のパーティーは、大学の友人のユカリさんが疾走してくれ、多くの人の力を借りて(巻き込んで!?)一つの場所をつくってくれた。ウェディングパーティーをすると考えた時、真っ先にユカリさんが思い浮かんだっというより、ユカリさん以外にウェディングをプロデュースしてほしいと思える人が居なかった。
ユカリさんに電話で頼んだ時、ユカリさんはまだウェディングのプランニングの仕事をしていなかった。っというよりユカリさんが現在のウェディングの仕事の面接を受けた翌日に電話で「ウェディングパーティーのプロデュースをしてほしい」とお願いしたのだ。お互いに変な縁のような巡り合わせに驚きながらも「これはするしか無いな」と言ってくれた。まだウェディングの仕事を採用になった訳でもないのにいろんな事が決定していた。
ウェディングの打ち合わせをしたのは1度だけで、あとは電話でのやりとりだけ。
僕の事をよく理解してくれている人だから何とか素晴らしい形に作り上げてもらう事ができた。
ユカリさんありがとう。


ユカリさんだけではなく沢山の人が力を貸してくれた。
天河から神戸まで同行してくれたカメラマンのアコッペは1000回以上シャッターを押してくれた。
本当に素晴らしいドレスを貸してくれた和子さんは、夜な夜なドレスを美幸の身体に合わせてくれた。
馬場さんに乾杯をしてもらえたのも嬉しかった。
ブーケや重要なお花の準備は、弟の彼女の美希ちゃんが用意してくれた。素晴らしいブーケだ。
ウェルカムボードは益子の作家のはじめ君が作ってくれた。次は家で使わせてもらう。
パーティーの素敵なプログラムは1週間前に、急なお願いにも関わらずコモチが製作してくれた。
引き出物のラッピングはボンポアンの川口さんと寺本さん、そして母がしてくれた。
壊れてしまったがケーキのクロカンブッシュは、父と弟の貴士が作ってくれた。美味しかった。
音楽はいろのみの曲を使わしてもらった。
そして、116名の人が時間とお金に都合をつけて、来てくれた。


本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。