2009/12/16

一喜

昨夜はお七夜でした。
子供の名は、一喜(いつき)です。

お七夜なので命名を書くのですが、益子の造形作家キンタさんに字を書いて頂きました。
カピカピの筆と木くずだらけの瓶に墨汁を入れてささっと書いてくれたのですが、肩に力が入っていない感じで、さすがの出来映え。


字をどうしようかなぁっと考えた時にパッとキンタさんが頭を過ったので、お願いしたところ快く引き受けて頂きました。

キンタさん曰く、書と書道は違うとの事。
これまでそういった考え方をした事が無かったので、そーなんだぁと考えさせてもらった。
まだまだ勉強が足らんですね。
書は遊べるが、書道は読めないといけないそうです。今回はその間仕上げて頂きました。

キンタさんは遊び心と創造でものづくりをしているから、肩に力の入っていない作品が生まれているんだろうなぁっと、生意気ながら思ったのです。


キンタさんありがとうございました。
また子供が出来たら、お願いします。コーヒーと蜂蜜で。
感謝!

2009/12/11

生まれた!

12月8日(火)7:55。
3484gの男の子でした。

妻と子供が頑張ってくれました。
本当にお疲れ様でした。
僕は指を加えて見ていただけなのですが、生まれた瞬間に涙が溢れてきました。
産んでくれて、ありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。

産まれて4日目が経ち、みるみるうちに顔がしっかりしてきて人間らしくなってきました。
僕に似て!?とても可愛いんです。

2009/12/03

もうすぐ愛息が生まれので、妻の両親が来てくれている。
しばらくこっちでいろんなサポートを頂けるのが、とても心強い。

この時ばかりは、普段しっかり者の妻も娘になる。
お義父さん、お義母さん、妻をみていると、親って偉大だなぁと改めて思う。


少し前に親父が来てくれた時に「もうすぐお父さんなんやから」って言われたのが変な感じだった。照れくささと嬉しさと寂しさが混ざったような変な気持ちでした。


尊敬する山崎さん、高田さんが言っていた言葉
「親になるのは簡単、誰でもなれる。でも親であり続ける事は大変だ。」
胸に染みる言葉。

自分も親になる。

2009/11/27

河合寛次郎展 −河合の真実−

本日、益子陶芸美術館で開催されている「河合寛次郎展 −河合の真実−」を見てきました。
これだけ多くの河井寛次郎の作品を一同に見るのは初めてで、本で見ていた作品や噂では聞いていた河井寛次郎の木彫など...益子陶芸美術館のこれまでの催しの中でも一番気合いの入った展示だったように思える展示で、素晴らしかった。

僕は民芸や河井寛次郎を人に語れるほど、理解と認識がある訳ではないので説明はできませんが、単純に素晴らしいものがずらりと並んでいました。
河井寛次郎は現在においても陶芸家というものを通り越した仕事を残していた。
余りにも多くの技術とアイデアの豊富さに常に実験・試行錯誤し続けた探究心。

何か真新しい事をする事の斬新さではなく、時代の流れの中で新しい価値や答えを見いだして、次の時代に繋がる土台を作った、当時の新しい事をが河井寛次郎をはじめ、柳宗悦、浜田庄司の生み出した民芸という価値観なんだろうな。

形はどうであれ、今も受け継がれる民芸という価値観。
学ぶべきとこは多いなぁと改めて思うのです。
益子にいるのだから、しっかり勉強せねば。


河井寛次郎の有名な「仕事が暮らし、暮らしが仕事。仕事と暮らしは一体である。」言葉があります。自分の仕事と暮らしが一体になっている訳ではないし、仕事と暮らしを一体にしようと思っている訳でもないのですが、「仕事」と「暮らし」に「場所」というものは繋がっているような気がしていて、これからはそのバランスのとれた所を探そうとしているんだと思う。
その中心にあるのはきっとこれから築かれていく家族なんだろうね。


河井寛次郎展。明後日までです。

2009/11/22

プーラン・デーヴィー

先日、車のTVでプーラン・デーヴィーというインドの女性政治家の短いドキュメンタリーを見ました。
10分ほどの間だったのですが、その激動の人生にとても考えさせられた。

彼女の生い立ちですが、
1963年 シュードラというインドのヒンドゥー教における最下位のカーストに生まれる。

身分の高い金持ちの男が、「嫁に貰ってやる」と連れて行かれる。
金持ちの男は身分が高かったため、両親は何も抵抗が出来ず、11歳で結婚。
嫁ぎ先では家畜小屋に住まわされ、虐待に合った末に婚家から追い出される。
夫に捨てられたプーランは村人から「村の恥」と罵られる日々、村人からも虐待に合う。

ある日、暴漢に襲われ強姦されそうになるところを盗賊団に助けられる。
助けた男は同じ身分シュードラで、ヴィクラムという名の盗賊だった。
ヴィクラムに誘われ、そのまま盗賊に入る。21歳。

やがて、プーランは盗賊として頭角を現し、身分の低い貧困層を虐げる金持ちだけを狙って犯行を重ねた。貧しい者には盗んだ物を分け与える盗賊団であった。
盗賊団のリーダー・ヴィクラムと2度目の結婚。

幸せを掴んだかのように思った矢先、盗賊団の反逆者の裏切りによってヴィクラムが殺害される。(身分の低いヴィクラムがリーダーだということが気に入らない仲間による裏切り)
村の男達に輪姦され、一月以上に及ぶ虐待を受ける。

自分に手を出した村の男達に復讐、22人を殺害し、インド及び国際的に悪名を轟かせる。
盗賊団を裏切った盗賊たちを追うが、相手の死を知り、自ら民衆の前で投降した。
この時、プーランを見ようと集まった民衆は数千人。貧しいものからは拍手が起こる。
貧しいものにとって、プーランは英雄だった。

11年間投獄される。が、そこは彼女の人生で初めて身の危険を感じない場所だった。
自分と向き合い、自分のような人間が現れないような社会をつくろうと釈放の後、政治家へと転身。
差別廃止のために尽力する。

2001年7月25日、ニューデリーの自宅前で射殺される。


以上が彼女の簡単な生い立ちなのですが、想像がつかない人生です。
虐待やら差別やら時代は違えど、悲しくなります。

この話を見て、すごいなぁと思ったのは彼女を支援したインドの国民です。
日本なら間違いなく前科があるっという理由で当選することはできないでしょう。
彼女が犯してしまった真実を理解し、支援することの器のでかさというか...。
20人もの人を虐殺したことから、彼女は更生し、差別と戦う決心を支える力。
決して、彼女が犯してことは許されることではないと思います。
彼女に殺された人達の家族たちはそんな事を言ってられないでしょう。
それだけ差別に苦しんだ人が多かったのでしょうが、彼女の活動はノーベル平和賞の候補になったそうです。


日本では、少し前に逃亡中の容疑者が逮捕されました。
逮捕され、搬送されている途中の東京駅で多くの報道陣が彼の顔を撮ろうと集まり、中には彼の顔を隠している服を剥ごうとしている人がいるのをみて、気持ち悪いと思った。
TVをつけてニュースを見ると悲しいニュースが圧倒的に多い。こんなニュースばかり見ていたら、そりゃ犯罪も増えるっというか病気になる。顔が見たくなる野次馬心もわかりますが、犯罪を犯した人間にだって人権はあるし、それを守るのが社会であってほしい。これはきれいごとだろうか?
第3者だからそう言えるのですが、犯したことを責めるより、犯した事を償うことを願いたい。


人は過去を背負い生きていて、傷つけたり、傷ついたり、間違ったりして、それを悔やみ、反省し、改心して進んでいて、結局その人が今何をしているかだと思うのです。
過去を悔やみ、それを払拭しようと生きている人間に「前科」があるからと判断することは、どうなんだろうか?偏見をもたないのは難しいとは思いますが、僕は繰り返さないことの大切さを知り、決心がある人は信用したいと思うのです。
自分自身、繰り返してばかりいないで、日に新たに精進していかなければ。

2009/11/16

Michael Jackson This is it

マイケル・ジャクソン This is it をようやく見てきました。
良いいう噂を聞いていたので楽しみにしていたのですが、素晴らしい映画でした。

夏に開催されるロンドン公演のリハーサルの様子を編集しただけなのですが、そのリハーサルという舞台を垣間見ることができたのはすごく貴重な体験でした。
マイケル・ジャクソン本人のプロ意識の高さ、コンサートに関する想いの入れよう、彼の謙虚さと感謝を忘れない対応、共に仕事をするスタッフに誇りを持たせるカリスマ性、自分の音楽を知り尽くしかつさらに発展させていこうとする姿勢...。あれだけ多くの人を惹き付ける理由の一部を垣間見たような気がしています。

背伸びして洋楽を聴き漁っていた中学〜高校にかけて、マイケル・ジャクソンが好きで、ずっと聴いている時期があった。最初は「フリーウィーリー」というシャチの映画の主題歌になっていた曲がすごく優しくて今でも一番好きな曲なのですが、そこが僕のマイケル・ジャクソン好きが始まりました。

マイケル・ジャクソンはKING OF POPと言われますが、僕の中ではROCKです。マイケル・ジャクソンの曲はとても構成が複雑なのに、シンプルでカッコいい。曲の途中で「フォーオ」とか「アー」とか叫んで曲を締めるというかカッコよくしちゃう人はこれから現れないでしょう。あのファンキーさはヘタなパンクバンドよりロックンローラーだと僕は思っている。
マイケル・ジャクソンのライブのバックダンサーも世界中から一流の人達が集まりダンスもすごいのですが、やっぱり一番キレキレなのはマイケル・ジャクソンなんですよね。マイケル・ジャクソンのダンスは本当にカッコいい。ダンスがうまいとかだけではなく、ただただかっこいい。

今回の映画を見て、マイケル・ジャクソンは人を愛し、自然を愛し、地球を愛した愛の使者だと僕は思いました。生前は整形やら何やらで避難されることが多かった人ですが、少なくとも彼が暴言を吐いたり、人を避難し、中傷しているところは見たことがない。そりゃ知らないだけだとは思いますが、それでも彼は「I Love You」といつも言っていた。

僕も日常の小さなことをグチグチ言わず、感謝と「I Love You」でいきたいと思います。

人を感動させ、人を幸せにさせたマイケル・ジャクソンはもういませんが、彼はたくさんのものを残してくれました。
DVDが出たら買いたいなぁ、持っていないCDを買いたいなぁ、ムーンウォークの練習をしないと!そんな気持ちになる映画でした。

ありがとう。I Love You.

2009/11/13

近況報告

ぼんやりと書こう書こうと思いながら、続かない日記。
また、続くまで続けていこうと思います。

近況報告。

もうすぐ愛息が生まれ出てくる予定。
無事に生まれてきますように祈る日々。
名前を何にするか悩む日々。
妻のお腹が日に日に大きくなり、尊敬する日々。
所詮、男は何もできない。
予定日は12月4日とのこと。


益子での開催された「土祭」というアートフェスタ。
僕が担当、お手伝いさせて頂き、古民家を改装した「栃木緑建」というギャラリーをどう活用していくか?考え中。
有志を集め、ヒジノワというチームを立ち上げたが、運営方法を模索。

ヒジノワもそうですが、調べると地域活性という活動がとても増えている。
都市のノウハウを地方で活かし、アートやデザインを切り口にしているところが多く、面白いなぁと見ているのですが、逆に都市の人達でも活かせる地方のノウハウもたくさんある。
お互いの良いところの間をヒジノワで実験的に模索してみたいと個人的に考え中。
自分がどこまで力になれるのか?こちらも考え中。

参考になりそうなサイト。
倉敷の「krash JAPAN」。ここのサイトはよくできていて、かっこいい。
http://www.krashjapan.com/

新潟の「新潟空艸社」。F/styleも参加。
http://www.kuu-so-sha.com/

徳島の「in 神山」。リビングワールドも携わっている。
http://www.in-kamiyama.jp/


益子での生活も4年目。
仕事も順調で、忙しいけど何かと楽しんでいます。
子供も生まれることもあり、節目の時期だなとも感じています。

いつも思っていることですが、自分の至らなさや不甲斐無さを日々感じて少しでも何とか頑張ろうと、形にしようと悪戦苦闘する毎日。
しっかりした大人にならにぁーならん。

今から産婦人科に行き、我が子と話をしてきます。

2009/09/23

貧乏

失敗と貧乏をくり返しているといろんな事がわかるんだ。


山崎さんの言葉。


貧乏と貧乏臭いのは違う。
貧乏でも貧乏臭くない人はカッコいい。

2009/08/28

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか / 内山節
千利休 無言の前衛 / 赤瀬川源平
超芸術 トマソン / 赤瀬川源平
働かない人。 / 左京泰明
自分の仕事をつくる(文庫版) / 西村佳哲
感動を作れますか / 久石譲
南方熊楠—地球志向の比較学 / 鶴見和子
デザインするな / 宮田識
素直な心になるために / 松下幸之助
奇跡のリンゴ / 木村秋則
ジョブズ VS. 松下幸之助 / 竹内 一正
エフスタイルの仕事 / 五十嵐恵美
私は夢中で夢をみた / 石村由起子
南方熊楠 / 水木しげる
へうげもの / 山田芳裕


今年になってから読んだ本と漫画。
月に1冊程のペースで本を読んでいます。
そのくせ読みたい本と読む本は月に10冊は増える(が、買えない)。ゔ〜ん。

2009/08/21

ライトニング!

ただ、走っているだけなのに、何故こんなにスゴいんだろう。
人をこんなに興奮させ、感動させるなんて...。何故、走っているだけなのに...。

ライトニングボルト。
ボルトの世界記録は彼以外の人間に、しばらく更新されないやろ。
まだ若干22歳。次のオリンピックでも25歳。



2009/08/13

自分の仕事

先日のエフスタイルの続きになりますが、エフスタイルはよく「自分の好きなことが仕事に出来ていいね。」といったことを言われるそうです。本人達曰く、好きなことをしているつもりはないとの事。

「どんな仕事、ことでも”自分のもの”になった時に周りから好きなことや自分の仕事に見えるのかなぁと思うんです。」と話してくれた。



その通りだと思った。
どんな仕事をしていても、今しているコトを自分のものにすることが、自分の仕事をつくるということの窓口である。さらにそこから誰でもいける一線を越えることができるかできないかが、一流の仕事になるんだと思う。

僕は今、主となる仕事は営業だ。
やったことがないから分からんことが多すぎるし、誰も教えてくれる人もいない。そこは不安にもなり不満ともなっているが、それを自分のものにするのは結局のところ自分だ。

目の前の事を自分のものにする。
うー〜ん。
簡単なことではないが、そうすることで仕事がもっと楽しくなりそうだ。
頑張ろう!

2009/08/09

エフスタイル

という女性2人によるデザインオフィスが新潟にある。
スターネットでも商品を扱わせてもらっているので、連絡をしてお邪魔する事ができた。


エフスタイルは大学を卒業して間もない頃、ひょんな事から自分たちで物を作り、行商し、自分たちの仕事を作っていく道を選ぶ。新潟を中心とした地場産業から自分たちの製品を作り、全国のお店に卸している。商品の企画から梱包、流通、経理まで全て2人で運営している。初めは納品書の書き方も分からず、取引先に教えてもらいながら、確実に一歩一歩歩みを進めてきた。
そんな彼女達も今年で10年目だという。


10年目に入り、思い返しても初めはがむしゃらで、あの頃何をしていたんだろうっと思い出せないと笑いながら話す。人の繋がりなくして取引はしないと、どんな卸し先でも実際にその人に出会って、話して、卸し先まで見に行って、そこまでして取引ができるかできないかを決定する。僕らとも忙しい中いろいろ話をしてくれて、「益子からわざわざ来てくれて、お茶をして、話をして...こういう時間が一番大切なんです。」と言ってくれた。数十件という卸し先への発送も2人でやっている事もあり、僕らと話をしている合間に代わりばんこで仕事に戻ったり、話をしにきてくれたり、忙しい合間に迷惑な顔一つせず、話をしてくれる2人。


「女性」のユニットがどこまで続けていけるのだろう?っという率直な疑問があった。女性だからというのではなく、女の人だから抱える結婚や出産の事等が気になっていて、そういった場合はどうしていくのかという問いに対して
「どんな状況でも辞める事は無いです。エフスタイルで食べている人もいるので、自分たちの都合で辞めるつもりはありません。その時できる状況で人を雇うなり、一時的に縮小するなり考えるとは思います。」


自分たちは生産者達に対して、最低限の支払いをしていく為にエフスタイルがあるというスタンスは本当に素晴らしい。流行っているクラフトや民芸、地方のブームとは、全く関係ないところで、地に足をつけながら作り手達と関わっている仕事。
「ただ、陽のあたらないところで、同じ事を続けている、作り続けている生産者達の手を見るだけで感動するんです。その姿一つが本当にいろんな事を教えてくれて...。」


そんな事を思い、感じながらエフスタイルをしているのだという。
できるだけエフスタイルらしく居れる方法でエフスタイルをしていくという。



自分とそれほど年の変わらない女性2人がこんなに良い仕事をしている。自分とエフスタイルを比較する必要はないけれど、自分はこれでいいのかという気持ちになる。そう思っているという事はまだまだ余力があるってことだ。迷いながらも自分に甘える事なく、実践あるのみ。
毎朝、「今日も頑張ろう!」と思って目を覚まそう。「愚痴を言わず、ただ頑張ろう」と思う。



言葉で上手く表現出来ないが、ひたむきにただ一生懸命10年間突っ走ってきた2人の言葉の一つ一つは自信に溢れていた。規模は決して大きくないが、僕には矛盾のない仕事に感じた。
アマゾンで書籍「エフスタイルの仕事」も買えるので、ぜひエフスタイルを知ってもらいたいです。カスタマレビューにリビングワールドの西村さんが書いているコメントも僕は好きだ。
僕も彼女達の実践に未来を感じ、自分もそこに近づいて生きたいと思う。

できるだけ矛盾のない、純粋な仕事をしたい。
彼女達を見ていると心からそう思える。



新潟を案内してくれたクワバラさん、ありがとう。
忙しい中時間を作ってくれたエフスタイルの2人、ありがとう。
新潟の回転寿しは100円ではありませんでした。美味しかったです。

2009/08/04

天地人

天の理
地の利
人の輪

で天地人だそうです。

天の利 → タイミング
地の利 → 条件
人の輪 → 仲間

この条件が揃った時に大成を成せるそうです。
ちなみにウィキペディアで検索してみると、
「天と地と人。世界を形成する要素。宇宙間に存在する万物。三才。」
とのこと。

何となく分かります。
焦らず、自分のタイミングでしっかり天地人を掴みたいと思います。
米田くん、なゆかさん、もう少し時間が掛かりそうです。

2009/07/24

蓮の花

を美幸と見に行った。
茨城県の北の地域は日本一の蓮根の生産地だそうです。

美幸が月に一度お花教室にいっていて、そこで教えてくれている先生が茨城県土浦市から1時間半かけて益子に来てくれているのですが、土浦の蓮畑を案内してくれるという事で2人で春さん(お花の先生)のお家にお邪魔しに行ってきました。


春さん宅に着くや否や蓮畑へ直行。
高台から見えた延々と広がる蓮畑には圧巻。
こんなに蓮が咲いてるだなんて!一生分の蓮を見ました。
蓮といっても蓮根の栽培用の蓮なので、公園やお寺で見るような物とは異なり、傘のような葉がうっそうと繁り、見渡す限り葉、葉、葉、たまに蓮の花、蓮のつぼみ。蓮をこんな形で見る機会があるだなんて想像出来なかったので、感動。というより驚き。
ちらほら見える蓮の花は見るからに柔らかく、まるでティッシュペーパー一枚に広げたような花びらがつぼみにくっついている...そんな繊細な印象を受けました。実際、蓮の花は一日で散ってしまう一日草だそうです。
※秋に咲く月下美人も一夜限りの花ですが、蓮と何処となく雰囲気が似ている気がしました。


春さんはたまに蓮を見に来るらしいのですが、蓮根農家の方々に言わせると「蓮を見て何が良いんだ?何でわざわざ見に来るんだ?」みたいな感じだそうです。あまりにも日常過ぎて、その美しさが善くも悪くも当たり前すぎるのかな?だから僕らが蓮を見るような感動はないのかな?という話になりました。その時はそうなのかなと思った。


しかし、僕が尊敬する農家の山崎さんは、毎年ジャガイモの小さな花をきれいだろ〜と言います。夏に畑で食うトマトとキュウリが旨いんだよと自慢します。秋に田んぼに水を入れる時、稲達に「よく頑張ったなぁ〜喉乾いたろ、ほらたっぷり水を浴びるんだぞ〜!」と声を掛けていました。
生まれも育ちも農家の山崎さん、50年以上同じ場所で暮らし、過ごし、仕事をしている方ですが、それでも目の前の野菜や自然に対して鮮度のある接し方をしているように僕には見えます。
蓮根畑の生産者の方の中には、毎年蓮の花が咲く事が楽しみで仕方がない方もいるでしょう。
その反面、「蓮の花の何が良いんだ?」という方も居て、「ジャガイモの花がきれいか?」という方もいるだろうと想像できる。


その差は何なんだろうっと思った。
きっとそこの差は「愛」があるかないかじゃないだろうか?
そんな事を考えた。きっとそうだと思う。


上手くは説明できませんが、自分が尽力し、手間をかけたもの、かつ自分で気に入っている物は他人に言いたくなるし、見て欲しくなる、聞いて欲しくなる。手を抜いたり、まぁいいかという思いで作った物にはそんな感情は湧かないはずである。
要はそこじゃなかろうかと思う。他人にこれきれいやろ?こんなことしてんだよ。っと言いたくなるような仕事の仕方をしていきたい。
どんなことをしていようが目の前の事と今の先の事。である。


話は反れましたが、蓮の花は美しく、つぼみは可愛かったです。


その後、春さん宅に戻りおしゃべりをしました。
また素敵な人とお近づきになれた気がして嬉しかったです。
僕が関西に戻った際には、遊びに来てくれて、お花教室もしてくれると言ってくれました。
いやぁ、本当にこれは実現しようと思います。
一つ一つの出会いに感謝です。

2009/07/18

養蜂

脱サラをして養蜂を始めた人と知り合う機会ができた。
サラリーマンを辞めて、独立して3ヶ月の駆け出しの養蜂家だ。


養蜂にまつわる沢山の話を聞かせてもらった。養蜂の世界の事、独立する為に必要な事、蜂の事、養蜂を始めた経緯、すごくいろんな話を献身的に話してくれた。
一言で言う事は出来ないが、養蜂で生活していく事は容易ではなく厳しい世界だという事。
独立した本人がやってみて想像以上に厳しく、やる前はもっと何とかなると思っていた。等々...。


これは養蜂だけに限った事ではないが、まず初期投資に費用が掛かり、販売ルートの確保に時間がかかるという事。考えればそりゃそーだと思うが並大抵の事じゃないと思う。物が無ければ営業も出来ない。物が出来ても売り先が無い。物を作ってたら営業する時間なんて無い。ある程度、販売できるだけの物を揃えて、営業して、販売して、って体制を整えている間は単純に収入がない。
特に第一次産業はそうだ。就農する人はそこで挫折する人が多いという話を聞いた事がある。


独立するのはやはり大変で、反対する人も少なくなく、奥さんを説得する事など、迷っていた時期も長かったようだ。その中で背中を押してくれた仲間もいて、「蜂屋になるんだ」と言葉にしてから10年掛かって、やっと独立できたという。


言うまでもなく、彼の表情は生き生きとしていて、これから蜂でやっていくという決意をした男の目をしていました。今日出してくれた蜂蜜の味は本当に美味しく、神々しくすら思えた。これは大げさではなく本当に。


大切なのは、雇われだろうが、独立だろうが、自分がどう生きていきたいのかっていう意思の元で、作る人、売る人、考える人、動く人って沢山の人が仕事という役割を果たして、その役割を一生懸命果たしているか、どうかって事だと思うんです。


僕は縁あって、知り合った養蜂家の蜂蜜を誰かに伝えたい、そして、仕事を通して何らかの形で扱わせてもらいたいと思った。

2009/07/16

見立て

馬場さんと話す。

先日来店してくれたお客さんに対する接客の説明が気になったという。
僕はお客さんにその商品がどう作られたかという事を簡単に説明したのだが、馬場さん曰くその物の価値は作る行程には無いからそこはセールストークに使わなくていい。大切なのはそのもの自体が美しいかそうじゃないかというところだという。

また、そのもの自体は馬場さんのアイデアを元にして、これを使ってこうを作る。という形で出来たのだが、「デザインしたのではなく「見立て」をしたんだよ。サダ君。」「デザインっていうのは見立てだから」と説明してくれた。

丁度、千利休の本を読んでいたので余計に胸に残る。

昨日、民芸以前の益子焼を目にする機会があった。
そもそも益子焼というものの定義は難しく、はっきりこの作り方・焼き方をした器が益子焼ですよーっといった定義が無く、現在の益子焼というのものは、濱田庄司が益子に残したいわば濱田民芸の名残が現在の益子焼ととらえられる事が多い。


民芸以前の益子焼というのは、つまり濱田庄司や柳宗悦が心奪われた元々あった益子焼の事だ。この焼き物はあるコレクターのコレクションなのだが、秋に益子で開催される「土祭」で展示させてもらえる物を先取りで見る事ができた。


濱田庄司が目を奪われたように、馬場さんが見立てたように、ただ単純にそのもの自体の美しさを見逃さないようにならなければならない。目を育てる。いい物は沢山見る。ちゃんと調べる。
デザインは見立てですか...。

お客さんにどう説明すれば、そのものの美しさが伝わるのかを考える。

2009/06/30

言葉 —できる事—

金のあるものは金を出して
頭のあるヤツは知恵を貸し
力のあるものは身体を貸して
メシの作れるものは差し入れて
何もできないものは拍手をすればいい


山崎さんの言葉
できる事をしよう。
大切なのは奉仕する心だ。
頑張れオレ!

2009/06/29

愛し合っているかーい!

最近、もっぱら清志郎にハマってしまっている。
っというより魅了されている。


「愛し合っているかーい!」


美幸に問う。
「愛し合っていない。」と返ってくる。
結婚式はしたが、まだ片想いである事は変わらないようだ。
美幸は相手にしてくれないが「愛し合っているかーい!」と本気で問える人間になりたい。
そして、生まれてくる子供には「愛し合っているかーい!」「イエーイ!」と教えたい。
偉大なるアーティストの1人として、忌野清志郎を伝えたい。



愛し合っているかーい!

2009/06/22

梅の季節。
家の周りにも梅が実をつけはじめた。


横田さんという職人さんに梅をたくさんもらった。たぶん20kg近くあったと思う。
職場の皆も欲しいと言っていたので、持って帰ってもらったり、カフェで蜂蜜に漬けるのに使ってもらったりしたのですが、それでも沢山残った。


さて、この残った梅はどうしようか?
梅干しにするには痛み出しているし、梅酒につけか?瓶が無い、ホワイトリカーを買ってこなきゃならん、さぁどうしよう等々、考えている間に仕事もあって、結局ほったらかしにしてしまってた。
見兼ねた和子さんが「水につけてなきゃ、痛むじゃない!」とバケツを持って登場。ぱっぱっぱと洗って、その後水気を飛ばして、塩に漬けて、干してっと梅干しレクチャー。家で美幸が梅干しにしてくれてるからとか、痛んできているからとかいろいろと言い訳を頭の中に並べていた。
結局、湿気も多い事から痛みが激しかったので、煮詰めてジャムにする事に。
和子さんはパッと鍋を出して、さっと用意して、じっくり煮詰める。一晩置いて、今朝グツグツと煮詰めジャムに。うちのカフェのパンの付け合わせとスウィーツで使う予定。


テキパキする和子さんとボケーッと考える自分。
うーん。頑張れ俺。


梅の事一つとってみても自分は何も知らないんだなと知りました。
和子さんがいなければ痛んでいく梅を横目で見て、腐らせ捨てる事になってた。
もっと勉強せなアカンなぁ。いかにも素敵な生活を語るのは誰にでもできる。
そんなことより梅の事を一つをしっかり見れるようにならなアカンなぁ。
梅も自然の恵みです。
その感謝忘れるべからず。

2009/06/21

言葉 —感性を磨く—

先に何が作りたいかがあって、その為に技術を身につけていく。
技術がばかり身につけて、さぁ作ってごらんってなった時、何も作れない職人は多い。
だから職人が作ったものは面白くないものが多いんだよ。
技術なんて後からいくらでもついてくるから、その前に目的や感性を磨くとが大切なんです。


KINTAさんの言葉。
一概には言えないが、なるほどと思う。
自分が何をしたいか。その問いに耳を向けていますか?

2009/06/20

まんちゅー

大阪でアーバンリサーチで働いていたときの友人中馬さんが遊びに来てくれた。
1泊の予定が2泊。ノリは大切だなぁと改めて実感。


黒陶の植木鉢を生産している横田さん、アーティストの仲田智さん、元スターネットの高橋さんのレストラン「mikumari」、家具作家の高山英樹さん、そして益子町役場に秋に開催される土祭のミーティング、その後再び高山家。
僕が真面目に伺って、繋がって、遊でという感覚で昨年から始まった「サダツアーズ」というものがあって、そんなノリで益子とその周辺を案内。しゃべりすぎて睡眠時間3時間、飲みすぎによる2日酔いという最悪のコンディションでしたが、無事に案内終了。


中馬さんは面白い、というか自分と感覚が重なる部分がすごくあって気が合う。
僕がアーバンリサーチで勤めていたのは3ヶ月程だが、入社して3日目には「サダ君とは10年、20年経っても付き合っているんだろうなぁ」という事を言われた。その時自分も同じ事を考えていた。気持ち悪い。そんな中馬さんをずっと連れて行きたかった場所に案内し、会わせたかった人達に紹介できた。


ただ素敵な場所に行って、素敵な人に会って、素敵でしょって思い出づくりがしたいたいのではなく、その人に会ってもらう事で何を感じてもらえるか、自分が伝えたかった事を理解してもらいたいということを、自分の中で明確に持っていなければ楽しいだけで終わってしまう。
ただ楽しいだけという事をするのは簡単だ。


特に中馬さんには東京や大阪を行ったり来たりしている中では見えない部分に触れてほしかった。いろいろ行く中で見えた部分やそれぞれの感じた部分を何とか形にしていきたいと思っていて、今回はその入口。結局、雑誌や本、ウェブといった某体で何かを伝えていることは、実際に感じるという行為には劣る。

人に伝わるものとは何かを考えた時、100%の気持ちだと思う。
D&Dのナガオカケンメイさんのブログなんてその一例で、何かを伝えようとしたり、取材したりというよりは、自分はこう思っている感じたって部分を日記としていて、よくあるコーディネートされた素敵な記事や情報よりも、ストレートに伝わる。リビングワールドの西村さんのサイトもそうで感じる部分、共感したい部分がたくさんある。
そういった視点で見るとブログやウェブって、フィルターを掛ける事なく情報を発信できる素晴らしいメディアだと思うのです。


僕は自分と価値観を共有できる人達と話し合い、感じたシーンをたくさんの人と共有できないかと考えていて、まずは実験的にサイトを作ろうとここ半年ずっと思っているのですが、なかなかできなくて、ようやく中馬さんと最初のスタートラインを引いた感じ。
まだスタートすらしていない(笑)。


こんなペースでいつになる事やら。
ただ、面白い場所を作りたいと思っています。


中馬さんの面白そうと思う事には、すぐに反応するノリとフットワークがすごく良い。
高山家でのノリと馬場さんからの電話がきっかけで、当初は予定していなかった、この秋益子で開催されるアートフェス「土祭」のミーティングにも参加。古い建物を改装しギャラリーにするプロジェクトのボランティアメンバーに俺と美幸、たまたま東京から遊びに来ていた中馬さんが祭りに参加するのが面白くて、意味がわからない(笑)。
昼間に会ったアーティストの仲田さんと家具作家の高山さんに、中馬さんが一緒になって、8月に皆でペンキ塗りと土間作り。縁ってこういった事なんでしょう。


僕は人と人、人と場を繋げたり、結び付ける事がすごく大切で、何かが生まれる表れる瞬間ってそういったところにあるんじゃないかと思っている。
少なくとも今回は新しい繋がりが生まれた。続いていくか行かないかは別として。
皆濃い人達ばかりだから面白い形に発展していけばいいな。


これからどうなっていくのでしょうか。

2009/06/14

もやもや

日々、迷い、変わり、戻りをくり返しながら少しづつ前進しているのかなぁっというのが、現在の心境。


今日は合田さんが東京から来た。
合田さんはある音響の製作会社を5月で退社した人なのだが、以前馬場さんから冗談まじりに「養蜂をやってみたら?」と勧められ、「そんな生き方もあるのか。」といろいろと思う事があり、養蜂の話を聞きに来たという。その話がどうなったかはさておき...


少し時間が取れたので、お茶をしながら面白い話を聞いた。
何かが出来るというプロフェッショナルがたくさんいて、それがそれぞれ仕事として成り立っていて社会が築かれているが、それをまとめる役割という人間が必要となってくる。
簡単にいうとそんな話の本があるとのこと。


益子に来ていろんな事をしている。
ウェブの仕組みを覚えて、オンラインショップを作ったり(結局うまくいかなかったが...)、カフェで皿洗い、珈琲やドリンクを作ったり、ギャラリーの担当になって展覧会のディスプレイもできるようになったり、卸しや営業の担当になったり、いろいろやらせてもらったおかげで間違いなく幅は広がったと思うが、突き詰めてみれば中途半端のようにも見える。


その話をしたら、幅広くいろんな事ができるというのもイイんじゃないかと。
そんな事は百も承知なのだが、ここに来ていろんな人に同じような事を言われる。
自分が不安に思い、弱点のように思っているところも他人から見れば、そうでもないのかもしれない。考え方・やり方次第では力になっていくんだろう。


芸大でスペースデザイン学科だった僕は、そこで建築やデザインの大枠、歴史を学んだ。
僕のいたスペースデザイン学科がいくつか下の代からライフデザイン学科という名になった。
ある時、ライフデザインって何なん?と思った。


畑をして食物をつくり、梅干しや味噌を作ったり、柿や大根を干したり、筍を掘って来たり、山菜やきのこを採って来たりする田舎の人を見る度に「暮らし(ライフ)ってこうだよな。」と思う。都会での暮らしを否定しているというのではなく、暮らしの原型は田舎にあると思うのです。
空間やインテリア、家具、家電、日用品をデザインするのが、ライフデザインなのか!?
僕はそうじゃないと思う。


それをどういった形に仕上げていくかが、これからの課題なのだが、合田さんの話は何となくヒントになりそうな気がした。
その事を書いた本を紹介してもらって読んでみようと思う。
結局、また何を言っているのかはわからない。

2009/06/12

余韻

神戸から帰って来て、家で奥さんとウェディングパーティーのビデオを見る。
まだ、あの至福感が抜けず、2人であれが良かった、これは最高だったといった事を何度も同じように話をしている。こんな感覚は初めてかもしれない。
未だにあの時、あの瞬間、あの場所で、あの人達に...そんな想いが溢れ出てくる。


しばらくこの感覚は抜けないだろうなぁ...。


昨日の日記にも書いたが、素晴らしいウェディングパーティーを催すことができたと思っている。これもユカリさんをはじめ、力を貸してくれた人達のおかげだ。


この至福感の余韻は何なんだろうか?
何とも言えない満ち足りた気持ち。
こういった想いになる事は滅多に無い。
きっと来てくれた人も僕ら程ではないにしろ、どこか至福感の余韻をもって帰ってくれたんじゃないだろうかと勘違いしたりしている。
どうであれ、いろんな人がすごく良いウェディングパーティーだったと言ってくれたこともすごく嬉しいし、メールをくれた友人、手紙をくれた人もいて、来てくれた人達も喜んでくれたと思っている。



形にはない確かなものっていうものがあって、この至福感もそう。
そういった至福感の満ちる想いや余韻の残る感動、心が重なるような体験や実感を共有できる仕事を、これから自分のしていく事で形に出来ないかと考えている。


今回のウェディングパーティーでの時間は僕らの中に刻まれた。
これまでの小さな経験の中でもそうで、初めて1人のフランスでコルビュジェのロンシャンの教会を見た時の記憶や、てんつくまんの植林でモンゴルに行ったこと、アフガニスタンに行った時の印象は鮮明だし、ゴミ拾いをして集まってくれた仲間がいた事も、閑谷学校の空間の間合い、小学生の時に知人の田植えを手植えで手伝った事等、多くの感動の余韻は現在の原点だ。
少し振り返っただけでも多くの余韻が現在の自分を築いている事に気付いた。


余韻が残る程の感動って、様々な条件が重ならないとできなくて、その条件を作り揃える事がプロデュースやディレクション、プランナーという仕事なんだろうなと、ユカリさんを見ていて思った。


ものづくり=場づくりという仕事を作っていこういう僕には、すごく考えさせられることだ。
まずは中馬さんとwebで「場」を作ろうと思っている。
来週、わざわざ来てくれるから、一緒にどこに連れて行こうかと考えている。
どうなるかまだ未定だが、結構楽しみなプロジェクト。
その前にせなアカン事は全部終わらそう!



何はともあれ、先日のウェディングパーティーは素晴らしい時間を多くの人と共有する事の出来た喜びは僕らの心に響き、僕と美幸には永遠の時間となった。
今、横で美幸が結婚式のアルバムを見て「いいなぁ、いいなぁ結婚式!」と言いながら床についた。彼女は今夜良い夢を見る事でしょう。


何度も言わせて頂きますが、これも祝ってくれた皆さんのおかげです。
本当にありがとう。

2009/06/08

結婚式

6月5日 奈良の天河大弁財天社にて神前で結婚式。
6月7日 神戸にてウェディングパーティー。

昨年末に決めた結婚式のスケジュールが一段落。無事に終わってほっとしています。


自分で言うのもなんですが、天河での式も神戸でのウェディングパーティーも、すごく良かったと思っている。何より僕達自身すごく満足していて、至福感に満たされている。


今回のウェディングパーティーには総勢116名の人達が参加してくれた。
沖縄から、九州から、栃木、東京、名古屋、京都、大阪、丹波、神戸.....
これだけの人が、いろんな場所から来てくれた。それだけで幸せだと思えます。


今回のパーティーは、大学の友人のユカリさんが疾走してくれ、多くの人の力を借りて(巻き込んで!?)一つの場所をつくってくれた。ウェディングパーティーをすると考えた時、真っ先にユカリさんが思い浮かんだっというより、ユカリさん以外にウェディングをプロデュースしてほしいと思える人が居なかった。
ユカリさんに電話で頼んだ時、ユカリさんはまだウェディングのプランニングの仕事をしていなかった。っというよりユカリさんが現在のウェディングの仕事の面接を受けた翌日に電話で「ウェディングパーティーのプロデュースをしてほしい」とお願いしたのだ。お互いに変な縁のような巡り合わせに驚きながらも「これはするしか無いな」と言ってくれた。まだウェディングの仕事を採用になった訳でもないのにいろんな事が決定していた。
ウェディングの打ち合わせをしたのは1度だけで、あとは電話でのやりとりだけ。
僕の事をよく理解してくれている人だから何とか素晴らしい形に作り上げてもらう事ができた。
ユカリさんありがとう。


ユカリさんだけではなく沢山の人が力を貸してくれた。
天河から神戸まで同行してくれたカメラマンのアコッペは1000回以上シャッターを押してくれた。
本当に素晴らしいドレスを貸してくれた和子さんは、夜な夜なドレスを美幸の身体に合わせてくれた。
馬場さんに乾杯をしてもらえたのも嬉しかった。
ブーケや重要なお花の準備は、弟の彼女の美希ちゃんが用意してくれた。素晴らしいブーケだ。
ウェルカムボードは益子の作家のはじめ君が作ってくれた。次は家で使わせてもらう。
パーティーの素敵なプログラムは1週間前に、急なお願いにも関わらずコモチが製作してくれた。
引き出物のラッピングはボンポアンの川口さんと寺本さん、そして母がしてくれた。
壊れてしまったがケーキのクロカンブッシュは、父と弟の貴士が作ってくれた。美味しかった。
音楽はいろのみの曲を使わしてもらった。
そして、116名の人が時間とお金に都合をつけて、来てくれた。


本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。

2009/05/26

付加価値

すっかりご無沙汰してしまっている。
毎日書くつもりで始めたブログなのに、ブログを書くというのは結構大変ですね。
何の為にしているかをもう一度意識しないと。決して書くのが目的ではない。


昨日、久しぶりに山崎さんのところへ行った。
山崎さんは益子の農家で、見識が深く尊敬する師匠の1人。
いつもお邪魔すると時間を作ってくれて囲炉裏でお茶を出してくれる。
山崎さんの肩肘張らない自然なおもてなしが何とも言えない心地よさがある。
囲炉裏の脇には成井恒雄さんの器が雑多と置かれている。
一見その器の雑な置き方を見ていると扱いが荒いように見えるが、こういった扱いをされるものが民芸なのかもしれないと思っている。安くて良質なもの、さらに気楽に使えるもの。


民芸はまだまだ勉強中だが、ものすごい深い思想である。
せっかく益子に来ているのだから、民芸についての理解を深めていこうとも思っているが、僕には深すぎて溺れてしまいそうだ。


話を戻して、山崎さん。
付加価値についての話になった。
物売りをするなら、物だけ売って利益を出すような事ばかりをしても仕方がない。
何を売りたいのかと問われた時に「商品」と答え、何を得たいのかと問われた時に「お金・利益」と答えているようではあまりに粗末で、人を幸せにするのは物自体の価値ではなく、付加価値であるという話。
「サダボーは何を売るんだい?何を得たいのかい?そこの答えはきちっと持っとけよ。」
「はい。」


そこにちゃんとした理由と答えがあるという事が、信念だ。
日々、自分の至らなさを感じ、凹みながら歩んでいるが、考えると目の前の事を一つ一つしっかりとやっていくっというところにいつも戻る。


明日は、商品の資料作り。
何故作るのか?何に繋げるのか?取引先にあってよかったと言ってもらえるような付加価値の含みを、しっかり意識しながら丁寧に作っていこう。


今日の反省は明日の糧なり!

2009/05/18

奈良

大阪でのイベントの翌日、次なる会場となる奈良のくるみの木・秋篠の森に行った。
いやぁ、素晴らしい場所でした。すごく居心地が良い。


スタッフの方の空気感や料理も空間も心地よく、昔、卑弥呼が遊んでいたという話の残る森があって、居心地の良い場所であった。
くるみの木の石村さんが書いた本を読んでいる。
くるみの木が出来上がるストーリーなのだが、石村さんは人に恵まれ、多くの人に支えられているのだなぁ。特に旦那さんに。
来月もくるみの木に行く事にした。楽しみだ。


秋篠の森は5年前にできた2部屋だけの宿泊施設とレストラン、雑貨店から成る。
宿泊の部屋を見せて頂いたが、中村好文さんの設計による部屋は素晴らしかった。
森に囲まれ、溶け込んだ優しい空間。中村好文の設計空間は僕は好きだ。
親友が「消える建築とか言っている建築家が、中村好文の方が何倍も消えている。」と言っていた。僕もそう思う。


今回は秋篠の森「食の円居なず菜」にて、津田貴司さんといろのみのライブを催させてもらった。
津田さんが女性がオーナーの場所は演奏しやすいと言う。特に秋篠の森は森の音が心地よいので演奏前に「周りの音が心地よいので、音の邪魔にならないような演奏をします。」と一言。
津田さんの演奏はジャンルで言うとアンビエントになるのかな?環境音楽とも言うのだが、周囲の音に乗せた音というか、津田さんの演奏を聴いているはずなのに周囲の音にまで耳が開いていく感覚がある。風の音、森の音、演奏を聴く人達の呼吸、空間の音...音楽を聴きながら環境の音が重なっていく、そんな感覚になる。
自然に包まれた場所という事もあり、津田さん、いろのみ共に前日の大阪よりも集中し入り込んだ演奏になっていたように思う。僕はそこまで音楽に詳しくないし、自分の好き嫌いでしか判断する事ができないが、いろのみも津田さん+ラジオゾンデも限りないポテンシャルがあるように思う。サインをもらうなら今のうちだ。

5月末にいろのみ、津田さんのラジオゾンデのライブがそれぞれ東京である。僕は行けそうにないが、周辺の方々はぜひ。
ラジオゾンデ サイト
http://grainfield.net/rs/
いろのみ サイト
http://ironomi.com/


話を戻して、くるみの木。
くるみの木はオーナーの石村さんの想いを表現した場所だ。
本を読んでそう思った。
そういった場に出会すと表現って一体なんなんだろうと思う。
少し前に人は自己表現する為に生きているんじゃないか?ってな事を書いたが、それは自己満足とは違っていて、くるみの木のように石村さんが想い描いた場所に来て、訪れた人が心地よいと感じるとか、心ある演奏を聴いて何とも言えない時間に浸るとか...。
そこには想いの共有がある。
自己表現している人の表現の一部分に触れて、「あっこれ!」みたいな共有できる感覚。
自分の想いを伝える、共有したいから表現というカタチがある。
また何を言っているかわからなくなってきた、もう少し考えてみなければ。


何はともあれ、ライブは無事終了した。
最後に津田さんが「成長した」とおっしゃてくれたのが、何よりも嬉しかった。
今回の仕事は、以前勤めていた事もあるURBAN RESEARCH DOORSでのイベントという事もあり、相当気合いは入っていたし、友人に見てもらいたいイベントだったので、成功してホッとしている。
反省点は山ほどあるが、満足できているのが何より。
これを次ぎにどう繋げていくかがポイントやね。



あと、奈良のライブに大学の友人でしぃちゃんが彼氏と来てくれた。ありがとう。
ライブ終了後、しぃちゃんの家にユンディとお邪魔しにいった。
3月に結婚したばかりのほやほやの奈良の風情ある長屋で、しぃちゃんと旦那さんに夕食をごちそうになる。楽しい時間はあっという間で、食べ散らかして京都へと向かう。しぃちゃんありがとう、とても美味しかったよ。
しぃちゃんも相当な頑張り屋さんで僕がお邪魔した時も試験の勉強中だという。将来はコマツフーフというユニット名で旦那さんと設計の仕事をしていると思う。(ユニット名はサダ命名)



自分の中で感動する基準の一つに、居心地だとか環境との調和とか「心地よいと感じる」ことがある。
くるみの木は「心地よかった」
今度、ゆかりさんと米田を連れて行きたい。

自分は人にすごく恵まれている

仕事で大阪に行ってきた。
なかなかタイトなスケジュールで、大変でしたが自分としてはできる事はやったっという感じ。
楽しかった。皆さんお疲れさまでした。
皆さんありがとう。


東京からアーバンリサーチ時代の友人の中馬さんと車で大阪まで移動。
ゆっくり話せたのは久しぶで楽しかった。
くだらない話や昔話、現在の話や次の話、この人と話すのは面白い。
次の展開で面白い事ができそうだ。

中馬さんとの話の中で「実際、佐田君は人にすごく恵まれているよ。」と一言。
いやいや、あなたそんなに僕の友人関係知らないでしょ!?と思いながらも、それでも中馬さんにもそんな風にみえるかぁ、よく見ているなぁっと。
自分でも、そう思う。



自分で言うのもなんだが、確実にいろんな面白い人達に囲まれ過ぎている。
そして、基本的に可愛がられる。
今回の大阪・奈良の出張を通して、新たな出会いがいくつかあった。
きっと、この人と深く付き合っていけるな、一緒に仕事をしたいと思えるような出会い。



大阪のイベントでは、大学の友人の小栗、室谷、橋口君、岡っち、りなちゃん、陽介さん、ゆかりさんが来てくれて、アオヤギさんとアヤコさんというスターネットを通して繋がった大阪の友人も来てくれていたのが、嬉しかった。
みんなありがとう。
会えて本当に嬉しかった。


僕は自分が人望のある人間だとは思わないが、人には恵まれている。
それを何と言うのだろうか...。
本当に人と人の繋がりって不思議だよなぁ。
自分がどうしていくかは、まだわからない。その中に少しだけ、自分周りの人や環境に導かれている感覚もある。


もっと大阪での事を書きたいが、今日は寝ます。
お休み。すやすや。

2009/05/13

大阪へ

明日から大阪へ行く。
滅多に出張がないので、楽しみな仕事だ。


大阪に何をしにいくかといえば、我が師匠・馬場浩史の講演と自社レーベルのプロモーションも兼ねたライブのマネージメント。

できるだけ多くの人に馬場さんの話を聞いてもらいたい。
僕の聞いてもらいたい話が出るかはわからないが、その断片を聞いてもらえたらと思っている。
そもそも何故僕が栃木に来たのか...。
一言で言えば「勢い」なのだが、益子で得たものは大きい。
生活って事や生き方、命の意味を背中で見せる人があまりにも多い。
僕はその断片をできるだけ多くの人に知ってもらいたいと思っている。
それはそれで小さな動きが産まれつつあるが、それは追々。

伝えたい想いがある。
人に何かを伝えると言うのは、責任が伴う。
責任を持って、相手に伝えなければ相手には伝わらない。

僕が伝える訳でないが、聞いてほしいという想いがある。
だから、来れる人は来て下さい。
会場に僕もいます。
会いにきて下さい。


5.15 fri  at URBAN RESEARCH DOORS 南船場店
「くらしの素地」
【第1部】STARNET主宰、馬場浩史とDOORSプロデューサー竹村圭祐氏によるトークセッション
【第2部】「STARNET MUZIK「いろのみ」と「ラジオゾンデ」の津田貴司によるライブ
TEL:06-6120-3270
時間:19:00開演 ※ライブは8:15頃から
料金:¥2,500 ※ワンドリンク
URL:www.urdoors.com/


5.16sat  at くるみの木
「Sacred Garden 」
「STARNET MUZIK「いろのみ」と「ラジオゾンデ」の津田貴司によるライブ
TEL: 0742-52-8560
時間:15:30開場 16:00開演
料金:
¥2500 ※ワンドリンク+お菓子付き
URL:www.kuruminoki.co.jp




仕事の合間をぬって、結婚式の打ち合わせやらが入っているので、忙しい。
仕事に差し支えないようにスケジュールを組んでいるが、
していきたい事がいろいろとあるのでできるだけこなしたい。

良い遠征にしたい。
おいしいという訳ではないが、大阪の空気を吸いたい気持ちだ。

2009/05/01

小さな美

6月に神戸で小さなウェディングパーティーをします。
いやぁ、楽しみだ。
まだ決まって無い事が多すぎて、奥さんは不安がっているけど、僕は楽しみにしている。
久しぶりに皆に会えるのが本当に楽しみだ。


結婚式の招待状を送って、参加・不参加の返信ハガキが着々と届く。
締め切りは明日でお願いしているのに、半分以上は返ってきていない。
みなさーん、明日までですよー!


返信用のハガキを見るのって楽しいです。
それぞれ個性があると言うか、その人の空気感が小さなハガキのコメント一つに現れる。


その中で感心したというか、感動した事がある。


宛先面に
栃木県芳賀郡茂木町木幡0000
佐田祥毅・美幸 宛
と記載したハガキなのだが、わざわざ「宛」という文字を斜線で消して「」→「様」に書き直す。

裏面に
ご出席、ご欠席、お名前、ご住所、お電話、人数、メッセージ
と記載しているのだが、こちらもわざわざ「御」を斜線で消す。
人によっては、「ご出席」→「喜んで出席させていただきます。」と前後に記入してくれている。
さらに素敵なのは、「出席」の斜線を「寿」という文字で書いているのだ。
お祝い事だからという事らしいのだが、斜線が「寿」ですよ。
一般的な事ではあるらしいのですが、それにしても素敵だと思った。


斜線しなければいけないなら、最初から「様」にしたり、「御」を加えなかったらエエやんとも思ったが、それを言ったら奥さんに怒られ、考えずとも無作法だよな。あー、俺はなんて発想がガキなんだろう。


小さなパーティの為の小さなやり取りの中で、日本らしい礼儀というのだろうか、気の配り方がすごく美しくみえた。


斜線を引く事が大切だとは思わないが、そういった文化・風習がある日本という国は素晴らしいと思った。
日本の持つ、最上の美はこういった点の小さな蓄積が生み出しているのは、間違いないだろう。
僕は、そういった点を少しづつ大切にしていきたいと思う。まだまだですがねぇ。



イラストが入ってたり、マジックで丸を書いてくれたり、シールで飾り付けて彩ってくれたり、まじめに書いていたり、必要以上に何も書かなかったり、アレルギーで食べれない食材の有無で嫌いなものを書いてくれていたり、意外な人がスグに返事をくれたり、きっと遅れて返事を書く人がいたり.....。


いやぁ、みんなわざわざ返してくれて、ありがとう。
僕は嬉しいよ。



でもまだハガキ出していない人は、早くお願いします。

2009/04/30

大阪で

5月15日
大阪南船場のURBAN RESEARCH DOORSにて、スターネットの馬場さんの講演があります。
大阪の友人には、ぜひ聞いてもらいたいです。


僕は薄情者なので、あまり人に報告せずに栃木に来たので、僕がなんで栃木に来たかを、大阪の友人に知ってもらえる良い機会だと思っています。

サダがどーこーはどーでもいいのですが、都会にいると見えない事が見えると思います。
当日は僕も行くので、久しぶりに会えたら嬉しいです。
都合がつく方はぜひ。


URBAN RESEARCH DOORS

2009/04/29

上顧客

こんな話を聞いた。
ある作家さんが陶器市の際に、仲の良い友人宅に宿泊する。
仲の良い友人の1人に陶器市や展覧会でよく器を買ってくれる人がいる。
僕は「友人・仲間」という関係の中で宿泊したり、家を行ったり、来てもらったりしているのかと思っていた。

しかし、その作家さんとよく知る人が「よく買ってくれる上顧客を大切にして偉いよね。」っと言った。
よく意味がわからなく、「上顧客とか思っていなさそうに見える。」と返したところ、
「いや、そう思っていると思うよ。」と言う。


僕の認識では、その作家Aさんは陶器市の機会に、普段から親交のあり、Aさんの器をよく買ってくれるBさんのところに宿泊するのは「友人・仲間」という関係の元、家に泊まりにいっていると思っていた。
しかし、そのAさんと親交の深いCさん曰く、泊まりにいくのも含めて、よく買ってくれる顧客を大切にしている行為だという。確かにおもてなし好きのBさんはAさんが泊まりに来るのは、実際喜ぶし、そういった場所でお互いの関係を築いていると思う。


ただ、僕はAさんがBさんのことを「上顧客」っと思っているという話が意外でよく分からなかった。実際CさんはAさんとかなり深い関係でもあるから、Aさんを深く理解した上で言っているのだと思うが、初めはよく買ってくれる上顧客だから泊まりにいくっというように聞こえた。
その後「たぶん分かってないと思うから、頭で考えないでね」とCさんが一言。


Aさん、Bさん、Cさんそれぞれが、お互いにある程度親交があり、僕から見ると友人・仲間っといった関係に見えるのだが、作家ではない僕はここでいうところの「上顧客」の意味がよく分からない。
多分、普段買ってお金を落としてくれていることへの感謝の気持ちのようなものなんかなっと。



作家は作って売ることで生活をしている。作家に限らず商売というのは売れないと意味が無い。作家の立場になったら、やはり買ってくれる人はありがたい存在だし、大切にすべき存在であるのは当たり前だと思う。


その反面「上顧客」というは、もし買わなかったらどうなるんだろうと考えた。
よく来てくれるが見て買わずに帰る人は「上顧客」にはならないのだろうか?ならないよな。
少なからず、好きで来てくれていて、経済的事情などで買う事はできないが好きだという共通の想いがそこにある。


売る側はお客さんの「好き」という想いだけに答える事はできないのか。
自分が言わんとする事はきれいごとなのは十分わかっているが、売り買いの関係で成り立つ「上顧客」という言葉に違和感が生じた。買ってくれる人=お客さん、顧客さん、売り手と買い手である前に人と人やんっと思う。


そのお店が好きでよく来てくれるお客さんに対して、「あの人はよく来てくれるが、いつも買ってくれない。どーせ買わない。」っと売り手が思うのは仕方がない事でもあるが、なんか悲しい。
別に僕は自分で商売をしている訳じゃないから、いざ自分で商売をしてみないと分からない事が多いだろう。



よく行く場所に、那須のショーゾーカフェがある。
車で2時間程かかるのだが、その場所の雰囲気はスゴく良い。
スタッフが皆長く働いている人が多いようで、人が作り出す雰囲気がスゴく好きだ。
ショーゾーにいくと「こんにちは」っと言って迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」の前に「こんにちは」っと言ってくれる事が多いのだ。
僕はお客だが、最初に「こんにちは」と人と人の挨拶からそこは始まる。
カフェだからお茶をしないなら入る事はできない。
小さなことだけど、また行きたくなる。



話はズレて、自分の中でまだまとまっていない事で、よくわからんくなってきた。
売り手とお客さんの関係って何なんだろう。
もう少し考えないと。

2009/04/24

お花見

家の横の八重桜が満開。
少し遅いお花見。っと言っても寒かったので家の中でお食事会。
僕らは時たま仲間うちで集まり、飲んだり食べたり呑んだりする。

益子には9時以降営業している飲み屋が無い。
9時なんて一番楽しくなる時なのに、それまでしか営業していないのです。
僕はその田舎らしい感じが好きだ。


例えば、「お茶する」っとなった時、田舎では「うちでお茶しよう。うちでお茶を飲んでいきなよ。」と大体そうなる。皆で「呑もう」っとなった時は、皆がそれぞれ自分の呑むお酒と料理を持ってきて、ちょっとしたバイキング状態になる。ある人は手作りパンを、ある人は肉料理を、ある人は煮物を、ある人はサラダを、ある人はデザートを....。人が集まれば集まる程バリエーションが広がるし、僕らの仲間うちは料理上手が多い。
僕はその「手が入った感じ」が好きだ。


お茶をするのに素敵なカフェにいくのも良いし、呑むのにいい雰囲気の居酒屋にいくのも良い。
ただ、自分で美味しくいれようと思いながらいれるお茶と、お店で注文するお茶は違う。人が何を作ってくるか!?なんて考えながら作った料理と注文した料理もやっぱり違う。
僕もカフェでお茶もするし、居酒屋にもいく。
どちらが良いという訳ではないが、でもやっぱりお金で注文する料理と作った料理は違う。
そりゃ、プロが作るから味は違うし、場所も違うので比べる事はできないと思う。


料理に限らず、考えて思いを込めて、工夫しながら作る行為が「クリエイティブ」だと言え、
「クリエイティブ」は心だと思っています。


昨日、会計士の先生を宇都宮に送る際にこんな話をしてくれた。
コンピューターをはじめ、便利になり過ぎて脳の働きが衰退し、頭(考える力)が悪くなっていて、ゲームをはじめとしたリアリティのないモノが増加していて「心」が衰退していっている。


この前、奥さんと奥さんのお姉さんとのやり取りで
嫁:「タケノコに使う木の芽を家の周りに無いか探してる」
姉:「えっ探すもんなん!?スーパーで買うんちゃうんやん!?」
っという話をしたと聞いた。
ほんの少し前に「ふきのとうをスーパーで買った」っという東京の知人がいた。
僕の家の脇には小さなふきのとうがなっていて、奥さんがそれでフキ味噌を作ってくれた。


リアリティっという側面を考えるのであれば、暮らしの中にリアリティがあるのは間違いなく田舎です。リアリティがある田舎暮らしが良いとかではなく、都会には都会の暮らし方があって、田舎には田舎の暮らしがある。


場所がどこであろうと、僕はみんなで持ち寄る集まりが好きだ。


都会的価値観と田舎的価値観。その間に新しい価値観があるような気がしています。

2009/04/21

噛む

朝食を食べている時に正面にいる嫁さんが「よく噛んで食べ」っと一言。
大飯食らい僕は、一噛みで飲み込んでしまう。

先日、日記に丁寧を意識するという事を書いたのにも関わらず、味わうというより食う。
俺は何て野性的なんだろう。
もう少し素材を味わい、四季のうつろいを楽しむ、風情ある日本人に近づきたいものだ。


「日記に書いていたけど、絶対にせーへんと思った」と嫁さんがチクり。
流したけれど、頭にきた。
噛みますよ野菜が液体になるほど、噛みまくってやる。
今日から僕は噛みまくる!


冗談はさておき、しっかり命の素材を味わいたいと思います。
目指すは風情ある日本人!?

2009/04/20

27

歳になりました。
ありがとう、ありがとう。

今年は大きな1年になりそうな予感。
頑張るぞい!

2009/04/19

想いが込められた文章というものがある。
僕はそういったものは好きだ。
想いがこもっているってのは、文が上手い、下手、そんな事はどーでも良く思えてくる。


伝えたい想いは伝わる。


昨日書いた沼津の藤原さん、「コンフォルト」という建築デザイン誌のエッセイを見て馬場さんのところにきたらしい。藤原さんと同じ「コンフォルト」を見て、友人の高田君はスターネットに訪れて7年間勤め、卒業し、結婚、現在は益子で大工をしている。
その雑誌に連載されていた記事をまとめた「自分の仕事をつくる」という本を読んでスターネットに入ったのが僕だ。
皆同じ記事に導かれ出会い、同じ価値観を同じ場所で共有していた。


リビングワールドの西村さんが書いた記事が少なくてもこの3人を馬場さんの元に導いた。
「自分の仕事をつくる」を読んでスターネットに入社したのは僕だけではないし、スターネット以外に「自分の仕事をつくる」で取り上げられているデザイン会社やパン屋等に導かれた人、転職した人、仕事の仕方を変えた人なんかもいると思う。
「働き方研究家」と称し、西村さんが書籍とした仕事は、身近な人に大きな影響を与えていた。
「人を動かすのは感動である。感動は人の行動に変わる。」そんな話を聞いた事がある。
仕事とは相手を感動させることでもあるように思う。


結果として、西村さんが伝えた「想い・感動」が僕たちを出会わせた。
それぞれ他人である藤原さん(沼津)と高田君(栃木)、そして自分(神戸)が、西村さんの記事を見たことで、出会い、一カ所に集まっているのを見て、そんな事を思った。


これを縁というだろう。
繋がるべき人とは必ず繋がる。繋がっていると僕は思っている。

自分で貪欲に得る

珍しく出張。
静岡県沼津にて、馬場さんのイベントのお手伝い。

沼津に「ケンブリッジの森」というカフェがある。
ケンブリッジの森の藤原慎一郎さんは自身曰く「馬場さんの弟子」。
僕がスターネットに勤めだして3年近く経ちますが、藤原さんほど馬場さんを師と仰ぐ人はいない。今回の機会で藤原さんの馬場さんに対しての想いを知る。


自分より馬場さんに貪欲に学びを乞う藤原さんを見て、自分の甘さと意識の低さを痛感する。
少なくとも僕は馬場さんから多くの事を、仕事を通して学びに来ているはずだ。
けれど日々の忙しさを言い訳に、それを満足にできていない事を「忙しいから」としている。
おいおい、そーじゃないだろ。

最近、良い意味でいろんな事をどーでも良いと思えるようになってきた。
それはそれ、これはこれ、あれはあれ、あなたはあなた、私は私、みたいな感じで。
現在、ようやく馬場さんとも何かを共有できるようになってきた感じがある中、
足りないのは自分の貪欲さ、そして情熱だ。
藤原さんから感じたのは、愛と情熱、感謝だった。


益子の大工の高田君も沼津に来ていて話していたのだが、高田君が見る佐田像のかけらを聞いた。よく見てくれている事と的確な意見と感想が自分の中で嬉しく思えた。自分が磨くのはそこだなっと思う。
気付けば益子で得たものはあるが、自分で得たものもあれば、与えられたもの、環境の中から勝手についてきたものもある。


ただ、自分で貪欲に得る事が一番大きく積み重なっていくという事を、意識していきたい。

2009/04/17

こつこつと地道にやるしかない

朝から結婚式のドレスの試着(奥さんのね)。
いつ見ても和子さんのドレスはきれいだ。


和子さんとは馬場さんの奥さんで元々ファッションデザイナー。自身のブランドも持っていた。皇后美智子さまの専属デザイナー植田いつ子さんの弟子でもあるという経歴をもち、オートクチュールという体に合わせながらパターンを作っていく技術で洋服をつくる。


以前、和子さんが特集されていた記事を読んだ。
僕の年齢の頃は、給料の何ヶ月分もするブランドの洋服を買っては、どのような作りになっているかバラして研究していたらしい。奥さんがドレスを着ている時にその事を思い出した。
奥さんの着ているドレス一つ一つは、和子さんが多くのブランド品の服と引き換えにし、これまでずーーーーーーーーーーっと、蓄積されたものが技術として、目の前のドレスになっている。
コツコツと蓄積されたものがドレスとして形になっている。


そんな事を考えていたら、奥さんがドレスを着させてもらえるという事が、和子さんの愛情の全てのように思えた。優しい言葉をかけるでも無く、何かを与えるというのでもなく、コツコツと蓄積した時間の一部を分けてくれるということのスゴさというか...。
横軸ではなく、縦軸なんですよね。


6月にするウェディングパーティは、ドレスをはじめ、お花、写真、会場、企画、もの、ウェルカムボード等々、多くの人に協力してもらう。お金が無いので好意に甘えながら。
それぞれ、皆プロとしてやっていて、それぞれの縦軸を僕らに分けてもらう。
幸せとしか言いようが無い。


僕には他人に分ける事のできる縦軸が何もない。
このブログも自分の力に変えたいし、コツコツと蓄積していく事が「自分」になるのかな。


「自分探し」の旅をする人はいるが、横軸ではなく、時間という縦軸での旅でこそ自分が見つかる(自分になる)気がした。
言っている意味はちんぷんかんぷんになってきたが、結局のところ、こつこつと地道にやるしかないと思ったのです。

2009/04/15

とりあえず考える

やる前から、やろうともせず「できない、無理」っと聞くのは好きじゃない。


できるかできないかを考えるより、自分がしたい事を「どうしたらできるか」を考えた方が健康的だと僕は思う。勢いでやるというのではなく、一先ず考える事をしたら良い。考える事は誰でもできる。


考える前に、無理だから無理。
少し考えて、大変だからやらない。
とことん考えて、やめておく。
メチャメチャ考えて、違う方法を探す。
同じやらないにせよ、結果として”何かが残る「やらない」選択肢”があるんじゃなかろうか。


大切なのは自分と自分の周りが幸せであるということだと思っています。
とりあえず、考えるところから、僕ははじめたい。

2009/04/14

須田が池の畔の陶板

毎日書こうと言ったにもかかわらず、3日目にして断念。3日坊主。
やってみて思ったのは毎日ブログを書くというのは大変だなっということと、
続ける事によって、少しは表現力は上がるなっというのは実感として思った。
自分の感じた事を言葉にするのは大変だが、文章にするのはもっと大変ですね。
続けるというのも大変だ。



毎朝、スターネットの前の道路を掃除をする。
スターネットの前にある須田が池の畔に小さな休憩所みたいな所があって、そこも一緒に掃除をしている。あるおっちゃんがその休憩所の地面に埋まっている陶板を見て「なかなか良い陶板だねぇ」っと言っていた。陶板が埋まっているのは知っていたが、改めて見てみると陶芸の町益子らしい味のある画が描かれた陶板がそこにあった。
すごくショックだった。
毎日毎日掃除していて、3年近く見ていたのに対して気にも留めていたかったのだ。


今読んでいるドラフトの本のまえがきにこんな事を書いている
「デザイナーになる人は皆ある程度の技術を持っているわけで、本当は、見ているか見ていないか、感じているか感じていないかが大切なのです。」
これはデザインという職能に限った事ではないと思う。

自分が感動するもの大体のものは、よくこんな視点でモノを見てるなぁとか、こんな解釈の仕方もあったんだ!といった、斬新という訳ではないけれど、新しい視点・観点を形にしている、表現しているものが多い。


池の畔の陶板を見過ごして3年、改めて自分の観察力の低さを思い知らされた。
普段の食事にしても一つ一つ味わい、食を噛みしめるようなコトや、近くにいる人の何気ない変化や、空気、季節のうつろいまで、いろんな事の感じ方が希薄になっていた。
身の回りの事を一つ一つ意識した習慣や生活を「丁寧」というのかもしれない。


そういった解釈で「丁寧」ということを考えると、常に意識を身の回りにやらなければならない、すごく気の張った緊張感ある行為だといえる。それが習慣になり、普通に落とし込めたら何てスゴいんだろう。
まずは目の前の事を一つ一つ丁寧にしていきたいなっと思う。

2009/04/13

人は"自分"を表現する為に生きている

今日は終日職場でカフェの手伝い。
皿洗いやら珈琲やら、人数が少ないところなので、全員で回さなければならないのである。
だから、僕も自分の仕事ばかりすれば良いという場所でない。


職場で馬場さんを除いて男は僕だけ。
女所帯ということもあり、控えめの人が多いというか、あまり思っている事を口にせず、必要最低限の当たり障りの無い会話が多い。プライベートではまた違うのだけど...。だからミーティングをしても何かと当たり障りの無い事を言って、とりあえず発言していますみたいな...。
仕事なんて疑問と矛盾との戦いで、ある種その疑問や矛盾をクリア、解決する事が仕事であって、疑問は無い、でも不満はあるみたいな。
さて、それで良いのかな?


今僕らが結婚式のプロデュースをお願いしているユカリさんという女性がいる。大学での先輩で僕には欠かせない人である。この人が居なければ今益子には居ない。ソーユー人。
このユカリさんが面白い。前の仕事がファシリテーターという職能についており、松木正さんというファシリテーターの下で仕事をしていた。ファシリテーターとは
  • ファシリテーション:Facilitation)とは企業内の会議の場などで、発言を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し相互理解を促進し、合意形成へ導き組織を活性化(協働を促進)させる手法・技術・行為の総称。 コミュニケーションスキル以 外にも、グランドルールが必要な場合の設定内容の検討、ミーティング自体の進め方なども含み、さらに会議の場所や参加者の選択、日程のデザインなど、オー ガナイザーの役割を含む場合もある。 会議の場に限定せずとも、日常での組織コミュニケーション全般において、ファシリテーション技術は活用することができる。 また、会議の場などで、コンテンツ(議論の内容)に対して公平な立場にたち、話し合いのプロセス(流れ)に介入してファシリテーションを行う者のことをファシリテーター(Facilitator)という。    『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』
上記は参考として、僕の持っているイメージではその人の心の中に潜んでいる自分の中心みたいなものをすくいあげて、気付きを学びに変えるような能力の事だと思っていて...。
先日、結婚式の打ち合わせで神戸に帰った時にユカリさんとの打ち合わせが面白かった。


ユカリさんは結婚式のプランニングも「ものづくり」と称す。
まず、自分が企画する上で大切にしている事を伝え、その後、自分たちが呼ぶお客さんはどういった人がいて、それぞれが自分たちにとってどーゆー人達か、だから自分たちがその人達に何をしたくて、どーゆー想いで何を伝えたいのか?っで、どーゆー式にしたいのか...。アウトラインから中心を決めていく。
ソーコーしている内に、気付けば自分たちが気付いていなかった結婚式への想いみたいなものが、ユカリさんの結婚式のプランニングにしてはあまりにも大きいスケッチブックの上に記されているのだ。これは驚いた。
何気ない対話に自分の中の想いがすくい上げていかれているのだ。


その後、うちの家族とユカリさんで食事をすることになり、ユカリさんが自分が何をしているのか紹介して、そのハツラツさと自分は誰かとハッキリ話すユカリさんを見て、母が「こんなに自分を表現できているなんて素晴らしいね。」っと一言。
その一声がずっと残っていて考えていた。

音楽を作っている人間も、野菜を作っている人間も、デザイナーや建築家や教師、編集者、営業の人も、販売員、事務をしている人等々....。いろんな人間が様々な職種を選んで、それぞれ仕事を通して自分というものを投じているわけで。プロであるという事は実は「自分を表現している」という事なのかもしれない。
むしろ、仕事に限らず人は「自分を表現する為に生きている」というのは言い過ぎだろうか?


年末に東京で安藤忠雄展がやっていて、「住吉の長屋」の原寸模型があると聞いていたので足を運んだ。その日はたまたま安藤忠雄の講演があって、ほんの少しだが話を聞く事ができた。そこで言っていたのは「近年、日本は効率化、均一化を図って現在に至る。しかし、人間まで均一化してしまってはダメだ。」という話をしていた。

僕らは小さな時から、特に学校教育ではあーしろこーしろと言われ、する事を与えられ答えを用意されながら育てられてきた。その中で少し人と外れた人、常識のない人間がいたら、後ろ指を指す。常識は常識で理由があって、常識や礼儀がある。それはそれで大切だが、そこから外れた人間を後ろ指さすように見るのはどうかと思う。また、問題も答えも用意されて育ってきているので、用意されたものが無ければ、自分で作る事が出来ない。


皆違う意見があって良いし、皆違っていいんだよ。
自分の道は自分で開いて、自分で歩んでいくんだよ。
頭で分かっている人は多い。
でも、そういった人間や場面に出くわした時にすっと受け入れる人は少ない。
僕もそうだ。


いろいろと脱線したが、皆それぞれ家族とか仲間がいる場所で「自分を出せる場所」があるのに仕事になると、常識だから、自分は悪く言われたくないし、自分を表現しにくい場所だから、表現しない人がいる(表現が下手とか出来ないは別の話)。
その反対に「自分を表現した仕事をしている人」がいる。
その差は何なんだろう?


僕は「人間は自分を表現する為に生きている」っといっても過言ではないと思った。
僕は何で自分を表現していくのだろう。

2009/04/11

愚痴

朝から職場の同僚の愚痴を聞いていた。
理由は職場での事なのだが、何かと気に入らない事が多いみたいだ。聞けばあーだーこーだと色んな事をいう。そこまで言わなくてもと思うこともあるし、適当にふんふん言っている俺も俺だなぁっと思う。


きっと彼女は愚痴を言って自分を消化しているのだろう。
ただ、僕自身愚痴を言うという事はそんなに悪い事だとは思わない。
むしろ愚痴を言っている方が人間らしくて良いなぁとも思う。
ただ、愚痴がエスカレートして悪口(悪愚痴)に発展してしまうと質が悪い。


っというのも自分も含めて愚痴を言う人は極端にいうと「あいつは間違っている自分が正しい」っていうことを他人に認めてもらい、相手に「あいつは間違っている」っていうことを共感してもらいたいのだと思う。極端な話ですが。


最近、そーゆーことを考えていたら、凹んだ。すごくセンスが悪い。
本当、愚痴なんて言っている時間や労力があるのなら、それを仕事や生活の事に向けた方がよっぽど有意義だと思うし、愚痴を言う人間の周りにはやっぱり愚痴を言う人間や自分は悪口を言われたくないのでそれとなくふんふん言いながら話を聞く人が多い気がする。

逆に、愚痴を言わない人には愚痴を言いにくいし、言えない雰囲気がある。周りに愚痴を言う人間は居ない。ソーユー人はとても魅力的だ。
ちょっと前に自分も愚痴を言い過ぎていたなって反省をして、最近では気をつけるようにしている。

類は友を呼ぶ。

相手に元気が無い!笑え!と言ったところで、ほとんどは何も変わらないだろうし、むしろストレスにしかならない。自分の尺度で相手に伝えるのでは無く、相手の尺度に自分を当てはめて、相手の持っているものを引き出す努力をした方がいいと僕は思う。
笑ってほしいなら、笑わしてやれば良い。
他人があーだこーだで、他人の事に不満を持って、自分がイライラするなんて本当にもったいない。そんなことをしたいんじゃないでしょ?っと思う。


そんな事を書いているこの日記も愚痴だなぁと思う。
他人に期待せず、自分の事をしっかりやるべし!


今日、パートのマドカさんが仕事をあがる時、「おつかれさまでしたー。」っとハツラツに声をかけてくれた。いや、とても元気があって素晴らしかった。マドカさんは良く喋るが疲れてきた頃もスタンスが変わらず、元気一杯なのである。この元気は伝染する。
元気を伝染させる。
周りが楽しくなると自分が楽しくなる。
これだな。


元気も伝染すれば、愚痴も伝染する。
どちらを伝染させた方がハッピーかというのは一目瞭然である。
さて、自分にできるかな?


今日は桜吹雪がスゴかった。本当に綺麗だった。
天気がすごくよかった。青空が気持ち良かった。
ドラフトの本を読んだ。読むのが楽しみになった。
今日はマドカさんが元気で周りも元気をもらっていた。
岡崎さんと少しだがいろいろ話せた。
帰ったら美幸が畑用のかわいい看板を作っていた。
カフェのドリンクが込み合うとまだスムーズにまわせない。明日はもっと上手くできる気がする。

今日もしょーもない事で感動した。

2009/04/10

サクサクラ

日記を書こうと思った。
ずっと何となくは思っていたのだが、毎日書こうと思う。


理由はいくつかあって、自分の思った事を文章に起こすという事の練習。
自分の感じた事、思った事の記録。
主にこの2つが目的。

これまで思った事に関しては、時折ノートに記してきた。
ただ習慣というのではなく、書いたり書かなかったりして来たので、それを習慣にしようと思った。
キーボードで文を打つのは嫌いではないし、人が見る事によって、書く事にも責任が出てくると僕は思っているので、とりあえずブログという形で続けていこうと思う。


自分がどーこー思ったり、あーだこーだしているうちに、須田が池(スターネットの前の池)の辺りのサクラは満開。サクラの開花がやっぱり一番春を感じる。
「散る桜  残る桜も  散る桜」という良寛の詩を
「咲く桜 つぼみの桜も 咲く桜」っと益子の陶芸家成井恒雄さんは唄い直す。
こんな唄い直しは、相当な心を持ち合わせていないと唄えないと思う。

僕なんてまだまだ甘ちょろくて、まだまだ浅い。
今年は知識と教養の幅を広げて、仕事と生活に深みを持ちたい。



今日は朝から6月の結婚式の招待状を書いていた。
70人位に手書きで短い手紙を書いた。
手で何かを書くという行為が大切というか、やっぱりキーボードで打たれ印刷された物と手で書かれたものは違う。アナログの魅力というより、リアルであることが大切だと、僕は思っている。

手紙を書き終えてから、東京から茂木に引っ越して来た某雑誌元編集長Oさんの家を見に行く。古い平屋を大工である友人の高田君が改装。施主とペンキで壁を塗ったり、一枚一枚丁寧に杉板を床に張る。そういった高田大工の仕事一つ一つに僕はリアルという確かなものを感じる。
うちの家もそうだが今では効率を考えた建材が多く、プラモデルのような家が多すぎるように思う。住宅に限った事ではないが、何となく当たり前になっていて、失っている感覚は多い。
これからOさんは茂木で何をしていくのだろう?また今度ゆっくり話をさせてもらいたいと思った。


朝、小鳥達の鳴き声がすごくきれいだった。
招待状が大方書き終わった。
ダイリーさんが元気そうだった。
高田君の仕事は相変わらず丁寧で素敵だった。
春、本当にサクラがきれいだった。
お風呂から満月が見えた。
嬉しい事があった。
今日も沢山感動する事があった。


サクサクラ ツボミノサクラモ サクサクラ