2009/11/22

プーラン・デーヴィー

先日、車のTVでプーラン・デーヴィーというインドの女性政治家の短いドキュメンタリーを見ました。
10分ほどの間だったのですが、その激動の人生にとても考えさせられた。

彼女の生い立ちですが、
1963年 シュードラというインドのヒンドゥー教における最下位のカーストに生まれる。

身分の高い金持ちの男が、「嫁に貰ってやる」と連れて行かれる。
金持ちの男は身分が高かったため、両親は何も抵抗が出来ず、11歳で結婚。
嫁ぎ先では家畜小屋に住まわされ、虐待に合った末に婚家から追い出される。
夫に捨てられたプーランは村人から「村の恥」と罵られる日々、村人からも虐待に合う。

ある日、暴漢に襲われ強姦されそうになるところを盗賊団に助けられる。
助けた男は同じ身分シュードラで、ヴィクラムという名の盗賊だった。
ヴィクラムに誘われ、そのまま盗賊に入る。21歳。

やがて、プーランは盗賊として頭角を現し、身分の低い貧困層を虐げる金持ちだけを狙って犯行を重ねた。貧しい者には盗んだ物を分け与える盗賊団であった。
盗賊団のリーダー・ヴィクラムと2度目の結婚。

幸せを掴んだかのように思った矢先、盗賊団の反逆者の裏切りによってヴィクラムが殺害される。(身分の低いヴィクラムがリーダーだということが気に入らない仲間による裏切り)
村の男達に輪姦され、一月以上に及ぶ虐待を受ける。

自分に手を出した村の男達に復讐、22人を殺害し、インド及び国際的に悪名を轟かせる。
盗賊団を裏切った盗賊たちを追うが、相手の死を知り、自ら民衆の前で投降した。
この時、プーランを見ようと集まった民衆は数千人。貧しいものからは拍手が起こる。
貧しいものにとって、プーランは英雄だった。

11年間投獄される。が、そこは彼女の人生で初めて身の危険を感じない場所だった。
自分と向き合い、自分のような人間が現れないような社会をつくろうと釈放の後、政治家へと転身。
差別廃止のために尽力する。

2001年7月25日、ニューデリーの自宅前で射殺される。


以上が彼女の簡単な生い立ちなのですが、想像がつかない人生です。
虐待やら差別やら時代は違えど、悲しくなります。

この話を見て、すごいなぁと思ったのは彼女を支援したインドの国民です。
日本なら間違いなく前科があるっという理由で当選することはできないでしょう。
彼女が犯してしまった真実を理解し、支援することの器のでかさというか...。
20人もの人を虐殺したことから、彼女は更生し、差別と戦う決心を支える力。
決して、彼女が犯してことは許されることではないと思います。
彼女に殺された人達の家族たちはそんな事を言ってられないでしょう。
それだけ差別に苦しんだ人が多かったのでしょうが、彼女の活動はノーベル平和賞の候補になったそうです。


日本では、少し前に逃亡中の容疑者が逮捕されました。
逮捕され、搬送されている途中の東京駅で多くの報道陣が彼の顔を撮ろうと集まり、中には彼の顔を隠している服を剥ごうとしている人がいるのをみて、気持ち悪いと思った。
TVをつけてニュースを見ると悲しいニュースが圧倒的に多い。こんなニュースばかり見ていたら、そりゃ犯罪も増えるっというか病気になる。顔が見たくなる野次馬心もわかりますが、犯罪を犯した人間にだって人権はあるし、それを守るのが社会であってほしい。これはきれいごとだろうか?
第3者だからそう言えるのですが、犯したことを責めるより、犯した事を償うことを願いたい。


人は過去を背負い生きていて、傷つけたり、傷ついたり、間違ったりして、それを悔やみ、反省し、改心して進んでいて、結局その人が今何をしているかだと思うのです。
過去を悔やみ、それを払拭しようと生きている人間に「前科」があるからと判断することは、どうなんだろうか?偏見をもたないのは難しいとは思いますが、僕は繰り返さないことの大切さを知り、決心がある人は信用したいと思うのです。
自分自身、繰り返してばかりいないで、日に新たに精進していかなければ。

1 件のコメント:

  1. 私もそのドキュメンタリー見たよ

    彼女に殺された人にも家族がいて、
      彼女を心から憎む気持ちもわかった。

    市橋容疑者も、早くきちんと話をして欲しいと思う。

    わが子の最後が闇のまま、
      このままでは死体遺棄だけの罪になるなんて、
         悲しいと思う。

    食事拒否をしているってテレビで聞いて、
     胸がくるしくなりました。


    そんな悲しいニュースも受け止めつつ、

     わたしも、少しずつ前進していかなくては(^▼^)

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