5月15日
大阪南船場のURBAN RESEARCH DOORSにて、スターネットの馬場さんの講演があります。
大阪の友人には、ぜひ聞いてもらいたいです。
僕は薄情者なので、あまり人に報告せずに栃木に来たので、僕がなんで栃木に来たかを、大阪の友人に知ってもらえる良い機会だと思っています。
サダがどーこーはどーでもいいのですが、都会にいると見えない事が見えると思います。
当日は僕も行くので、久しぶりに会えたら嬉しいです。
都合がつく方はぜひ。
URBAN RESEARCH DOORS
2009/04/29
上顧客
こんな話を聞いた。
ある作家さんが陶器市の際に、仲の良い友人宅に宿泊する。
仲の良い友人の1人に陶器市や展覧会でよく器を買ってくれる人がいる。
僕は「友人・仲間」という関係の中で宿泊したり、家を行ったり、来てもらったりしているのかと思っていた。
しかし、その作家さんとよく知る人が「よく買ってくれる上顧客を大切にして偉いよね。」っと言った。
よく意味がわからなく、「上顧客とか思っていなさそうに見える。」と返したところ、
「いや、そう思っていると思うよ。」と言う。
僕の認識では、その作家Aさんは陶器市の機会に、普段から親交のあり、Aさんの器をよく買ってくれるBさんのところに宿泊するのは「友人・仲間」という関係の元、家に泊まりにいっていると思っていた。
しかし、そのAさんと親交の深いCさん曰く、泊まりにいくのも含めて、よく買ってくれる顧客を大切にしている行為だという。確かにおもてなし好きのBさんはAさんが泊まりに来るのは、実際喜ぶし、そういった場所でお互いの関係を築いていると思う。
ただ、僕はAさんがBさんのことを「上顧客」っと思っているという話が意外でよく分からなかった。実際CさんはAさんとかなり深い関係でもあるから、Aさんを深く理解した上で言っているのだと思うが、初めはよく買ってくれる上顧客だから泊まりにいくっというように聞こえた。
その後「たぶん分かってないと思うから、頭で考えないでね」とCさんが一言。
Aさん、Bさん、Cさんそれぞれが、お互いにある程度親交があり、僕から見ると友人・仲間っといった関係に見えるのだが、作家ではない僕はここでいうところの「上顧客」の意味がよく分からない。
多分、普段買ってお金を落としてくれていることへの感謝の気持ちのようなものなんかなっと。
作家は作って売ることで生活をしている。作家に限らず商売というのは売れないと意味が無い。作家の立場になったら、やはり買ってくれる人はありがたい存在だし、大切にすべき存在であるのは当たり前だと思う。
その反面「上顧客」というは、もし買わなかったらどうなるんだろうと考えた。
よく来てくれるが見て買わずに帰る人は「上顧客」にはならないのだろうか?ならないよな。
少なからず、好きで来てくれていて、経済的事情などで買う事はできないが好きだという共通の想いがそこにある。
売る側はお客さんの「好き」という想いだけに答える事はできないのか。
自分が言わんとする事はきれいごとなのは十分わかっているが、売り買いの関係で成り立つ「上顧客」という言葉に違和感が生じた。買ってくれる人=お客さん、顧客さん、売り手と買い手である前に人と人やんっと思う。
そのお店が好きでよく来てくれるお客さんに対して、「あの人はよく来てくれるが、いつも買ってくれない。どーせ買わない。」っと売り手が思うのは仕方がない事でもあるが、なんか悲しい。
別に僕は自分で商売をしている訳じゃないから、いざ自分で商売をしてみないと分からない事が多いだろう。
よく行く場所に、那須のショーゾーカフェがある。
車で2時間程かかるのだが、その場所の雰囲気はスゴく良い。
スタッフが皆長く働いている人が多いようで、人が作り出す雰囲気がスゴく好きだ。
ショーゾーにいくと「こんにちは」っと言って迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」の前に「こんにちは」っと言ってくれる事が多いのだ。
僕はお客だが、最初に「こんにちは」と人と人の挨拶からそこは始まる。
カフェだからお茶をしないなら入る事はできない。
小さなことだけど、また行きたくなる。
話はズレて、自分の中でまだまとまっていない事で、よくわからんくなってきた。
売り手とお客さんの関係って何なんだろう。
もう少し考えないと。
ある作家さんが陶器市の際に、仲の良い友人宅に宿泊する。
仲の良い友人の1人に陶器市や展覧会でよく器を買ってくれる人がいる。
僕は「友人・仲間」という関係の中で宿泊したり、家を行ったり、来てもらったりしているのかと思っていた。
しかし、その作家さんとよく知る人が「よく買ってくれる上顧客を大切にして偉いよね。」っと言った。
よく意味がわからなく、「上顧客とか思っていなさそうに見える。」と返したところ、
「いや、そう思っていると思うよ。」と言う。
僕の認識では、その作家Aさんは陶器市の機会に、普段から親交のあり、Aさんの器をよく買ってくれるBさんのところに宿泊するのは「友人・仲間」という関係の元、家に泊まりにいっていると思っていた。
しかし、そのAさんと親交の深いCさん曰く、泊まりにいくのも含めて、よく買ってくれる顧客を大切にしている行為だという。確かにおもてなし好きのBさんはAさんが泊まりに来るのは、実際喜ぶし、そういった場所でお互いの関係を築いていると思う。
ただ、僕はAさんがBさんのことを「上顧客」っと思っているという話が意外でよく分からなかった。実際CさんはAさんとかなり深い関係でもあるから、Aさんを深く理解した上で言っているのだと思うが、初めはよく買ってくれる上顧客だから泊まりにいくっというように聞こえた。
その後「たぶん分かってないと思うから、頭で考えないでね」とCさんが一言。
Aさん、Bさん、Cさんそれぞれが、お互いにある程度親交があり、僕から見ると友人・仲間っといった関係に見えるのだが、作家ではない僕はここでいうところの「上顧客」の意味がよく分からない。
多分、普段買ってお金を落としてくれていることへの感謝の気持ちのようなものなんかなっと。
作家は作って売ることで生活をしている。作家に限らず商売というのは売れないと意味が無い。作家の立場になったら、やはり買ってくれる人はありがたい存在だし、大切にすべき存在であるのは当たり前だと思う。
その反面「上顧客」というは、もし買わなかったらどうなるんだろうと考えた。
よく来てくれるが見て買わずに帰る人は「上顧客」にはならないのだろうか?ならないよな。
少なからず、好きで来てくれていて、経済的事情などで買う事はできないが好きだという共通の想いがそこにある。
売る側はお客さんの「好き」という想いだけに答える事はできないのか。
自分が言わんとする事はきれいごとなのは十分わかっているが、売り買いの関係で成り立つ「上顧客」という言葉に違和感が生じた。買ってくれる人=お客さん、顧客さん、売り手と買い手である前に人と人やんっと思う。
そのお店が好きでよく来てくれるお客さんに対して、「あの人はよく来てくれるが、いつも買ってくれない。どーせ買わない。」っと売り手が思うのは仕方がない事でもあるが、なんか悲しい。
別に僕は自分で商売をしている訳じゃないから、いざ自分で商売をしてみないと分からない事が多いだろう。
よく行く場所に、那須のショーゾーカフェがある。
車で2時間程かかるのだが、その場所の雰囲気はスゴく良い。
スタッフが皆長く働いている人が多いようで、人が作り出す雰囲気がスゴく好きだ。
ショーゾーにいくと「こんにちは」っと言って迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」の前に「こんにちは」っと言ってくれる事が多いのだ。
僕はお客だが、最初に「こんにちは」と人と人の挨拶からそこは始まる。
カフェだからお茶をしないなら入る事はできない。
小さなことだけど、また行きたくなる。
話はズレて、自分の中でまだまとまっていない事で、よくわからんくなってきた。
売り手とお客さんの関係って何なんだろう。
もう少し考えないと。
2009/04/24
お花見
家の横の八重桜が満開。
少し遅いお花見。っと言っても寒かったので家の中でお食事会。
僕らは時たま仲間うちで集まり、飲んだり食べたり呑んだりする。
益子には9時以降営業している飲み屋が無い。
9時なんて一番楽しくなる時なのに、それまでしか営業していないのです。
僕はその田舎らしい感じが好きだ。
例えば、「お茶する」っとなった時、田舎では「うちでお茶しよう。うちでお茶を飲んでいきなよ。」と大体そうなる。皆で「呑もう」っとなった時は、皆がそれぞれ自分の呑むお酒と料理を持ってきて、ちょっとしたバイキング状態になる。ある人は手作りパンを、ある人は肉料理を、ある人は煮物を、ある人はサラダを、ある人はデザートを....。人が集まれば集まる程バリエーションが広がるし、僕らの仲間うちは料理上手が多い。
僕はその「手が入った感じ」が好きだ。
お茶をするのに素敵なカフェにいくのも良いし、呑むのにいい雰囲気の居酒屋にいくのも良い。
ただ、自分で美味しくいれようと思いながらいれるお茶と、お店で注文するお茶は違う。人が何を作ってくるか!?なんて考えながら作った料理と注文した料理もやっぱり違う。
僕もカフェでお茶もするし、居酒屋にもいく。
どちらが良いという訳ではないが、でもやっぱりお金で注文する料理と作った料理は違う。
そりゃ、プロが作るから味は違うし、場所も違うので比べる事はできないと思う。
料理に限らず、考えて思いを込めて、工夫しながら作る行為が「クリエイティブ」だと言え、
「クリエイティブ」は心だと思っています。
昨日、会計士の先生を宇都宮に送る際にこんな話をしてくれた。
コンピューターをはじめ、便利になり過ぎて脳の働きが衰退し、頭(考える力)が悪くなっていて、ゲームをはじめとしたリアリティのないモノが増加していて「心」が衰退していっている。
この前、奥さんと奥さんのお姉さんとのやり取りで
嫁:「タケノコに使う木の芽を家の周りに無いか探してる」
姉:「えっ探すもんなん!?スーパーで買うんちゃうんやん!?」
っという話をしたと聞いた。
ほんの少し前に「ふきのとうをスーパーで買った」っという東京の知人がいた。
僕の家の脇には小さなふきのとうがなっていて、奥さんがそれでフキ味噌を作ってくれた。
リアリティっという側面を考えるのであれば、暮らしの中にリアリティがあるのは間違いなく田舎です。リアリティがある田舎暮らしが良いとかではなく、都会には都会の暮らし方があって、田舎には田舎の暮らしがある。
場所がどこであろうと、僕はみんなで持ち寄る集まりが好きだ。
都会的価値観と田舎的価値観。その間に新しい価値観があるような気がしています。
少し遅いお花見。っと言っても寒かったので家の中でお食事会。
僕らは時たま仲間うちで集まり、飲んだり食べたり呑んだりする。
益子には9時以降営業している飲み屋が無い。
9時なんて一番楽しくなる時なのに、それまでしか営業していないのです。
僕はその田舎らしい感じが好きだ。
例えば、「お茶する」っとなった時、田舎では「うちでお茶しよう。うちでお茶を飲んでいきなよ。」と大体そうなる。皆で「呑もう」っとなった時は、皆がそれぞれ自分の呑むお酒と料理を持ってきて、ちょっとしたバイキング状態になる。ある人は手作りパンを、ある人は肉料理を、ある人は煮物を、ある人はサラダを、ある人はデザートを....。人が集まれば集まる程バリエーションが広がるし、僕らの仲間うちは料理上手が多い。
僕はその「手が入った感じ」が好きだ。
お茶をするのに素敵なカフェにいくのも良いし、呑むのにいい雰囲気の居酒屋にいくのも良い。
ただ、自分で美味しくいれようと思いながらいれるお茶と、お店で注文するお茶は違う。人が何を作ってくるか!?なんて考えながら作った料理と注文した料理もやっぱり違う。
僕もカフェでお茶もするし、居酒屋にもいく。
どちらが良いという訳ではないが、でもやっぱりお金で注文する料理と作った料理は違う。
そりゃ、プロが作るから味は違うし、場所も違うので比べる事はできないと思う。
料理に限らず、考えて思いを込めて、工夫しながら作る行為が「クリエイティブ」だと言え、
「クリエイティブ」は心だと思っています。
昨日、会計士の先生を宇都宮に送る際にこんな話をしてくれた。
コンピューターをはじめ、便利になり過ぎて脳の働きが衰退し、頭(考える力)が悪くなっていて、ゲームをはじめとしたリアリティのないモノが増加していて「心」が衰退していっている。
この前、奥さんと奥さんのお姉さんとのやり取りで
嫁:「タケノコに使う木の芽を家の周りに無いか探してる」
姉:「えっ探すもんなん!?スーパーで買うんちゃうんやん!?」
っという話をしたと聞いた。
ほんの少し前に「ふきのとうをスーパーで買った」っという東京の知人がいた。
僕の家の脇には小さなふきのとうがなっていて、奥さんがそれでフキ味噌を作ってくれた。
リアリティっという側面を考えるのであれば、暮らしの中にリアリティがあるのは間違いなく田舎です。リアリティがある田舎暮らしが良いとかではなく、都会には都会の暮らし方があって、田舎には田舎の暮らしがある。
場所がどこであろうと、僕はみんなで持ち寄る集まりが好きだ。
都会的価値観と田舎的価値観。その間に新しい価値観があるような気がしています。
2009/04/21
噛む
朝食を食べている時に正面にいる嫁さんが「よく噛んで食べ」っと一言。
大飯食らい僕は、一噛みで飲み込んでしまう。
先日、日記に丁寧を意識するという事を書いたのにも関わらず、味わうというより食う。
俺は何て野性的なんだろう。
もう少し素材を味わい、四季のうつろいを楽しむ、風情ある日本人に近づきたいものだ。
「日記に書いていたけど、絶対にせーへんと思った」と嫁さんがチクり。
流したけれど、頭にきた。
噛みますよ野菜が液体になるほど、噛みまくってやる。
今日から僕は噛みまくる!
冗談はさておき、しっかり命の素材を味わいたいと思います。
目指すは風情ある日本人!?
大飯食らい僕は、一噛みで飲み込んでしまう。
先日、日記に丁寧を意識するという事を書いたのにも関わらず、味わうというより食う。
俺は何て野性的なんだろう。
もう少し素材を味わい、四季のうつろいを楽しむ、風情ある日本人に近づきたいものだ。
「日記に書いていたけど、絶対にせーへんと思った」と嫁さんがチクり。
流したけれど、頭にきた。
噛みますよ野菜が液体になるほど、噛みまくってやる。
今日から僕は噛みまくる!
冗談はさておき、しっかり命の素材を味わいたいと思います。
目指すは風情ある日本人!?
2009/04/19
縁
想いが込められた文章というものがある。
僕はそういったものは好きだ。
想いがこもっているってのは、文が上手い、下手、そんな事はどーでも良く思えてくる。
伝えたい想いは伝わる。
昨日書いた沼津の藤原さん、「コンフォルト」という建築デザイン誌のエッセイを見て馬場さんのところにきたらしい。藤原さんと同じ「コンフォルト」を見て、友人の高田君はスターネットに訪れて7年間勤め、卒業し、結婚、現在は益子で大工をしている。
その雑誌に連載されていた記事をまとめた「自分の仕事をつくる」という本を読んでスターネットに入ったのが僕だ。
皆同じ記事に導かれ出会い、同じ価値観を同じ場所で共有していた。
リビングワールドの西村さんが書いた記事が少なくてもこの3人を馬場さんの元に導いた。
「自分の仕事をつくる」を読んでスターネットに入社したのは僕だけではないし、スターネット以外に「自分の仕事をつくる」で取り上げられているデザイン会社やパン屋等に導かれた人、転職した人、仕事の仕方を変えた人なんかもいると思う。
「働き方研究家」と称し、西村さんが書籍とした仕事は、身近な人に大きな影響を与えていた。
「人を動かすのは感動である。感動は人の行動に変わる。」そんな話を聞いた事がある。
仕事とは相手を感動させることでもあるように思う。
結果として、西村さんが伝えた「想い・感動」が僕たちを出会わせた。
それぞれ他人である藤原さん(沼津)と高田君(栃木)、そして自分(神戸)が、西村さんの記事を見たことで、出会い、一カ所に集まっているのを見て、そんな事を思った。
これを縁というだろう。
繋がるべき人とは必ず繋がる。繋がっていると僕は思っている。
僕はそういったものは好きだ。
想いがこもっているってのは、文が上手い、下手、そんな事はどーでも良く思えてくる。
伝えたい想いは伝わる。
昨日書いた沼津の藤原さん、「コンフォルト」という建築デザイン誌のエッセイを見て馬場さんのところにきたらしい。藤原さんと同じ「コンフォルト」を見て、友人の高田君はスターネットに訪れて7年間勤め、卒業し、結婚、現在は益子で大工をしている。
その雑誌に連載されていた記事をまとめた「自分の仕事をつくる」という本を読んでスターネットに入ったのが僕だ。
皆同じ記事に導かれ出会い、同じ価値観を同じ場所で共有していた。
リビングワールドの西村さんが書いた記事が少なくてもこの3人を馬場さんの元に導いた。
「自分の仕事をつくる」を読んでスターネットに入社したのは僕だけではないし、スターネット以外に「自分の仕事をつくる」で取り上げられているデザイン会社やパン屋等に導かれた人、転職した人、仕事の仕方を変えた人なんかもいると思う。
「働き方研究家」と称し、西村さんが書籍とした仕事は、身近な人に大きな影響を与えていた。
「人を動かすのは感動である。感動は人の行動に変わる。」そんな話を聞いた事がある。
仕事とは相手を感動させることでもあるように思う。
結果として、西村さんが伝えた「想い・感動」が僕たちを出会わせた。
それぞれ他人である藤原さん(沼津)と高田君(栃木)、そして自分(神戸)が、西村さんの記事を見たことで、出会い、一カ所に集まっているのを見て、そんな事を思った。
これを縁というだろう。
繋がるべき人とは必ず繋がる。繋がっていると僕は思っている。
自分で貪欲に得る
珍しく出張。
静岡県沼津にて、馬場さんのイベントのお手伝い。
沼津に「ケンブリッジの森」というカフェがある。
ケンブリッジの森の藤原慎一郎さんは自身曰く「馬場さんの弟子」。
僕がスターネットに勤めだして3年近く経ちますが、藤原さんほど馬場さんを師と仰ぐ人はいない。今回の機会で藤原さんの馬場さんに対しての想いを知る。
自分より馬場さんに貪欲に学びを乞う藤原さんを見て、自分の甘さと意識の低さを痛感する。
少なくとも僕は馬場さんから多くの事を、仕事を通して学びに来ているはずだ。
けれど日々の忙しさを言い訳に、それを満足にできていない事を「忙しいから」としている。
おいおい、そーじゃないだろ。
最近、良い意味でいろんな事をどーでも良いと思えるようになってきた。
それはそれ、これはこれ、あれはあれ、あなたはあなた、私は私、みたいな感じで。
現在、ようやく馬場さんとも何かを共有できるようになってきた感じがある中、
足りないのは自分の貪欲さ、そして情熱だ。
藤原さんから感じたのは、愛と情熱、感謝だった。
益子の大工の高田君も沼津に来ていて話していたのだが、高田君が見る佐田像のかけらを聞いた。よく見てくれている事と的確な意見と感想が自分の中で嬉しく思えた。自分が磨くのはそこだなっと思う。
気付けば益子で得たものはあるが、自分で得たものもあれば、与えられたもの、環境の中から勝手についてきたものもある。
ただ、自分で貪欲に得る事が一番大きく積み重なっていくという事を、意識していきたい。
静岡県沼津にて、馬場さんのイベントのお手伝い。
沼津に「ケンブリッジの森」というカフェがある。
ケンブリッジの森の藤原慎一郎さんは自身曰く「馬場さんの弟子」。
僕がスターネットに勤めだして3年近く経ちますが、藤原さんほど馬場さんを師と仰ぐ人はいない。今回の機会で藤原さんの馬場さんに対しての想いを知る。
自分より馬場さんに貪欲に学びを乞う藤原さんを見て、自分の甘さと意識の低さを痛感する。
少なくとも僕は馬場さんから多くの事を、仕事を通して学びに来ているはずだ。
けれど日々の忙しさを言い訳に、それを満足にできていない事を「忙しいから」としている。
おいおい、そーじゃないだろ。
最近、良い意味でいろんな事をどーでも良いと思えるようになってきた。
それはそれ、これはこれ、あれはあれ、あなたはあなた、私は私、みたいな感じで。
現在、ようやく馬場さんとも何かを共有できるようになってきた感じがある中、
足りないのは自分の貪欲さ、そして情熱だ。
藤原さんから感じたのは、愛と情熱、感謝だった。
益子の大工の高田君も沼津に来ていて話していたのだが、高田君が見る佐田像のかけらを聞いた。よく見てくれている事と的確な意見と感想が自分の中で嬉しく思えた。自分が磨くのはそこだなっと思う。
気付けば益子で得たものはあるが、自分で得たものもあれば、与えられたもの、環境の中から勝手についてきたものもある。
ただ、自分で貪欲に得る事が一番大きく積み重なっていくという事を、意識していきたい。
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