2009/04/24

お花見

家の横の八重桜が満開。
少し遅いお花見。っと言っても寒かったので家の中でお食事会。
僕らは時たま仲間うちで集まり、飲んだり食べたり呑んだりする。

益子には9時以降営業している飲み屋が無い。
9時なんて一番楽しくなる時なのに、それまでしか営業していないのです。
僕はその田舎らしい感じが好きだ。


例えば、「お茶する」っとなった時、田舎では「うちでお茶しよう。うちでお茶を飲んでいきなよ。」と大体そうなる。皆で「呑もう」っとなった時は、皆がそれぞれ自分の呑むお酒と料理を持ってきて、ちょっとしたバイキング状態になる。ある人は手作りパンを、ある人は肉料理を、ある人は煮物を、ある人はサラダを、ある人はデザートを....。人が集まれば集まる程バリエーションが広がるし、僕らの仲間うちは料理上手が多い。
僕はその「手が入った感じ」が好きだ。


お茶をするのに素敵なカフェにいくのも良いし、呑むのにいい雰囲気の居酒屋にいくのも良い。
ただ、自分で美味しくいれようと思いながらいれるお茶と、お店で注文するお茶は違う。人が何を作ってくるか!?なんて考えながら作った料理と注文した料理もやっぱり違う。
僕もカフェでお茶もするし、居酒屋にもいく。
どちらが良いという訳ではないが、でもやっぱりお金で注文する料理と作った料理は違う。
そりゃ、プロが作るから味は違うし、場所も違うので比べる事はできないと思う。


料理に限らず、考えて思いを込めて、工夫しながら作る行為が「クリエイティブ」だと言え、
「クリエイティブ」は心だと思っています。


昨日、会計士の先生を宇都宮に送る際にこんな話をしてくれた。
コンピューターをはじめ、便利になり過ぎて脳の働きが衰退し、頭(考える力)が悪くなっていて、ゲームをはじめとしたリアリティのないモノが増加していて「心」が衰退していっている。


この前、奥さんと奥さんのお姉さんとのやり取りで
嫁:「タケノコに使う木の芽を家の周りに無いか探してる」
姉:「えっ探すもんなん!?スーパーで買うんちゃうんやん!?」
っという話をしたと聞いた。
ほんの少し前に「ふきのとうをスーパーで買った」っという東京の知人がいた。
僕の家の脇には小さなふきのとうがなっていて、奥さんがそれでフキ味噌を作ってくれた。


リアリティっという側面を考えるのであれば、暮らしの中にリアリティがあるのは間違いなく田舎です。リアリティがある田舎暮らしが良いとかではなく、都会には都会の暮らし方があって、田舎には田舎の暮らしがある。


場所がどこであろうと、僕はみんなで持ち寄る集まりが好きだ。


都会的価値観と田舎的価値観。その間に新しい価値観があるような気がしています。

1 件のコメント:

  1. ふきのとう!

    私は採りたてを天ぷらにした!
    まじビールに合ったわぁ~
     
    なゆか

    返信削除