2013/11/21

ゆとり

 「最近の若者は」っとよく聞く言葉。気付けば僕も口にするようになっていた。
僕も20代前半は多分「最近の若者」という、どうしよもない若者として括られていたし、今もそう見られているかもしれない。

少し前に何かのサイトで「若者は出来ないのではなく、経験が足らないだけ」的な言葉を見て、その通りだと思った。僕は若者を若造的な目でみるヤツは嫌いだ。あんたはどんだけ素晴らしい大人なんだと言い返したくなる。

大学のカリキュラム等のコーディネートしている知人の話で「最近の若い子は”ゆとり世代”と見られることにすごく敏感で、学生の子達と話していても『ゆとり世代と言われるけど、私達やりますから』といったことを話す若い子が少なくない」と話していた。
それを聞いて、ゆとり世代と言われる今の若い子達も別に好き好んでゆとり世代になった訳でもなく、大人が勝手に組んだ教育の中で時間を過ごし育ってきたにすぎなくて、彼らを「ゆとり」で括るには少し違和感がある。

ゆとりにせよ、ゆとりじゃないにせよ、何かに一生懸命仕事になるというのは気持ちの部分が大きく、それはゆとりよりも周囲の大人の影響の方が大きいのではないだろうか。
例えば楽しそうに仕事しているとか、目標が高いとか、仕事の質感に感動するとか、何気ない一言や仕草に救われたとか…。「ゆとり世代」(というより他人)を変えることはできない、ただ一緒に仕事をしている現実をどう良い時間にしていくかが、大切なんだと思う。


きれいごとだよとか、そうは言っても、といった言葉も聞こえてきそうですが、若い子を「ゆとり世代」で語ったところで、何も生まれない。

2010/10/13

マラソン日記 地域

宇都宮
とちぎ
土浦
春日部
大宮
練馬
品川
川崎
横浜
相模
湘南
伊豆
沼津
静岡
浜松
豊橋
岡崎
豊田
名古屋
尾張小牧
三河
一宮
岐阜
滋賀
京都
大阪
なにわ
神戸

地域が変われば、車のナンバーも変わる。

マラソン6日目

朝、4時に目が覚めて、ふと体育館の外を見ると警察が歩いていた。血の気がひいて一気に眠気が覚める。
そそくさと高校を後にして、浜辺でストレッチ。
コンビニで軽い朝食を済ませて、海辺の道を走る。変わらない景色のおかげで集中して走っていたのに、沼津港から○○km・富士川河口まであと○○kmっという標識が出てくると、いちいちどのくらい走った、どのくらいで走った、あと○○kmっということが気になってしまう。こういった事が気になりだしたらもう終わり。そこからなかなか抜けれない。道を変えて歩いたり走ったり。国道1号線をひたすら焼津を目指して走る。

太陽が高く登る。
車通りの多い国道を進む。
大きく広がる海沿い。
人の通れない国道へ入る。回り道。

由比という町に出会う。
とても雰囲気のいい町で、漁業が盛んのようだった。
サダスーパーをつくる時にこの町から何か仕入れたいなぁっとか考える。
今度、家族で来たい町リストに加わる。

海沿いの国道を一気に突き進む。
日差しがピークに厳しい中、何となく走っている事に集中できた。


走っている事がとても自由だと感じた。
進む事だけに時間を費やせる自由。
これも全て美幸のおかげだ。
僕は自由だ。
自由になる事は決して時間がある事や選択できる事をいうのではなく、心が羽ばたいているか、いないかでは無いだろうか?
心が羽ばたいていることの実感。
僕らは常に自由だ。そんな感覚。


清水の街、草薙の駅を目指す。
最近、藤原さん(ケンブリッジの森)がデザインしたNORTH FACEに益子の家具作家・高山さんの家具が入っていて、展覧会もしているとの事だったので、寄らせてもらう。17時頃に到着。NORTH FACEでたまたま藤原さんとスターネットで取引させてもらっていた鈴木さんという方に出会う。会えて良かった。
藤原さんが「益子から神戸まで走っている」と説明してくれると、鈴木さんが
「もう6日も走っているようには見えないね、表情がとても元気がある。」っと言ってくれたのが嬉しかった。
周りから疲れているように見えないと言われるのは嬉しい。疲れている、元気が無いなんて思われたくない。
NORTH FACEでお茶をして(藤原さんにおごって下さいとお願いすれば良かったとあとで後悔)、焼津を目指して走る。

この日、焼津まで行かないと翌日浜松までの到着が難しくなるので、どうしても焼津についている必要があったので、用宗というところまで一気に走る。用宗から焼津に抜けるにはトンネルか海岸沿いの道しかなく、トンネルに行くと人は通れないとのこと。海岸沿いの道まで歩くが、海沿いで歩道も街頭も無い狭い道で、もう真っ暗だったのでヒッチハイクをする10分くらいすると白いスポーツカーが止まってくれ、乗せてくれた。乗せてくれた30後半のお兄ちゃんはクネクネした道をドリフトしながら走る。走り屋だった。走り屋の横に乗ったのは初めてだったけど、運転うま過ぎ!イヌシャルD(走り屋の漫画)の気持ちがわかった気がする。車もマニュアルの方が運転している気がするってもんだ!

峠を越して、降ろしてもらう。
3日連続野宿はキツいなっと思ったので21時頃焼津の駅で、リュックに「怪しいものではありません。僕を泊めて下さい。」っとノートを貼るが効果無し。駅近くの一泊5000円のホテルに「1000円くらいで泊まらせてもらえませんかぁ」っと訪ねると丁重に断られる。
とりあえず浜松方面に歩きながら、っとある公園のトイレで携帯の充電をして休んでいると、少し離れているところでイチャついているカップルがセックスをしはじめる。なんか青春っぽいなっと見ていたが、気兼ねなく楽しんでもらおうと思って充電もままらなぬまま歩き始める。この時点でもう12時を回っていた。

お風呂と思って、っとある小学校の校庭でこの日も全裸で水を浴びて洗濯。水を浴びるのにはもう寒い。駄目元で体育館を見てみるとなんと体育館の倉庫の窓が開いていた!2日続けて体育館に出会えるなんて!この日もマットの上で心地よく眠る事ができた。

マラソン5日目

5日目。
朝5時に目覚ましで起床。
海近くだったので、風が強く体が冷えきっていた。

野宿だったので体が痛くなっているかと思えば、疲れきっていたのでそれ以上疲れる事も無く、寝た事で少しマシになっていた感じでしたが疲れが取れている訳でもなく、足は筋肉痛や体は疲労で重かった。小田原に到着後、ガストがあったので新聞を読み、携帯を充電させてもらい、腹ごしらえ。「携帯充電させて下さい」とお願いすると快く受けてくれる。前日野宿したし、これから箱根だし、ちょい贅沢をした。

箱根口(交差点)に立ち、気合いを入れて再スタート。坂がきつくなってきたらほぼ歩き。木々に囲まれた道は気持ち良く太陽の暑さは感じず、木々に守られている気すらした。
箱根はいくつかの温泉地があり、それぞれに観光客が沢山いた。緑が多くて気持ちがよく今度は家族で来たい場所となる。
マラソン選手らしき女性が坂道をひょいひょいと走って、すーっと抜かれる。それが悔しくて数百メートル対抗して走るけど、追いつく事は無理でした。「他人のペースは他人のペース、走りだろうが歩きだろうが自分のペースで進むべし!」っと開き直る。途中川に降りて休憩したりしながら歩く歩く。
木々に囲まれた心地よい道がいつまでも続く訳もなく、太陽の日差しを浴びながら進んでいると。「国道1号線最高標高874m」の看板を見て、なぜか感無量。こういった知らせはなんだかテンションが上がる。

昼頃に芦ノ湖に到着。観光客がとても多く、山に囲まれた湖畔はとても気持ちが良く休憩しながら昼寝をする。

目が覚めて、ブラブラと走り歩きで数キロ進んだ事に「静岡県」の県境の看板を見てテンションが上がる。県や市・町が変わるのも気持ちが嬉しくなる。峠を過ぎ、沼津に向けて下りが中心の国道を走り、下りだから楽かと思えばそうでもなかった。

途中、旧東海道の道を保存した道があったので、そっちを歩いてみたが、昔の状態を保存している道はゴツゴツとした石を並べた道で歩きにくさ全開だった。走り出した理由の一つに、原始的な事というか、自分の身体や精神を使う状態ようなことに憧れていて、わかりやすくいうと「昔の人の暮らし」に憧れを持っていて、坂本龍馬(龍馬に限らずですが...)が土佐から江戸まで歩いていた時代はどんなんだったんだろう的な興味をずっと持っていた。だから今回のせっかくの機会に足で進んでみたいと思ったのですが、東海道ったてこんなボコボコした道を歩いていたのかっと思うと改めて昔の人達はスゲーなぁっと思う。アスファルトで舗装された道をニューバランスのランニングシューズで進んできたなんて屁のカッパだ。
そんな事をぶつくさと考えながら進んで山を降りた頃にはすっかり夕暮れになっていた。

どうしても風呂に入りたくて、携帯で調べると沼津に大正時代から続く銭湯がある事が発覚。営業時間が8時までとなっていたのでそれに間に合うように三島から沼津まで走る。
なんとか7時半に銭湯に入ると番台に座っていたおっちゃんが
お:「今日はお客さんがいないからもう締めようと思っているんだよ。」
佐:「えぇ、せっかく来たので入らせてもらえませんか?」
お:「ほんの少しで良ければ...」(すげぇ嫌そうな顔をする)
佐:「8時まで入っても良いですよね?」
お:「できれば10分位で上がってもらえたら...」(営業時間は8時まで)
佐:「わかりました。出来るだけ早く上がるようにします。だから少しマケてもらえませんか?」
お:「なら無理に入って頂かなくても...」
佐:「わかりました。350円ね。」
お:「ありがとうございます。」
(お金を渡す)
佐:「今日、小田原の方から走ってきたんですよ。」
お:「そーですか、はい150円」(反応無し)

んー、ボケかけのおじいちゃんかもしれないけど、すごく残念な気持ちでお風呂に入る。
お風呂入っている隣で、女風呂をゴシゴシ洗う音がする。しまいに男風呂まで洗いにくる。
ほーんとムカついてきて、そそくさと風呂を出て「ありがとー」って振返るとおっちゃんが全裸になっていて「どーもぉ」っと見送りにきた。自分が風呂に入りたかっただけじゃーん!!
昭和の初めから続く銭湯で建物や置いているものが全部当時のもので風情のある銭湯だったのですが、おっちゃんの風呂入りたさに僕は気分が悪かった。こりゃ人は来なくなるわ。残念だけど当然。変化に対応できないものは負けてゆく。

その後、ローソンでカップラーメンと発泡酒を買って夜ご飯。
沼津ではスターネットでお世話になった藤原さんの家に泊めてもらおうと思っていたのですが、都合が合わず断念、残念。
今夜の寝床は浜辺にしようと浜辺方面へ歩く。っとある浜辺近くの高校の校庭で歯磨き&洗濯。どこか寝床無いかなぁ〜っとブラブラしていたら体育館の窓が開いていたので、こっそり覗いてみると体育館の倉庫の中。なので体育館の体操のマットの上で気持ちよく寝る事ができました。

2010/10/08

マラソン4日目

6時頃起床。
祐介が朝食を用意してくれる。
前日もそうなのだが、このマラソンに対して本当に協力し、応援してくれているのがとても嬉しかった。

出発、サラリーマンや学生が動き出していた。
住宅地の合間や専修大学の横を抜けて、土祭で知り合った鈴木そのさんと息子の凱に会い(そのさんの職場でご馳走になりに)に青葉台を目指し走る。途中、凱から「○○の前で待っているから!」っと電話をもらう。凱は小学生にしてかなりの電車オタクで、一人で電車やバスを乗りこなす相当頭の良い子だ。会いたいと思ってくれているのがとても伝わり嬉しかった。
青葉台で凱とそのさんの職場でお茶をして、その後、厚着街道沿いをひたすら走る。横を東名が通っているのでいつも見ているICやSAを外から見るのが面白い。車が多く行き交う国道&日陰が少なく暑さが厳しかった。

途中、水を補給したり自販で飲み物を買ったりして水分補給。昼過ぎの2頃、腹が減りすぎたためラーメン屋に入るがクーラーと油で気持ち悪くなり、外で昼寝をしてから走る。夕方前、携帯の充電が無くなってきたので、厚木の図書館で充電&休憩&新聞を読む。

厚木の後は小田原を目指していたけど、時間的につけなさそうなので、大磯くらいまでにはつけるように目的変更。結局、小田原の手前の二宮町で野宿する事になる。途中、小田原に着けなさそうなことを、何か悔しく思ったり、情けなく思ったりしてしまうが、そんなことは問題ではないと後々気付く。嫁には10日でつくように頑張ると言った手前、早くつかないといけないとこの時はなんか焦ってた。
目的は結局走る事でも、早く帰る事でもなく、前進する事だ!

平塚辺りで真っ暗になる。
平塚からは国道一号線沿いを走る。東海道にある一里塚(昔の一里毎に置かれた休憩所)の事を知る。ここから名古屋まで沢山の一里塚と宿場町を目にする事になる。
今までハイライトでしか見た事が無いけど、一号線を走ったおかげで次の箱根駅伝を見るのが楽しみになった。

携帯で調べると大磯グランドホテルの温泉が良いと書いていたので、大磯に到着後、グランドホテルで客のフリをして温泉に入ろうと思って行ってみるが、お風呂の前で厳重な宿泊客チェックをしていて入ることができなかった。洗濯機があったので洗濯だけしてグランドホテルを出て、小田原方面に寝床を探しながら歩く。この時で11時くらいになっていた。
途中、っとある中学校のグランドで全裸になり、ホースで凍えながら汗を流す。
日が変わった頃に、っとある体育館の外の階段の踊り場が人目にもつかず、丁度良さそうだったので、そこで寝ることにして就寝。
寝るときは初日に購入したカッパを下に敷いて、ティシャツを上に掛けて寝る。
夏の終わり、野宿するには寒すぎた。


この日は初めてアテも無く走った。それは結構孤独感のようなものを感じつつ、自由な感じもあったが、寝る所が決まっていないっというのは結構不安な気持ちになる。それでも寝る所は無いしお金も無いので野宿という、選択肢が一つしか無いことはも決まっていた。野宿できる場所を探しながら街を一人で歩くのは面白かった。

マラソン

6時頃起床。
祐介が朝食を用意してくれる。
前日もそうなのだが、このマラソンに対して本当に協力し、応援してくれているのがとても嬉しかった。

出発、サラリーマンや学生が動き出していた。
住宅地の合間や専修大学の横を抜けて、土祭で知り合った鈴木そのさんと息子の凱に会い(そのさんの職場でご馳走になりに)に青葉台を目指し走る。途中、凱から「○○の前で待っているから!」っと電話をもらう。凱は小学生にしてかなりの電車オタクで、一人で電車やバスを乗りこなす相当頭の良い子だ。会いたいと思ってくれているのがとても伝わり嬉しかった。
青葉台で凱とそのさんの職場でお茶をして、その後、厚着街道沿いをひたすら走る。横を東名が通っているのでいつも見ているICやSAを外から見るのが面白い。車が多く行き交う国道&日陰が少なく暑さが厳しかった。

途中、水を補給したり自販で飲み物を買ったりして水分補給。昼過ぎの2頃、腹が減りすぎたためラーメン屋に入るがクーラーと油で気持ち悪くなり、外で昼寝をしてから走る。夕方前、携帯の充電が無くなってきたので、厚木の図書館で充電&休憩&新聞を読む。

厚木の後は小田原を目指していたけど、時間的につけなさそうなので、大磯くらいまでにはつけるように目的変更。結局、小田原の手前の二宮町で野宿する事になる。途中、小田原に着けなさそうなことを、何か悔しく思ったり、情けなく思ったりしてしまうが、そんなことは問題ではないと後々気付く。嫁には10日でつくように頑張ると言った手前、早くつかないといけないとこの時はなんか焦ってた。
目的は結局走る事でも、早く帰る事でもなく、前進する事だ!

平塚辺りで真っ暗になる。
平塚からは国道一号線沿いを走る。東海道にある一里塚(昔の一里毎に置かれた休憩所)の事を知る。ここから名古屋まで沢山の一里塚と宿場町を目にする事になる。
今までハイライトでしか見た事が無いけど、一号線を走ったおかげで次の箱根駅伝を見るのが楽しみになった。

携帯で調べると大磯グランドホテルの温泉が良いと書いていたので、大磯に到着後、グランドホテルで客のフリをして温泉に入ろうと思って行ってみるが、お風呂の前で厳重な宿泊客チェックをしていて入ることができなかった。洗濯機があったので洗濯だけしてグランドホテルを出て、小田原方面に寝床を探しながら歩く。この時で11時くらいになっていた。
途中、っとある中学校のグランドで全裸になり、ホースで凍えながら汗を流す。
日が変わった頃に、っとある体育館の外の階段の踊り場が人目にもつかず、丁度良さそうだったので、そこで寝ることにして就寝。
寝るときは初日に購入したカッパを下に敷いて、ティシャツを上に掛けて寝る。
夏の終わり、野宿するには寒すぎた。


この日は初めてアテも無く走った。それは結構孤独感のようなものを感じつつ、自由な感じもあったが、寝る所が決まっていないっというのは結構不安な気持ちになる。それでも寝る所は無いしお金も無いので野宿という、選択肢が一つしか無いことはも決まっていた。野宿できる場所を探しながら街を一人で歩くのは面白かった。

2010/09/28

マラソン2日目

帰省マラソン2日目。
小山から浦和まで走る。約55kg程の距離。
天候は曇りのち晴れ。昼頃から暑かった。

朝5時過ぎ頃に起床。
前日のお酒が少し残っている。人の金だと思って調子に乗りすぎちゃったみたい。
準備とストレッチをして、下に降りるとぼっちゃんのお母さんがご飯を用意してくれていた。シャケと目玉焼きに白いご飯の朝食に、お昼用のおにぎりも持たせてくれる。雨を心配したり、なんやかんやと気にかけてくれている姿を見ると息子になった気分になる。
心づかいに感謝。

天気は晴れ、前日の雨のおかげで涼しい気候の中スタート。
小山から新幹線の高架下を主に走ったので、日陰を走ることができ楽勝楽勝〜。っとつかの間足の動きが悪くなる。10kmもしないうちに歩き出し、歩いては走って、走っては歩いて、歩いては歩いて...。
公園や役場(役場には給水機が大体あるので、絶好の給水ポイントであることを発見!)で水を汲みながら、休憩をしっかり取りながら走る。
多摩川を超えた橋の下で、昼食&昼寝。


久喜駅で駅のホームを見る。いつも東京に行く際に見ていたホームを外から見ていることがとても不思議な気分だった。その少しあと、東北道の蓮見SAの看板を見て同じことを思う。いつもは飛ばして見ている景色の中からその風景を見ていると、その壁の向こう側がこうなっているのか!?とか、こんなものがあるんだっと、当たり前なのかもしれないけど、時間と体力を掛けて見る風景と車や電車で飛ばしてみる景色では見え方も感じ方も違うので、気付くことが多いことを体感。
景色の中からいつもの電車を見る。電車から僕を見ている人はいるのかねぇ?人は見えないけど電車は見え、電車の音、踏切の音、車の音が入り交じる。なんとない風景だけど、忘れがたい感覚だった。

とても早いスピードの中では見落としている風景が沢山ある。時間をかければ良いというワケじゃないだろうけど、元は何でも時間は掛かるものだったことに気付く。どんなに急いだって100kmも200kmも進めない。トラックが行き交う国道を歩いていると、皆せかせかしているように見える。普段はそんな風に見えなかったけど、歩いているだけで風景は変わるもんだ。


夕方、さいたま市に入り、浦和までもう少し、あとどのくらい、コモチの家で休もう、ご飯をごちそうしてもらおう、そんなことばかり考えていると気持ちがしんどくなってきた。自分でしんどいことを選択しているのに何故楽をしたがるんだろうか?答えは疲れてきたから。
一歩進むことだけを考えよう、っと言い聞かせながら、早くつきたい疲れたという自分との葛藤。
今となっては笑えるけど、この時ばかりは股擦れもひどく(ほーんとうに痛くて、お尻の割れ目が被れていたような、ミミズ腫れしているような感じだった。)、足も筋肉痛、足の裏に小さな水ぶくれが出来ていたり...。この先、無事つけるのかと不安になったのは後にも先にもこの時だった。でも不安になったかと思えば、体がキツいのと、横をびゅんびゅん行き交う車を見ていると「俺なんて馬鹿なことしてんやろ!?」っと笑けてきた。笑けてきて、お馬鹿な自分がとても素敵やな〜っと愛おしくなる。痛い!
体の限界なんて気持ちの問題で、後少しやと思うといきなり全力で走ってみたり、どれだけ走れるか走ってみたり、気合いを入れるため「ぐぅぁー!いぐどぉー!」とか叫びだし、タオルで顔を隠しながら冷たい視線をすりぬけたり、おかしくなっていた。そんな感じになったころに北浦和の駅に到着。

大学時代の友人のコモチと合流。駅前で待ってくれているコモチをみるとホッとした。
股擦れがひどかったので薬局で塗り薬と生理用ナプキンを購入。ナプキンはコモチにおごってもらった(笑)。最近彼女が出来たらしいので、必要なさそうなナプキンは彼女の為に残しておきました。
ご飯を駅前のチェーン店らしき定食屋でご馳走になる。その後コモチの家にお邪魔し、PS3のウィニングイレブンを対戦した。大学の時よくなーんか久しぶりな感じが楽しかった。
お風呂を頂き、就寝。

コモチの部屋は相変わらずきれいで、整理整頓が素晴らしかった。
俺がグダグダしている間に洗濯物を干してくれて、自分のベットまで提供してくれ、朝起きたらコモチはフワフワクッションの上で寝てくれていた。アホな俺の体を気遣ってくれたことに感謝。

マラソン3日目

帰省マラソン2日目。
小山から浦和まで走る。約55kg程の距離。
天候は曇りのち晴れ。昼頃から暑かった。

朝5時過ぎ頃に起床。
前日のお酒が少し残っている。人の金だと思って調子に乗りすぎちゃったみたい。
準備とストレッチをして、下に降りるとぼっちゃんのお母さんがご飯を用意してくれていた。シャケと目玉焼きに白いご飯の朝食に、お昼用のおにぎりも持たせてくれる。雨を心配したり、なんやかんやと気にかけてくれている姿を見ると息子になった気分になる。
心づかいに感謝。

天気は晴れ、前日の雨のおかげで涼しい気候の中スタート。
小山から新幹線の高架下を主に走ったので、日陰を走ることができ楽勝楽勝〜。っとつかの間足の動きが悪くなる。10kmもしないうちに歩き出し、歩いては走って、走っては歩いて、歩いては歩いて...。
公園や役場(役場には給水機が大体あるので、絶好の給水ポイントであることを発見!)で水を汲みながら、休憩をしっかり取りながら走る。
多摩川を超えた橋の下で、昼食&昼寝。


久喜駅で駅のホームを見る。いつも東京に行く際に見ていたホームを外から見ていることがとても不思議な気分だった。その少しあと、東北道の蓮見SAの看板を見て同じことを思う。いつもは飛ばして見ている景色の中からその風景を見ていると、その壁の向こう側がこうなっているのか!?とか、こんなものがあるんだっと、当たり前なのかもしれないけど、時間と体力を掛けて見る風景と車や電車で飛ばしてみる景色では見え方も感じ方も違うので、気付くことが多いことを体感。
景色の中からいつもの電車を見る。電車から僕を見ている人はいるのかねぇ?人は見えないけど電車は見え、電車の音、踏切の音、車の音が入り交じる。なんとない風景だけど、忘れがたい感覚だった。

とても早いスピードの中では見落としている風景が沢山ある。時間をかければ良いというワケじゃないだろうけど、元は何でも時間は掛かるものだったことに気付く。どんなに急いだって100kmも200kmも進めない。トラックが行き交う国道を歩いていると、皆せかせかしているように見える。普段はそんな風に見えなかったけど、歩いているだけで風景は変わるもんだ。


夕方、さいたま市に入り、浦和までもう少し、あとどのくらい、コモチの家で休もう、ご飯をごちそうしてもらおう、そんなことばかり考えていると気持ちがしんどくなってきた。自分でしんどいことを選択しているのに何故楽をしたがるんだろうか?答えは疲れてきたから。
一歩進むことだけを考えよう、っと言い聞かせながら、早くつきたい疲れたという自分との葛藤。
今となっては笑えるけど、この時ばかりは股擦れもひどく(ほーんとうに痛くて、お尻の割れ目が被れていたような、ミミズ腫れしているような感じだった。)、足も筋肉痛、足の裏に小さな水ぶくれが出来ていたり...。この先、無事つけるのかと不安になったのは後にも先にもこの時だった。でも不安になったかと思えば、体がキツいのと、横をびゅんびゅん行き交う車を見ていると「俺なんて馬鹿なことしてんやろ!?」っと笑けてきた。笑けてきて、お馬鹿な自分がとても素敵やな〜っと愛おしくなる。痛い!
体の限界なんて気持ちの問題で、後少しやと思うといきなり全力で走ってみたり、どれだけ走れるか走ってみたり、気合いを入れるため「ぐぅぁー!いぐどぉー!」とか叫びだし、タオルで顔を隠しながら冷たい視線をすりぬけたり、おかしくなっていた。そんな感じになったころに北浦和の駅に到着。

大学時代の友人のコモチと合流。駅前で待ってくれているコモチをみるとホッとした。
股擦れがひどかったので薬局で塗り薬と生理用ナプキンを購入。ナプキンはコモチにおごってもらった(笑)。最近彼女が出来たらしいので、必要なさそうなナプキンは彼女の為に残しておきました。
ご飯を駅前のチェーン店らしき定食屋でご馳走になる。その後コモチの家にお邪魔し、PS3のウィニングイレブンを対戦した。大学の時よくなーんか久しぶりな感じが楽しかった。
お風呂を頂き、就寝。

コモチの部屋は相変わらずきれいで、整理整頓が素晴らしかった。
俺がグダグダしている間に洗濯物を干してくれて、自分のベットまで提供してくれ、朝起きたらコモチはフワフワクッションの上で寝てくれていた。アホな俺の体を気遣ってくれたことに感謝。

2010/09/22

マラソン到着!

8日に出発し、14日...。
昨日、ようやく神戸に到着しました。

道中、沢山の人にお世話になり、出会い、電話やメール、ツイッターで声援をもらい...。とても心強く、一人で走っている気がしませんでした。ツイッターやブログを楽しみにしてくれているという人がとても多かったなか、メールやネットとは距離を置きながら走りたかったので、あまり更新も返信もすることはありませんでしたが、いつも確認していました。感謝しています。


ただ走る(半分以上は歩いていましたが...進むっということか!)ということは、とても自由でした。
とても楽しく、気持ちよかった。
体力的に辛く苦しい時間はありましたが、気持ちが疲れることはありませんでした。
これも、走ることを後押ししてくれた益子の友人達、途中宿泊や食事を提供して助けてくれた友人知人、何より神戸で待ち、14日という時間をくれた妻と家族のおかげです。
感謝。


さてさて、マラソンをして何か変わったのか?
体重(5kg)が減った、肌が焼けた、髭がボーボーになったとか...今はそんなとこです。
いろいろ、感じたこともあるので、また道中のことは綴っていきたいと思っています。
まだ、しばらくネットが繋がらないので、ゆ〜ったりと書いていきます。
まずはご報告とお礼まで。
ありがとうございました。

2010/09/14

マラソン7日目

今、浜松にいます。
今日で7日目、身体も大分慣れてきましたが、足はずーっと筋肉痛です。

走るのは大変なのですが、走って(歩いて)いる事が楽しくなってきた。しんどくても、楽でも、熱くても、険しくても、どんなに焦っても一歩しか踏み出すしかない。でも一歩踏み出せば進むんです。
毎日、50〜60km進んでいます。
やればなんとかなるもんです。
人の力は素晴らしい。

今日は中学校の担任の先生のところに宿泊させてもらい、鰻とお風呂をご馳走になりました。今夜は4日ぶりに布団で寝れる!

ブログはなかなか書けないですが、Twitterで場所くらいは報告がてら更新しています。
https://twitter.com/sadahiroki

2010/09/11

サダマラソンルール

1. 車で迎えにきてもらっても、車に乗らない。(状況に応じて乗った場合は同じ場所から再スタート。)
2. 公共の交通機関も利用しない。(状況に応じて乗った場合は同じ場所から再スタート。)
3. コンビニやファーストフードで食事を買わない。(すいません、今日パンを買って食べてしまいました。明日から適用)
4. ゴールをするまで休日は無い。
5. 「つかれた。」「しんどい。」は言わない。

以上

2010/09/10

マラソン3日目

今朝は5:30に浦和を出発。
9:30過ぎに池袋の自由学園(F.L.ライト設計)へ。

スターネットで、お世話になったリビングワールド西村さんとエフスタイルさんと会いに。
僕は西村さんの著書「自分の仕事をつくる」を読んでスターネットに訪れるきっかけをもらい、スターネットに入って最初の仕事が「リビングワールドの仕事展」だっただけに、やっぱ走っている間に会いに行きたかった。会えないかと思っていたのですが、運良く会う事ができた。日頃の行いに感謝。

お二方が出展されている見本市「STOCKISTS」を見学。
デザインとクラフトがうまく融合されたプロダクトを中心に組み立てられた見本市で、決して大きすぎない会場も吉。あまりゆっくり見れなかったのですが、とても面白い展示会でした。

自由学園から出るとき、西村さんが最後まで手を振ってくれたのがとても嬉しかった。
先日、益子で家具作家の高山さん家に、帰省の挨拶をしに行ったときも姿が見えなくなるまで手を振ってくれたのが、とても嬉しく、とても寂しかった。
人を見送る時は姿が見えなくなるまで、見送っていたいと思う。


その後、松屋銀座へ。
手仕事直売所へいくと友人の木工作家さんがいて、走ってきた事に驚いてくれていた。
チケットをもらったので、その横で開催されていた「銀座目利き百貨街」へ。こちらもユニークで面白い展示でした。
マラソンの出発前夜に、泊めてもらったり、ご飯を用意してくれた純ちゃんとお母さん、お兄さん、結ちゃんに会えた。途中経過を見てもらった。

疲れたので日比谷公園で昼寝。
その後原宿へ。アーバンリサーチの友人達と食事。もちろんおごりで。感謝。
あとTシャツをもらった。こちらも感謝。

お腹が一杯になった後、川崎へ移動。
iphoneの地図で動いていると、地図を見ただけでは通らないであろう住宅地の細い路地や道無き道を通る事がたまにある。iphoneの地図で移動出来たおかげで、マラソンが一際面白くなった感じがしています。ただ、電池がなくなるのが早すぎる。

川崎の登戸に到着。
大学の友人で、革で小物を作っている祐介宅へ。
「ANDADURA」という名前で活動していて、シンプルなのに個性のある製品を作っている。
飯とビールと銭湯をご馳走になる。今日も至れり尽くせりです。


3日目になると少しづつ距離感や時間が分かるようになってきた。
明日は小田原方面まで行きます。
宿が無いのでそこらで泊めてくれそうな方を知っていたら教えて下さい。


眠たすぎるので、今日の記録はこんなところで。
僕は誰かに伝えたくてブログを書いているのではなく、記録と報告としてブログを書いています。
以上。

2010/09/08

マラソン1日目

本日、益子暮らしの集大成である益子→神戸マラソンを決行。
猛暑猛暑と言われる中、幸いの雨でした。
おかげで涼しい中走ることができました。

朝6時に益子の友人に見守られる中、町役場をスタート。
バカな挑戦を見守ってくれる事に感謝しながら、益子であったいろんな事を思いだしました。
良き仲間とわがままな旦那を許してくれた美幸、ありがとう。

本日は益子→小山までの約40kmを完走。
上三川を超えた20kmを超えたあたりから歩きの割合が増え、足がガクガクしています。
上三川ではお世話になった農家の上野さんが畑に居たので挨拶したらお茶を出して頂き、楽しい休みを過ごす。

小山に2時位に到着。
思っていた以上に早くついたので、イイパンでお茶。
泊めてもらう坊ちゃんも合流の後、一緒に温泉へ(温泉もおごってもらいました。)
サウナに入りまくることもできたので、リフレッシュ。
坊ちゃんの家に戻るとお母さんがドライヤーで僕のリュックを乾かしてくれていた(涙)
7時からてんつくマンの映画を手伝ってくれた仲間が集まってくれて、2度目の送別会。
たくさん飲んでいい気分、おごってもらうくせにたくさん食べさせて頂きました。
良き仲間を持ってとても幸せです。
坊ちゃんのお母さんの温もりもありがたくて、息子になった気分でした。


ようやくスタートした帰省マラソンも走ってみると、体力云々というよりは体ができていない感じです。すでに太ももが悲鳴をあげています。
40km位でしたが、まだまだこれから。
頑張ります。

2010/09/07

帰省マラソン

引越しの片付けもままら無いまま、栃木に車を取りに戻り、弟に車を乗って帰ってもらい、明日いよいよ走って栃木から神戸まで帰ります。
本当に待ってくれている妻に迷惑を掛けるのですが、多くの人の協力のもと益子暮らしの集大成です。

どうなることやら、楽しみ。

明日6時に益子町役場前からスタートします。

多くの人に助けてもらったので、ちらほらとブログやらツイッターで報告します。
っというわけで応援よろしくお願いいたしますー。

2010/08/21

11歳の友達

宮城から11歳の友達が遊びに来てくれた、っというより帰って来てくれた。
4年程前に益子で一年弱程住んでいた子で、ちょっと前に仙台に行った際に会ったのだけれど、その時に「遊びに来い〜。」なんて言ってはいたのですが、「遊びにいって良い?」と本当に連絡が来た時はとても嬉しかった。

おかげでいろんな人に会えたりできたので、僕たちがとても楽しめた。
歩は楽しめたかな?


友人を迎えにいった時に、歩の同級生が居るのを発見して、会いたそうにしつつも恥ずかしがってモジモジして、でも勇気を出して話しかけにいって「よっ、覚えてる?」なんて聞くと、相手もコクっとうなずいてくれて、友達の所に連れて行ってもらった。その数分後には嬉しそうに沢山の友達と遊んでいた。

そんな歩に「勇気を出して良かったね〜、勇気を出したから神様が友達と沢山会わしてくれたんだね〜。」なんて偉そうに話しつつ、自分に言っている気がした。一歩を踏み出す勇気と結果を歩が教えてくれた。感謝感謝。


一泊して、今日帰ったのですが、センチメンタルになっている新幹線のホームで、
「歩が次益子に来る時はサダボーは居ないけど、神戸に居るから遊びに来てな。」っと指切りをしたのですが、必ず来てくれると何となく感じて、約束も約束をした時点で、叶うかどうかは何となくわかるもんだなぁっと思った。

11歳は子供でも友達は友達だ。
歩が大きくなる事を願い、楽しみにしながら次ぎ会うのを楽しみにしている。
歩、ありがとうね〜。

2010/08/18

自分のために

益子から神戸への引越の日程が31日に決定した。
その後、弟と一度益子へ戻り車を取りに来て、走って神戸に帰ろうと考えています。

ただ、それは僕の中だけの話で、妻からは走って帰る承諾を得ることが出来ない...。
なかなか理解してもらえないというのは、当然なんですけどね。「走って何になる」「その間どうする」等々、走る意味不明さを、言い出せばキリが無いし、そりゃごもっともだと思う。

けれど「神戸まで走って帰りたい」という馬鹿げた事の理由に意味も理屈もなくて、自分の心が心底走りたいと言っていて、走ってどうなるかなんて走ってみないと分からない。
どこか自分ともっと対峙したくて、自分の力量や自分の自信をもっと明確に分かりたいんだと思う。

こんな事ができるのは、年齢やタイミングを考えれば最後のチャンスだと思うし、やらなければ絶対に後悔してしまうのは分かっている。走って何になるのかは分からないし、自分に自信を持てるのかも分からないけど、走らないよりは走った方が得るものはあるだろう。何とか妻に協力と理解をしてもらって、一週間程の挑戦をどうにかして成し遂げたいと思う。
一先ず、妻にプレゼンだな。


全ては自分の為に。
自分を磨く事や、いろんなことに挑戦することが、結果として家族や友人、将又地球や社会の為に繁栄されると信じています。

2010/07/26

言葉

『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である』 二宮尊徳

この言葉を『理念なき利益は犯罪であり、利益なき理念は寝言である』と言い換えている人がいました。


人の善意やボランティアに頼ることでしか成り立たない活動は、長続きしない。長続きしないことは意味がない。
ボランティアがキレイごとになるか、ならないかの境界線はそこじゃないかなぁ?

2010/07/19

THE ROSE

バラについて調べていて出会った。
曲も歌詞が良い。THE ROSEを観ようと思う。


おもひでぽろぽろのエンディングでもあるんですね。
素敵なエンディング。ジブリで都はるみが歌っても優しい歌だ。

2010/07/18

AKIRAライブ

日光のアーティスト&ミュージシャンAKIRAのライブに行ってきた。
知人に日光に変態アーティストのAKIRAさんっという人がいて、アンディ・ウォホールから奨学金を受けた経歴を持つような人で、作品も凄いんだよという話を聞いていて、密かに気になっていた人だったのですが、この前のてんつくマンの上映会を手伝ってくれた人がCDをくれたことで、ミュージシャンをしていると知り、聴いたらズビズビっと感じるものがあり、聴きに行ってきました。

大分遅れて行ったので、数曲しか聴く事ができなかったのですが、CDで聴くより断然良かったです。な〜んちゅうか、腹の下から言葉や歌が出てきているような曲で、AKIRAさんの歌を聴いているとその情景が浮かぶというか、メッセージがストーンって伝わるような、そんな印象を受けました。数曲しか聴く事ができませんでしたが、「愛」を唱い、「あなたは素晴らしい」っという事を伝えている人でした。
初めてお会いしたのですが、どことなくてんつくマンに似た空気を持つ人で、優しい空気を持っていて、人を受け入れているというか、他人と自分は一緒みたいな...。あったかい人だった。


ある本で「美しいものとは、作り手の内面が整理されているもの」という事を書いていたのでが、モノに限らず、人も、歌も同じだなっと思った。
AKIRAさんが言っていたのは、「人は自分の山の頂上だけ見て、自分を決めてしまっている事が多いのだけど、本当は頂上の下には中腹も麓もあって、頂上の蓋を開ける事で人生は楽しくなる。」っというような事を言っていました。

AKIRAの歌はお腹のそこから歌っている歌でした。
自分の声を聞いて、自分と向き合う。今の僕のテーマです。


何故か打ち上げにも参加することになり、一ヶ月ぶりに皆と会えてとても嬉しかった。
栃木から出る直前にてんつくマンの上映会で多くの人達と知り合い、一つ一つの出会いに感謝。神戸に帰りますがこの縁が続きますように。

2010/07/13

ワールドカップ2010 南アフリカ大会決勝

約一月に渡ったワールドカップが終わった。
決勝を友人達と見て、決勝に相応しい一進一退の攻防に熱狂。
眠気なんって、すっ飛んで皆で盛り上がる。

スペインもオランダも素晴らしかったね!
ただやっぱりスペインが圧していた。
ビシャ、イニエスタ、シャビ、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ロペス、フェルナンド・トーレス、プジョル、セスク、カシージャス...ペドロ。顔ぶれだけでも優勝だ!
トーレスの活躍を観ることができなかったのが残念だったけど、トーレスまで覚醒していたら大変なことになっていただろうなぁ。ブラジル大会に期待!
無敵艦隊スペイン!素晴らしいサッカーをありがとう。


イニエスタがゴールを決めた直後にユニフォームを脱いでイエローカードを出されていましたが、アンダーウェアーには「ダニ・ハルケ、君はいつも一緒にいる」と書かれていたそうです。ダニエル・ハルケはエスパニョールに所属していた26歳の選手で、中村俊輔が移籍して間もない昨年8月に、遠征先のイタリアで急死したスペインの代表候補でもあった選手です。バルセロナといえばFCバルセロナですが、もう一つFCエスパニョールの2チームが在り、同じバルセロナを本拠地にするバルサのイニエスタとエスパニョールのハルケは親友同士でもあったそうです。
僕がスペインに行った時に見た試合が「FCバルセロナ vs FCエスパニョール」で、ロナウジーニョがFKでゴールを挙げた思い出があります。
話はそれましたが、最後の決勝でイエローカードが次戦に持ち越されない為、イエローカードをもらう事を分かってユニフォームを脱いだのですね。イニエスタが最後にゴールを挙げたのは、きっと天国のハルケからのアシストでもあったんだなぁと思いました。

偶然だよっと言う人もいると思いますが、この試合で一番ゴールを決めるとイメージしていたのは、ゴールを決めてハルケに捧げるメッセージをTシャツに書き込んでいたイニエスタだったんじゃないかな。イニエスタは、カードの多い試合で一枚もカードを受けなかったも、ゴールを決めてハルケに優勝を報告することを想像していたからなんでしょうね。

イニエスタは守備的MFなので、得点するとかアシストするという選手ではなく、決して目立つ選手ではありませんが、素晴らしい選手です。イニエスタのトラップとパスさばきは必見!


スペイン代表、イニエスタありがとう。
ありがとうワールドカップ。