「最近の若者は」っとよく聞く言葉。気付けば僕も口にするようになっていた。
僕も20代前半は多分「最近の若者」という、どうしよもない若者として括られていたし、今もそう見られているかもしれない。
少し前に何かのサイトで「若者は出来ないのではなく、経験が足らないだけ」的な言葉を見て、その通りだと思った。僕は若者を若造的な目でみるヤツは嫌いだ。あんたはどんだけ素晴らしい大人なんだと言い返したくなる。
大学のカリキュラム等のコーディネートしている知人の話で「最近の若い子は”ゆとり世代”と見られることにすごく敏感で、学生の子達と話していても『ゆとり世代と言われるけど、私達やりますから』といったことを話す若い子が少なくない」と話していた。
それを聞いて、ゆとり世代と言われる今の若い子達も別に好き好んでゆとり世代になった訳でもなく、大人が勝手に組んだ教育の中で時間を過ごし育ってきたにすぎなくて、彼らを「ゆとり」で括るには少し違和感がある。
ゆとりにせよ、ゆとりじゃないにせよ、何かに一生懸命仕事になるというのは気持ちの部分が大きく、それはゆとりよりも周囲の大人の影響の方が大きいのではないだろうか。
例えば楽しそうに仕事しているとか、目標が高いとか、仕事の質感に感動するとか、何気ない一言や仕草に救われたとか…。「ゆとり世代」(というより他人)を変えることはできない、ただ一緒に仕事をしている現実をどう良い時間にしていくかが、大切なんだと思う。
きれいごとだよとか、そうは言っても、といった言葉も聞こえてきそうですが、若い子を「ゆとり世代」で語ったところで、何も生まれない。
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