馬場さんと話す。
先日来店してくれたお客さんに対する接客の説明が気になったという。
僕はお客さんにその商品がどう作られたかという事を簡単に説明したのだが、馬場さん曰くその物の価値は作る行程には無いからそこはセールストークに使わなくていい。大切なのはそのもの自体が美しいかそうじゃないかというところだという。
また、そのもの自体は馬場さんのアイデアを元にして、これを使ってこうを作る。という形で出来たのだが、「デザインしたのではなく「見立て」をしたんだよ。サダ君。」「デザインっていうのは見立てだから」と説明してくれた。
丁度、千利休の本を読んでいたので余計に胸に残る。
昨日、民芸以前の益子焼を目にする機会があった。
そもそも益子焼というものの定義は難しく、はっきりこの作り方・焼き方をした器が益子焼ですよーっといった定義が無く、現在の益子焼というのものは、濱田庄司が益子に残したいわば濱田民芸の名残が現在の益子焼ととらえられる事が多い。
民芸以前の益子焼というのは、つまり濱田庄司や柳宗悦が心奪われた元々あった益子焼の事だ。この焼き物はあるコレクターのコレクションなのだが、秋に益子で開催される「土祭」で展示させてもらえる物を先取りで見る事ができた。
濱田庄司が目を奪われたように、馬場さんが見立てたように、ただ単純にそのもの自体の美しさを見逃さないようにならなければならない。目を育てる。いい物は沢山見る。ちゃんと調べる。
デザインは見立てですか...。
お客さんにどう説明すれば、そのものの美しさが伝わるのかを考える。
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