神戸から帰って来て、家で奥さんとウェディングパーティーのビデオを見る。
まだ、あの至福感が抜けず、2人であれが良かった、これは最高だったといった事を何度も同じように話をしている。こんな感覚は初めてかもしれない。
未だにあの時、あの瞬間、あの場所で、あの人達に...そんな想いが溢れ出てくる。
しばらくこの感覚は抜けないだろうなぁ...。
昨日の日記にも書いたが、素晴らしいウェディングパーティーを催すことができたと思っている。これもユカリさんをはじめ、力を貸してくれた人達のおかげだ。
この至福感の余韻は何なんだろうか?
何とも言えない満ち足りた気持ち。
こういった想いになる事は滅多に無い。
きっと来てくれた人も僕ら程ではないにしろ、どこか至福感の余韻をもって帰ってくれたんじゃないだろうかと勘違いしたりしている。
どうであれ、いろんな人がすごく良いウェディングパーティーだったと言ってくれたこともすごく嬉しいし、メールをくれた友人、手紙をくれた人もいて、来てくれた人達も喜んでくれたと思っている。
形にはない確かなものっていうものがあって、この至福感もそう。
そういった至福感の満ちる想いや余韻の残る感動、心が重なるような体験や実感を共有できる仕事を、これから自分のしていく事で形に出来ないかと考えている。
今回のウェディングパーティーでの時間は僕らの中に刻まれた。
これまでの小さな経験の中でもそうで、初めて1人のフランスでコルビュジェのロンシャンの教会を見た時の記憶や、てんつくまんの植林でモンゴルに行ったこと、アフガニスタンに行った時の印象は鮮明だし、ゴミ拾いをして集まってくれた仲間がいた事も、閑谷学校の空間の間合い、小学生の時に知人の田植えを手植えで手伝った事等、多くの感動の余韻は現在の原点だ。
少し振り返っただけでも多くの余韻が現在の自分を築いている事に気付いた。
余韻が残る程の感動って、様々な条件が重ならないとできなくて、その条件を作り揃える事がプロデュースやディレクション、プランナーという仕事なんだろうなと、ユカリさんを見ていて思った。
ものづくり=場づくりという仕事を作っていこういう僕には、すごく考えさせられることだ。
まずは中馬さんとwebで「場」を作ろうと思っている。
来週、わざわざ来てくれるから、一緒にどこに連れて行こうかと考えている。
どうなるかまだ未定だが、結構楽しみなプロジェクト。
その前にせなアカン事は全部終わらそう!
何はともあれ、先日のウェディングパーティーは素晴らしい時間を多くの人と共有する事の出来た喜びは僕らの心に響き、僕と美幸には永遠の時間となった。
今、横で美幸が結婚式のアルバムを見て「いいなぁ、いいなぁ結婚式!」と言いながら床についた。彼女は今夜良い夢を見る事でしょう。
何度も言わせて頂きますが、これも祝ってくれた皆さんのおかげです。
本当にありがとう。
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