2009/04/14

須田が池の畔の陶板

毎日書こうと言ったにもかかわらず、3日目にして断念。3日坊主。
やってみて思ったのは毎日ブログを書くというのは大変だなっということと、
続ける事によって、少しは表現力は上がるなっというのは実感として思った。
自分の感じた事を言葉にするのは大変だが、文章にするのはもっと大変ですね。
続けるというのも大変だ。



毎朝、スターネットの前の道路を掃除をする。
スターネットの前にある須田が池の畔に小さな休憩所みたいな所があって、そこも一緒に掃除をしている。あるおっちゃんがその休憩所の地面に埋まっている陶板を見て「なかなか良い陶板だねぇ」っと言っていた。陶板が埋まっているのは知っていたが、改めて見てみると陶芸の町益子らしい味のある画が描かれた陶板がそこにあった。
すごくショックだった。
毎日毎日掃除していて、3年近く見ていたのに対して気にも留めていたかったのだ。


今読んでいるドラフトの本のまえがきにこんな事を書いている
「デザイナーになる人は皆ある程度の技術を持っているわけで、本当は、見ているか見ていないか、感じているか感じていないかが大切なのです。」
これはデザインという職能に限った事ではないと思う。

自分が感動するもの大体のものは、よくこんな視点でモノを見てるなぁとか、こんな解釈の仕方もあったんだ!といった、斬新という訳ではないけれど、新しい視点・観点を形にしている、表現しているものが多い。


池の畔の陶板を見過ごして3年、改めて自分の観察力の低さを思い知らされた。
普段の食事にしても一つ一つ味わい、食を噛みしめるようなコトや、近くにいる人の何気ない変化や、空気、季節のうつろいまで、いろんな事の感じ方が希薄になっていた。
身の回りの事を一つ一つ意識した習慣や生活を「丁寧」というのかもしれない。


そういった解釈で「丁寧」ということを考えると、常に意識を身の回りにやらなければならない、すごく気の張った緊張感ある行為だといえる。それが習慣になり、普通に落とし込めたら何てスゴいんだろう。
まずは目の前の事を一つ一つ丁寧にしていきたいなっと思う。

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