5日目。
朝5時に目覚ましで起床。
海近くだったので、風が強く体が冷えきっていた。
野宿だったので体が痛くなっているかと思えば、疲れきっていたのでそれ以上疲れる事も無く、寝た事で少しマシになっていた感じでしたが疲れが取れている訳でもなく、足は筋肉痛や体は疲労で重かった。小田原に到着後、ガストがあったので新聞を読み、携帯を充電させてもらい、腹ごしらえ。「携帯充電させて下さい」とお願いすると快く受けてくれる。前日野宿したし、これから箱根だし、ちょい贅沢をした。
箱根口(交差点)に立ち、気合いを入れて再スタート。坂がきつくなってきたらほぼ歩き。木々に囲まれた道は気持ち良く太陽の暑さは感じず、木々に守られている気すらした。
箱根はいくつかの温泉地があり、それぞれに観光客が沢山いた。緑が多くて気持ちがよく今度は家族で来たい場所となる。
マラソン選手らしき女性が坂道をひょいひょいと走って、すーっと抜かれる。それが悔しくて数百メートル対抗して走るけど、追いつく事は無理でした。「他人のペースは他人のペース、走りだろうが歩きだろうが自分のペースで進むべし!」っと開き直る。途中川に降りて休憩したりしながら歩く歩く。
木々に囲まれた心地よい道がいつまでも続く訳もなく、太陽の日差しを浴びながら進んでいると。「国道1号線最高標高874m」の看板を見て、なぜか感無量。こういった知らせはなんだかテンションが上がる。
昼頃に芦ノ湖に到着。観光客がとても多く、山に囲まれた湖畔はとても気持ちが良く休憩しながら昼寝をする。
目が覚めて、ブラブラと走り歩きで数キロ進んだ事に「静岡県」の県境の看板を見てテンションが上がる。県や市・町が変わるのも気持ちが嬉しくなる。峠を過ぎ、沼津に向けて下りが中心の国道を走り、下りだから楽かと思えばそうでもなかった。
途中、旧東海道の道を保存した道があったので、そっちを歩いてみたが、昔の状態を保存している道はゴツゴツとした石を並べた道で歩きにくさ全開だった。走り出した理由の一つに、原始的な事というか、自分の身体や精神を使う状態ようなことに憧れていて、わかりやすくいうと「昔の人の暮らし」に憧れを持っていて、坂本龍馬(龍馬に限らずですが...)が土佐から江戸まで歩いていた時代はどんなんだったんだろう的な興味をずっと持っていた。だから今回のせっかくの機会に足で進んでみたいと思ったのですが、東海道ったてこんなボコボコした道を歩いていたのかっと思うと改めて昔の人達はスゲーなぁっと思う。アスファルトで舗装された道をニューバランスのランニングシューズで進んできたなんて屁のカッパだ。
そんな事をぶつくさと考えながら進んで山を降りた頃にはすっかり夕暮れになっていた。
どうしても風呂に入りたくて、携帯で調べると沼津に大正時代から続く銭湯がある事が発覚。営業時間が8時までとなっていたのでそれに間に合うように三島から沼津まで走る。
なんとか7時半に銭湯に入ると番台に座っていたおっちゃんが
お:「今日はお客さんがいないからもう締めようと思っているんだよ。」
佐:「えぇ、せっかく来たので入らせてもらえませんか?」
お:「ほんの少しで良ければ...」(すげぇ嫌そうな顔をする)
佐:「8時まで入っても良いですよね?」
お:「できれば10分位で上がってもらえたら...」(営業時間は8時まで)
佐:「わかりました。出来るだけ早く上がるようにします。だから少しマケてもらえませんか?」
お:「なら無理に入って頂かなくても...」
佐:「わかりました。350円ね。」
お:「ありがとうございます。」
(お金を渡す)
佐:「今日、小田原の方から走ってきたんですよ。」
お:「そーですか、はい150円」(反応無し)
んー、ボケかけのおじいちゃんかもしれないけど、すごく残念な気持ちでお風呂に入る。
お風呂入っている隣で、女風呂をゴシゴシ洗う音がする。しまいに男風呂まで洗いにくる。
ほーんとムカついてきて、そそくさと風呂を出て「ありがとー」って振返るとおっちゃんが全裸になっていて「どーもぉ」っと見送りにきた。自分が風呂に入りたかっただけじゃーん!!
昭和の初めから続く銭湯で建物や置いているものが全部当時のもので風情のある銭湯だったのですが、おっちゃんの風呂入りたさに僕は気分が悪かった。こりゃ人は来なくなるわ。残念だけど当然。変化に対応できないものは負けてゆく。
その後、ローソンでカップラーメンと発泡酒を買って夜ご飯。
沼津ではスターネットでお世話になった藤原さんの家に泊めてもらおうと思っていたのですが、都合が合わず断念、残念。
今夜の寝床は浜辺にしようと浜辺方面へ歩く。っとある浜辺近くの高校の校庭で歯磨き&洗濯。どこか寝床無いかなぁ〜っとブラブラしていたら体育館の窓が開いていたので、こっそり覗いてみると体育館の倉庫の中。なので体育館の体操のマットの上で気持ちよく寝る事ができました。